第4話 ラウとゾルゲおじさん

 ※推奨 ★★★ミリスお嬢様には逆らえない★★★ 第7話までお読み頂けると幸いです。





 涙が砕けた愛してる。


 痛みで歪んだ愛してる。


 寂しさが壊れた愛してる。


 心が悲鳴を上げ、想いが見えなくなる。何かを手放してしまいそうになる。


 それでも私は愛してるって叫んでいた。






 私はラウ。今を幸福に生きている。


 長く続いた淀んだ不幸な時間が、ボラティアル山脈の雪解け水みたいな清流へと変わり、春の訪れを歓迎する新緑が遠慮気味に顔を出す様に、私にも新たな気持ちの息吹きが芽生え始めていた。


 だけど、膨らみ広がる喜びとは別に、私はどんなに望んでも、決して戻れない幸福を思い出してしまう。それは枯れた古井戸に小石を投げ入れるみたいに、虚しく頼りない事なのかもしれない。だけど私は帰りたい。


 かけがえのない時間、忘れ得ない温もり。




 私は無邪気に笑っていた、パパもママも笑っていた。


 咲き誇る花、楽しそうなママの歌、パパの大きな手、小さな可愛いお庭で、ベンチに3人で並んで座って、私は足をパタパタさせて、陽気に笑っていた、無邪気に笑っていた。


 手を伸ばせばいつも優しさが溢れていて、愛しい輝きと満ちた喜びを感じていた。


 ママの歌声にふんわり包まれて、一緒に、いつまでも一緒に。


 そこで私は笑っていた、手をつないで笑っていた。








「大丈夫、あなたを死なせはしないから。絶対に生きて、お願いよ」


 その必死な声は、死を見つめる私を引き上げた。


 8年間、呪術外法で石化されかかった私を支えてくれたヒーラーさん。彼女はママの訓練所時代の先生。ずっと私を励ましてくれた、とても愛してくれた。




「ラウ、これから絶対に何があろうとパパはお前を守る。二度と一人にはしない」


 凛として力強い響きと何があろうと変わらない優しい想いは、私を何よりも心から安心させ、そして打ち沈む魂を抱きしめてくれた。




「今日から見習いメイドのお勉強かぁ、ほどほどに頑張ろうろうね、えへへ」


 陽気に弾む声、元気が零れそうなルビー先輩の笑顔は、私を愉快に勇気づけてくれた。


「成長期だ。もっとモリモリ食べろ! あーと、なんだ、うまいか? どうだ?」


 照れ臭そうにぶっきらぼうな態度、コック長のラドックさんは心配そうにとても気を遣ってくれる。


「私は負けないんだもん……、でもラウちゃん、胸大きいね、やっぱり負けたにゃん」


 不思議な絡みをしてくる薬師のサーシャさん、正直で嘘のないその態度が私をほっこりさせてくれる素敵な人。




 ビスタグス家の人達はみんな親切で優しい。


 毎朝、焼き立てのパンと暖かいスープはびっくりするくらいに美味しくて、自家製ウインナーやハムは程良い塩加減、付け合わせの野菜は新鮮で、高価なゆでたまごまでもある。そんな幸せな朝食を食べてから、私の一日が始まる。


 身体に真新しいメイド服が徐々に馴染む頃、私は忘れていた笑顔を沢山思い出していて、普通の12歳の女の子にすっかり戻っていた。作り過ぎた手作りジャムが小瓶から溢れるみたいに、私にはみんなからの多くの思いやりが注がれていた。




