終章 おわりに代えて

余録

 令和四年(二〇二二)三月、令和四年度予算が成立した。一〇七兆六〇〇〇億円のうち防衛予算は五兆一七八八億円なので、国家予算に占める防衛予算比率は四・八%ということになる。

 単純比較は禁物だがひとつ例を引くと、大正十三年度(一九二四)のそれは二十九・六%だった(大蔵省『決算書』)。


 この年はワシントン海軍軍縮条約発効の翌年にあたっており、膨大な予算が必要とされる海軍艦艇の建造費、維持費が抑制され、軍事費は比較的安価だったにも関わらず、国家予算比にして三割に迫ろうという巨額の軍事費が計上されていたのである。

 ちなみに、それより前に軍事費比率が三十%を下回ったのは明治三十五年度(一九〇二)のことだったから、当時の日本は、現代と比較して文字どおり桁外れの軍事国家だった。

 

 もちろんここには、自国の防衛を他国に肩代わりさせ、戦前は自力で賄っていた軍事費がほとんど不必要になった戦後日本の特殊事情も作用している。

 従来の予算規模は果たして妥当なのか。昨今の国際情勢を受けて議論の的になったことは記憶に新しい。


 それはそれとして、帝国陸海軍は、「軍人としての義務」とはまた別の理屈で、戦争を義務づけられる存在だった。

 対米開戦前、戦争回避に向けてギリギリの交渉が続けられていたことは今日でもよく知られた事実だ。

 軍事の専門家だった制服組は対米戦必敗を確信しており、だからこそ開戦を逡巡したわけだが、例年巨額の予算を請求し、獲得してきた関係上、彼ら軍人はいくら逡巡しても究極的には開戦を拒否できるような立場になかったのである。


 危機が間近に迫ったこの期に及んで、もし

「戦争はできません」

 などと口走る軍人がいたら、

「じゃあ今までなんのために巨額の予算を請求してきたのか」

 と責められるのは自明の理だ。

 このような過去のしがらみ、いわば国内事情を主要因として対外戦争に至ったのである。

 上洛の理念を掲げ、長年にわたり人々を拘束してきた信玄が、義務の履行という国内事情から西上作戦を挙行した経緯と酷似している。


 もっとも武田信玄や戦前日本だけが特別に錯誤を犯したわけではない。国内の矛盾を対外戦争で解決しようという試みを挙げれば、古今東西を問わず枚挙に暇がない。

 

 巷間、中国による台湾侵攻が五年以内に行われるという観測がかまびすしい(令和五年、二〇二三現在)。

 台湾統一それ自体は中国共産党の党是であり目新しいものではないが、歴代の指導体制と比較して現在の習近平独裁が特異なのは、党是にテコ入れすることにより、自らを頂点に据える独裁体制をかつてないレベルにまで強化した点にある。


 まさに、

 「自己の権限強化(本音)と核心的利益(建前)を一致させ、自分の志向する任意の方針に人々の目的意識をコントロールするオプション」

 として党是を利用してきたのである。


 これによって自らが負うことになる義務に独裁者が無自覚であるとは思えない。

 義務の履行を怠り、約束を破って吊し上げられる事態を回避するため、軍事侵攻を阻害する外的要因を無視或いは軽視してでも、主に国内事情から対外戦争に踏みだすのではないかとする観測は十分な説得力を持っている。


 我が国の歴史上の偉人と隣国の独裁者を比較するのは気が引けるし、いたずらに危機感を煽るつもりもないのだが、将来への見とおしに役立ててこそ歴史は真に意味を持つ、などとありきたりなことを記したところで、終わりに代えたい。

 

 ご静聴ありがとうございました。

                 (終)

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西上作戦考~武田信玄は本気で上洛するつもりだったのか @pip-erekiban

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