眼鏡とナイフ

 そして、私はよくわからない場所で起きた。廃棄物が大量に積まれた、薄暗い石畳部屋。ガラクタの山には、人体の一部らしきものまで混じっている。床には、ナイフで斬りかかってきた魔法使い風の眼鏡青年が、気を失って転がっている……眼鏡は、今は横に落ちてるけれど。

 たぶん夢じゃない。大人になってから夢はほとんど見ないし、たまに見る内容も大抵は仕事や家族がらみだ。こんな訳の分からない状況はまずない。深酒のせい、にしては明晰すぎるし。

 ともあれ、状況を確かめないと始まらない。私はナイフを確保したうえで、青年に馬乗りになって肩を揺すった。


「ちょっとあなた。生きてる?」


 反応がない。最悪の事態が頭を過ぎる。

 でもこっちは刃物で襲われかけたんだ、正当防衛だよね――などと考えていると、青年の眉根がぴくりと動いた。うーん、と、小さなうめき声が聞こえる。


「気がついた?」


 確保したナイフを相手の喉元に突きつけながら、私は極力高圧的な声を作った。


「ちょっと訊きたいんだけど。あなた、ここで何してるの?」

「眼鏡……眼鏡が」


 青年が、無言で手をさまよわせる。

 一計を案じ、私は空いた手で眼鏡を拾った。瓶底という言葉がぴったりくる分厚いレンズに、極太の黒いフレームが付いていて、見た目通り重い。こんなのかけてたら、すぐに目も耳も痛くなりそうだ。


「眼鏡は私が預かってる。返してほしかったら質問に答えて」


 青年は手を止め、びくりと身を震わせた。


「お、おまえ……盗賊か!」

「人聞きが悪いよ、そっちから襲ってきておいて。でも、答えてくれたら眼鏡は返すよ」

「嘘だろう……いちど手にした金目の物を、そう簡単に手放す盗賊なんていない。おおかた僕の身分を聞き出して、身代金を取ろうとするつもりなんだろう」


 盗賊じゃないんだけど、どうにもらちがあかない。こちらが最初に眼鏡を返してあげないと、聞く耳持ってくれそうにないな。

 しかたなく私は、震える青年の目の上に、眼鏡をそっと乗せてやった。


「僕も魔導騎士一族のはしくれ、賊に易々と屈したりは……って、え!?」


 分厚いレンズの向こう側で、青い目が激しく瞬く。私は口角を引き上げて、極力やさしげな笑顔を作った……はずだ。若干、表情が引きつってる可能性はあるけれども。


「さ、眼鏡は返したよ。今度はあなたが質問に答えて」

「……おまえ、本当に盗賊じゃないのか?」

「私はただの一般人だよ。わけがわからないままここに来ちゃって、すごく困ってる」


 ナイフは相変わらず突き付けたまま、私は極力穏やかな声で、微笑みながら話しかけた。

 すると突然、青年が、ナイフの刃を素手で掴んだ。

 え、手が切れる! ……と一瞬ひるんだ隙に、ナイフはあっさり持っていかれてしまった。ぽかんとする私の下で、青年はふっと表情を緩めた。


「確かに君は賊じゃなさそうだ、こんなものを武器に使ってる時点で。……これ、僕が持ってたヘラだよね?」

「……え? ヘラ?」


 言われてよく見てみれば、金属製の細長い板状の道具は、長さや形こそナイフに似ているけれど、確かに刃がついていない。薄暗い中で気が動転していたから、見間違えてしまったのか。


「よく見たら確かに……でも、なんでこんなものを」

「魔導人形関係の作業には欠かせない工具だよ。汚れや塗装を落としたり、動力部の蓋をこじ開けたり――」


 青年は何かに気付いたように、言葉を一瞬止めた。


「――そういえばさっき、まだ動いてる魔導人形を見つけて。解体しようと近づいたら、いきなり殴られたんだけど……もしかしてあれ、君だった?」


 ちょっと経緯が読めてきた。

 この人、私を「魔導人形」とかいう物と勘違いして、工具で解体しようと近づいてきて……それを私がナイフと勘違いして、殴り倒してしまったみたいだ。

 周りを見渡すと、さっきまで人体の一部に見えていた白い腕や脚には、ジョイントやネジ穴がついていた。本物の身体なら当然あるはずの、痣や血痕も一切ない。表面は無機的なつるつるだ。

 ……勘違いはちょっと申し訳なかった。けど、それで状況が変わったわけでもない。


「ごめん、まだ、ちょっと今の状況自体が飲み込めてない……ここはどこで、あなたは誰で、どうして私とあなたはここにいるのか」

「答えを知ってはいるよ。けれど家の立場上、僕は、素性の分からない相手に情報を洩らすことを許されていない……失礼は承知している、けれどまずは、君から名乗ってくれないだろうか」


 青年は眼鏡に手を遣り、小さく首を振った。


「あと……できればそろそろ、どいてほしいんだけど」


 確かに私はまだ、彼の身体に馬乗りになったままだ。あわてて飛び退くと、彼は大きく息を吐いて、濃紺のローブに付いた埃を払い始めた。

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