 だけど、胸の中にずっと秘めた想いは、私を時々どうしょうもなくさせる。


 そんな時、私はお気に入りの場所に行く。


 庭園のすみっこ。誰も来ない小さな2人がけの木製ベンチ。雨風にされされて少しだけ寂れているけれど、柔らかく湾曲した形状は不思議と心地良い。


 初夏の優しい風に新緑の香りが混ざって、咲き誇る花々がさりげなく私を慰めてくれる。ミリスお嬢様のお気に入りの広々とした庭園を、私はのんびり眺めて昔の事を思い出す。


 私は誰もいないのを確認してから、一人でそっとママの唄っていた歌を口ずさむ。


「……、ううっ、……ラ~ララ~、……ひぐっ」


 私の瞳からぽろぽろと涙が溢れて来る。


 悲しけど暖かい、寂しいけど懐かしい、そんな締め付ける様な喜びが私を切なくさせる。涙はとめようがなくて、でも私は構わずに唄い続ける。



「誰かいるのか?」


 俯いて唄っていた私に誰かが声をかけて来た。


 ビクッと心臓が縮みあがって、急いで涙を拭うと、私は顔を上げ正面を見た。


「……ゾルゲおじさん」


「なんだラウか、どうしたんだ、休憩か?」


 麦わら帽子を被り、首にはタオルを巻き、黒い長靴を履いた庭園師の作業服。少し困惑した表情を浮かべるゾルゲおじさんだった。


 私はその言葉に小さく頷いた。するとゾルゲおじさんは「そうか」とだけ言い、踵を返して庭園の中に戻って行った。


 多分、私の目も鼻も赤い。泣いていたと悟られてしまった。でもゾルゲおじさんは何も聞かずに去って行った。きっと気を遣ってくれたのだろう。パパが剣の達人だって言っていたけど、普段は全然そんな感じはしなくて、お花が好きそうな気のいいおじさんだ。


 私はふーっと息を吐いた。


 ぼんやりと花を眺めながら、あの小さなお庭を思い出していた。もう帰れないのに、いつまでも私はあそこに帰りたいと思ってしまう。


 また泣きたくなった。


 下を向いて地面を眺めた、私は何をやっているんだろう。取り留めも無くそう考えていたら、頭に何かが乗った。同時に香しい花々の匂いがふんわりと漂う。


「……ゾルゲおじさん」


 気が付かない内にゾルゲおじさんは私の目の前に立っていて、頭に花の冠を被せてくれていた。お日様を受けてその漆黒の髪が艶々と輝き、銀色の瞳が優しそうに私を見つめていた。


「プレゼントだ。今の季節はそのラトーヤの花が綺麗なんだ」


 そう言うと私の隣に座って、首に巻いたタオルで額の汗を軽く拭った。


「……ありがとう」


 私がそう言うとゾルゲおじさんはニッコリ微笑んだ。


 少しの間沈黙が流れ、つい私は余計な事を言ってしまう。


「……、あ、あのね、泣いてた理由を聞かないの?」


 馬鹿な事を言っている。


 なぜそんな事を口に出したのか、自分でもよくわからない。するとゾルゲおじさんは庭園の方を眺めながら、呟くように言った。


「俺は悲しそうにしている人間に、わざわざ辛い理由を聞いたりはしたくない。それよりも、ラウはどうしたら笑顔になる? どうしたら嬉しい? 俺が聞きたいのはそういう事だ」


 照れ臭そうにそっぽを向いてそう答えるゾルゲおじさん。


 私はただ少しだけ体温が上がる様な気がして、「……これで嬉しい……よ」と花の冠を照れ臭そうに触った。





 それからたまに庭園のベンチでゾルゲおじさんと話す様になった。


 花の話や、庭園師のボスであるリンゼイさんや仲間の事、パパとの稽古の事、昔は実家が花屋で手伝っていた事、色々な話をしてくれた。決して饒舌じゃないけど、朴訥に愛する人達の事を私に教えてくれた。


