第29話

 俺は重い足取りでダンジョンをあとにする。

 地上に出た折、恵美から着信があった。


「おつー! 配信見てたよ! 1位のひと、めっちゃキャラ濃かったね!」


 電話越しに声を聞けて、俺は安堵の吐息をもらす。


「どうした? メールじゃマズい用件か?」

「ちょっと会って話せないかな?」


 恵美がおもわせぶりな口調で切り出してくる。


「ね、せんせー……ウチとデートしない?」


          ★ ★ ★


 夕暮れ、俺が恵美と合流した場所は代官山の一角、オシャレなカフェテラスだった。恵美の行きつけの場所らしい。


 俺は小粋なBGMの流れる店内を進んでいく。


 店員に案内されたテーブル、そこで恵美が手を振っていた。


「呼びつけちゃってゴメンね! おたがい、世間で名が知れてるっしょ? 通りすがりのひとに騒がれても困るし、マスコミに炎上させられてもウザいんで」


 なるほど。有名人ゆえの配慮ってワケか。この店は芸能人なんかが利用する会員制なのかもな。別々に入店しているところも徹底してる。


「その点、ココなら落ち着いて話ができる! ガラス張りの壁だけど、マジックミラーになってるから外から覗き見できないし、店員さんの口もカタい!」


 俺は対面の席につく。


「お前ともそれなりの付き合いだけど……思い起こせば、地上プライベートで会うのははじめてか」


 恵美がイタズラっぽく目を細める。


「せっかくのデートだし! ハメはずしちゃおっか? ……ホラ、ここに座って! カップルドリンク頼もうよ!」


 隣のイスをパンパンとはたいた。


 俺は言われるがまま座り直す。


 すると、恵美がエイヤッとこちらに倒れかかってきた。


「ちょ……!?」


 彼女を膝枕する形になり、俺はギョッと目をむく。


 恵美がリラックスして伸びをする。


「ふーむ、低反発まくらみたいな感触! ちょっとゴツいけど……慣れたら熟睡できそうだし!」


 ボンヤリと天井を見つめる。


「シーリングファンの回転をながめてるとさ、妙に落ち着くよね?」


 恵美が独白のような問いを発した。


「規則的に、休むことなく……人間には不可能だから、なのかな?」


 やがて、俺の顔にすっと視線を移す。


「ホントはさ、せんせーは……もっと先を目指したいの?」

「…………」

「1位のひとに挑発されたとき……『負けてたまるか!』って顔してたよ?」

「…………」

「ウチの面倒を見てなければ……せんせーは今頃、第7層をクリアできてたかもしんない……ウチはせんせーの邪魔になりたくないんよ」

「それはちがう!」


 俺はすがるように叫んだ。


「お前との契約をムダだと思ったことなんてない! お前には色々と教えてもらった! 知らなかった感情を与えてもらえた! ぜんぶ宝物のような思い出だ!」


 恵美がかなしげに目を伏せた。うすく笑って首を横に振る。


「ムリに気を遣ってくれなくてもいいって……ただの契約なんだから、解消したって文句ないし」


 俺は焦燥感に胸を締めつけられる。恵美が手の届かない場所に行ってしまう気がした。


「エミル!? 突然、どうしたんだ!? そんな急がなくても俺は――」


 そんな予感を裏付けるように、恵美が立ち上がり、踵を返してしまう。


「宝物って言ってもらえたの、うれしかった……お世話になりました! 元気でね!」


 スタスタと店を出ていく。


 彼女を引き留める言葉が浮かんでこない。立ち上がろうとする足を葛藤にくじかれた。

 いくらなんでも急展開すぎるだろ! 変化にとぼしい生活を送ってきた俺では力不足だ。


 モタモタしている内に、彼女の姿が外に消える。


 ちょうど、夕立がパラパラとふりはじめた。


 俺の心中の乱れをよそに、天井のシーリングファンが静音を発しつづけていた。


          ★ ★ ★


 それ以来、恵美と連絡を一切取れなくなった。メールも電話も、なしのつぶて。


 俺は注意力も散漫になり、日常生活に支障をきたす始末。そんなザマでダンジョンにもぐれば命を落とす。自宅に引きこもっていた。


 なにするでもない時間は苦痛だ。思考が負に引きずられ、後悔ばかりがつのってしまう。


 暗澹たる有り様を呈していた時だった。


「――江藤、ちょっとツラ貸してくれ」


 管理局の鎮から電話がかかってきたのは。


          ★ ★ ★


 俺の現状を見かねたのかどうかは不明だ。

 ともあれ、俺は鎮に連れ出され、とある場所に足を運んでいる。


 元麻布の閑静な高級住宅地、その一角にひときわ広大な和風邸宅がたたずんでいる。表札には『厨松』と記されていた。恵美の実家だ。


「さて、江藤よ……悪党の住処に突撃だ。気合を入れな!」


 鎮がバシリと俺の背をたたいた。


 ここに来るまでの道中、俺は鎮から経緯を聞かされた。

 俺の発見した構造物の正体は、ダンジョンに干渉するための装置であること。そして、調査の結果、装置の製造元が厨松グループだと判明したこと。


 つまり、一連の不可思議な現象の元凶こそ厨松グループだ。今のところ、大惨事スタンピードに至ってはいないものの、都民を危険にさらす犯罪行為である。


 この訪問は捜査のメスで切りこむ準備――探りを入れる段階なのだとか。

 俺を連れてきたのは、鎮なりの配慮だろう。情報によると、恵美は両親の命令でダンジョン活動および俺との接触を禁じられているらしい。


「……うっす」


 俺は気後れしながら頷いた。足がすくむ、どんなモンスターを前にした時よりも。


「まずは相手の出方をうかがうとしようかね……往くぞ、江藤!」


 なかば鎮に引っ張られ、俺は瓦屋根の石垣門をくぐった。

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