 私も昔のママやパパの事、それに新人メイドとしての日常とか、食事が美味しいとか、そんな些細でたわいのない話を沢山した。



「俺は昔、とても酷い事をしていた」


 ある日、ゾルゲおじさんがふとそう言った。


「自分の運命を呪って、多くの人を不幸にしてしまっていた」


 とても寂しそうな表情だった。


 私はなんて答えていいかわからず、どうしてか泣きたくなった。何故そんな事を話すのか私にはわからなかった。


「……辛かった?」


「多分、自分の辛さを見ない様にしていて、却って辛さが増していたのだと思う。ずっとそうして生きていた。無責任な生き方だった。」


「……今は?」


「辛かった事が、懐かしくて優しかった事を思い出した。だから平気だ」


 なんだろう、胸が熱くなる。


「あ、あのね、私もそういう時があるの」


「そうか」


「それでね、辛い事が嬉しいの」


「うん」


「でね、それでね……」


 急に胸がとても熱くなって、目頭も熱くなって、私は我慢出来なくなった。


「……ううっ、ひっぐ、でも、辛い事は考えちゃ、ひっぐ、だ、駄目なんだよね……、そうだよね」


 私は両手でごしごしと涙を拭おうとするが、たまらずに溢れ出して来る。


 私は暫く泣いてしまって、ゾルゲおじさんは黙って待ってくれていた。私は泣きながらゾルゲおじさんの手を、どこにも行って欲しくなくてただ必死で握っていた。





 私はゾルゲおじさんと庭園の隅のベンチで話しをするのが、一番楽しみになっていた。


 悲しみに浸る場所だったそこで、私は別の感情を感じる様になっていた。でもそれはとても淡く、薄っすらしたものだ。そしてゾルゲおじさんに会えない時は、やっぱり私は悲しみに身を浸していた。


 ゾルゲおじさんは、私を励まそうとか、優しくしてあげようとか、そんな浅い感じではなかった。ただ側に一緒にいてくれる。ただ普通に話してくれる。真っ直ぐな心で、真っ直ぐな言葉で、ありのままの自分で私を見てくれていた。


 恋とかそう言うのとも違って、この感情が一体なんなのか、私にはわからなかった。もしかして答えを出す必要もない感情なのかもしれない。





「そう、いいですね。ラウは飲み込みが早いです」


 私は何か新しい事がしたくなって、メイド長のマリアさんに魔術を習い始めた。


「ラウ、そうだ。そこで少し重心を左に寄せろ。よし、いいぞ、そうだ」


 さらにパパに格闘技を教えてもらう。


「ラウ、ただ形だけで移動するな。常に一撃を打てる様に腰で移動するんだ」


 そして、ゾルゲおじさんに剣を習い始めた。


 メイドの仕事もうまくいっていて、ルビー先輩から「あちゃーっ、ラウちゃんの方が先を歩いてませんか? 私は頑張りますよぉ!」なんて言われるくらいになっていた。


 マリアさんとパパとゾルゲおじさんが3人で話しているのを聞くと、私は才能があるらしい。ただ、3人とも凄く真剣で、マリアさんは細かく私を注意し、パパでさえ格闘技を教えている時は甘くない。そしてゾルゲおじさんが一番厳しかった。


「剣を技術だと思うな。心だ。心が強くないと駄目だ。乱暴とか野蛮とか根性とかとは違う。いいか、自分だけの自分の強さを見つけろ!」


 私はひたすらゾルゲおじさんに打ち込みを続けるが、悉く弾かれる。


「わからないよ、強さって何!」


 私はただ剣を必死で振るう、ゾルゲおじさんの剣が私の剣を跳ね上げた。


「大事な事を教えて貰えるとは思うな。俺は自分で見つけろと言った。稽古は常に真剣に行え!」


 そして、無防備になった私の足を払いすてんと転がす。


 ゾルゲおじさんは厳しい。とても12歳の女の子にする仕打ちじゃない。でも、私はやめようとは思わなかった。強さが知りたかった。自分で強さを見つけたかった。





 丁度、私とゾルゲおじさんの休暇が重なった。


 私はかねてから武具店に行ってみたかったので、「あのね、一緒に行って欲しいの」とお願いした。ゾルゲおじさんは「構わない」と言ってくれて、二人で初めてお出かけをした。


 パパが「ちくしょう、仕事さえなければ、俺が行くのに! ゾルゲ! ラウに変な事をするなよぉぉおおお!」とか興奮していたので、マリアさんに頼んで黙らせた。ごめんね、パパ。





「こっちだ、ラウ、迷子になるなよ」


 ゾルゲおじさんは背が高い、だから歩幅も大きい。


 私は置いて行かれない様に、ちょこちょこ歩いては、小走りで追いつく。


「ん? 少し早かったか?」


 お屋敷を出て、王都の街並み入り、漸く私の様子に気がついたゾルゲおじさんが足を緩めてくれた。


「だ、大丈夫。あ、あのね、速度を合わせるには手をつないだらいいの、ママが言っていた」


「そうか、わかった」


 私の小さな手を、ゾルゲおじさんのごつごつした暖かい手が、そっと守る様に包んだ。


 それから私達は暫く歩くと、「少し休憩するか」とゾルゲおじさんが甘未処に入った。そこは東の国の「ワガシ」というスイーツを扱う店で、「マンジュ」と「ダンゴー」、それから「ゼンザイ」を頼んだ。


 ゾルゲおじさんは常連なのか、気さくに店の若い女の子の店員さん達や、常連の女の子達が次々に何人も寄って来て、「あの、結婚してたんですか!」ってみんなびっくりしていた。


 でもその度に「職場の仲間で、俺の大切な友の娘さんだ。そして今は剣の弟子でもある」と答えていて、女の子達がなぜかほっとしていた。ついでに遠くから眺めているおばさん達もほっとしていた。私はちょっとムッとして「ゼンザイ」を頬張る。


 そんな事は気にせずに、ゾルゲおじさんは子供みたいな表情でパクリと「マンジュ」に齧りついて、「おいしいなぁ」と感動していた。なんか普段と表情が違って、とても可愛い。


 店を出てまた暫く歩くと花屋街に入った。この国は王様と御后様が花好きなので、国民も花好きな人が多い。花屋街に入った途端、「あっ、ゾルゲさん」、「こんにちは、ゾルゲちゃん」、「おう、ゾルゲじゃないか」、とゾルゲおじさんに続々と声がかかる。


 そのままゾルゲおじさんは皆さんと熱くお花の話をしていた。みんな凄い情熱。ゾルゲおじさんも瞳をキラキラ輝かせて、普段とはまた違う表情を見せてくれた。私も聞いていて楽しかった。ちょっとマニアックな事も多かったけど。


 不思議だったのはゾルゲおじさんが歩くと、そこかしこから野良犬や野良猫がちょいちょいやって来る。花屋街は特に多い。そしてゾルゲおじさんに向かって、「こんにちは」と言いたげに挨拶したり、「遊んで、遊んで」と周りをくるくる回ったり、「この辺りは私にお任せを」的に前を警備して歩いたりと、何故か大人気だった。


 ゾルゲおじさんは事前に準備していたのか、寄って来た犬や猫にブルーベリーの実とかの果物をあげていた。「不足しがちな栄養素が大事なんだ」とこれまた見た事のない真面目な顔で言っていて、私はなんだかおかしかった。


 そんな事があってからゾルゲおじさんおすすめの武具店に辿り着き、私は初めて見る多くの武具にわくわくしながら見まわした。物凄く変わった若い店主の人がおかしな喋り方だったけど色々親切に教えてくれて、ゾルゲおじさんから胸当てをプレゼントしてもらった。


 私は急な贈り物にとっても驚いて、そして箱に入った胸当てをぎゅと抱きしめた。これは私の宝物だ。





 そんな幸せな一日が終わり、眠りについた私は悪夢を見た。



 ママが殺されるあの日の悪夢だ。



 私の目の前でママが殺された。



 泣き叫ぶ私の目の前で、ママは私を安心させようと笑って逝った。



 夜中に泣き叫びながら目を覚ますと、パパが抱きしめてくれていた。



 私はただ泣いていた。







 それから毎晩私は悪夢を見る様になった。


 理由はわからない。もしかしたら私が幸せになるのが悪いのかもしれない。不幸を手放す事は許されないのかも知れない。辛い思い出だけどママの事はどんな瞬間でも忘れたくない。私はそんな事をぼんやりと考えていた。


 眠るのが怖くて、ちゃんと寝れなくなってしまった。うつらうつらしながら仕事をしてしまい、マリアさんから何度も叱られた。魔術の稽古も、格闘技も、お休みした。でも、唯一剣の稽古だけは続けた。


「ラウ、気が抜けている!」


 ゾルゲそじさんの鋭い突きが、この間買って貰った胸当てを襲う。


 私は傷をつけたくないから、必死で避けたけど間に合わなくて、バランスを崩しそのまま後ろ向きに激しくころがってしまった。


「……、はぁ、はぁ、はぁ」


「ラウ、今日は止めだ」


 へたりこむ私の側でゾルゲおじさんがひざをついて視線を合わせそう言った。


「……、だ、大丈夫、まだ出来る」


 私は立ち上がって木剣を構えた。


 見上げるゾルゲおじさんも、ゆっくりと立ち上がった。


 日差しを遮る背の高いゾルゲおじさんは、木剣を構えず言った。


「最近眠れてないらしいじゃないか。まずはしっかり休んでからだ」


 私はどう答えようかと一瞬躊躇したが、ゾルゲおじさんなら優しくただ聞いてくれそうだから、正直に打ち明ける事にした。


「……あのね、……毎晩ね、悪夢を見るの」


「ん?」


「私が4歳の誕生日を迎えた次の日に、ママは怖い人達に襲われて殺されちゃったの」


「……」


「私は羽交い絞めにされていて泣き叫んで、何度も、何度も『ママ、ママ』って叫び続けてるの」


「……」


「……でも、怖い人達はママを剣で切って、倒れたママを何度も剣で刺したの」


 駄目だ、涙がまた溢れて来る。


「……」


「……、ふぇっぐ、ふぇっぐ、私が『ママ、ママ』って叫ぶから、面白がって何度も、何度も、剣を刺すの……」


「……」


「でも、ママは口から血を吐きながら、私を心配させまいと、ニッコリ笑って、聞こえない様な小さな声で、『ラウ、大丈夫だから……』って、ふぇっぐ、……そう言って死んじゃったの」


「……」


「……ふぇっぐ、……私がね、……『ママ』って叫んだから、私が『ママ』って泣いたから、あの怖い人達は面白がったの、……」


「……」


「……ママを苦しめて、苦しめて、とっても、辛い想いをさせて、ふぇっぐ、……それでも無理に笑わないといけないくらい、死んじゃうのに、あんなに心配させてしまって……」


「……」


「……、私のせいで、ふぇつぐ、私のせいでママは苦しんで、苦しんで、心配して、とても辛くて、悲しくて、ふぇっぐ、……」


「……、全部、私が、全部私のせいなの、私が弱い子だから、ママを苦しめて、死んじゃうその瞬間まで、辛く、痛い、思いをさせてしまったの、ふぇっぐ」


「……」


「……、ゾルゲおじさん、ふぇっぐ、……私はママを苦しめて殺してしまったの、全部私が悪いの、……大好きなママを、大好きなママを、……ふぇっぐ、うわぁぁぁぁぁぁぁあああああああんんん」


 私は号泣してしまった。


 両こぶしを固く握りしめ、肩を怒らせて、全身が震えて、心が張裂け、感情が爆発して、そしてずっと言えなかった想いが溢れ出して、涙が止まらかなかった。泣き叫ぶ声を止めようがなかった。私の、私の、ずっと、ずっと、隠していた罪を、許されない罪を、最悪の罪を、最低な自分を告白した。


 視界が涙で曇って、ぼんやりと浮かぶゾルゲおじさんの影。


 明るい日差しを遮って、私に影をくれている。


 罪を負う私にふさわしい影をくれている。


 私はその影の、闇の中で、泣いている。


 私はただ泣いている。


 情けなく、みっともなく、取り返しのつかない罪に怯えて、無責任に泣いている。


 涙と鼻水とぐしゃぐしゃな感情に濡れて、どうしょうもない弱い自分をさらけ出して、私は泣くしか出来なかった。


 私は死を選ぶ事も出来ない。私は周囲の優しい人達をもう傷つけたくない。


 パパを悲しみに堕とす訳にはいかない。


 だから、死を選ぶ事も許されない。


 私は罪を背負っている。


 ただ、私は泣く事しか出来なかった。




 ふと、目の前のゾルゲおじさんが動いて、私に眩しい太陽の光が降り注いだ。


「ラウ」


 ゾルゲおじさんがそう言った瞬間だった。


 吹き飛ばされそうな凄まじい爆風が私を襲った。


 涙も鼻水も全てが吹き飛ばされた、私は立っているのがやっとだった。


 うっすらと開けた視界には、いつの間に持ち代えたのか、真剣を握り振り切った姿の怖い顔をしたゾルゲおじさんが立っいた。


 私はビクッと怯え、急いで涙の跡をごしごし拭いた。


「……ゾルゲおじさん」


 私がそう言うと、今まで見た事もない怖い顔のゾルゲおじさんは、振り切った剣を鞘にいれて、そうして私の目の前に、剣を横向きに真っ直ぐ持って差し出し叫んだ。


「この剣に誓う!」


「……」


「俺は剣士だ! ラウがどんな闇にのまれようと、俺は俺の剣でその闇を切り裂き、ラウに笑顔を取り戻す!」


「……」


「どんな辛い事も、どんな悲しい事も、俺はこの剣で全部切り裂いてやる!」


「……」


「ラウの心が弱くなり、暗く逃れ様もない深い闇が訪れようと、俺はこの剣で全てを叩き切る!」


「……」


「俺はお前の心が本当の強さを見つけるまで、何度でも、何度でも、闇を切り裂き、お前を守ってやる!」


「……」


「ラウ、道を間違えるな! お前は愛されている!」


「……」


「俺の剣は、弱いお前の間違いを叩き潰す!」


「……」


「お前を愛してくれた人の、その大切な想いから目を背ける事は、俺と俺の剣がゆるさん!」


「……」


 叫ぶゾルゲおじさんは物凄く怖い顔だった。


 でも全然恐怖は感じない、むしろとてつもなく暖かっかった、優しかった。


 不意にその表情が柔らかく変わった。


「強くなれ、ラウ」


 そっとそう言って、私の頭をなでてくれた。


 私はまた涙が溢れて来て、そのままゾルゲおじさんに抱き着いて、また号泣してしまった。ゾルゲおじさんは黙って優しく私の頭を何度も、何度も、撫でてくれていた。




 たくさん流れる涙の中で、


 溢れてとまらない想いの中で。


 ゾルゲおじさんの暖かい体温を感じながら、


 私は思い出していた。


 私はパパとママと三人で居たあの小さなお庭を思い出していた。


 ママが楽しそうに唄って、私も楽しそうに唄って、パパがみんなと肩を組んで、


 私は嬉しくて、足をパタパタと揺らしていた。


 愛しい輝きと満ちた喜びを、


 私はありのまま思い出せていた。


 そこで私は、無邪気に笑っていた。


 ママとパパに二人の真似をして、


 「うんとね、愛しているのぉおお」


 私は笑顔でそう言っていたんだった。


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