第3話 『吾輩は猫である』夏目漱石著 を読んで  笹葉更紗

   『吾輩は猫である』夏目漱石著を読んで             笹葉更紗


『今日は授業で蕎麦を打ったからお昼は食べに来てね』

 調理科の瀬奈からのメッセージ。調理科の生徒が授業で作った料理は昼休み、校内の食堂で食べることができる。最近黒崎君は別のところで昼食をとっているらしく、昼休みには竹久と二人で食堂に来ることが多くなった。

 実をいうとココ、岡山ではあまり蕎麦を食べる風習が少ない。それというの海を挟んだ隣の県がうどんのことばかり考えている『うどん脳』に侵され〝うどん県〟と名乗りを上げていることも影響する。うどんはさぬきうどん以外に考えられないという岡山県民は少なくない。つまり、岡山県民はあまり蕎麦を食べ慣れていなかったりもする。

 しかし向かいに座る竹久は、つゆにたっぷりの山葵と加薬を放り込んではかき回し、随分と多めの蕎麦を蒸籠から箸でつまみ上げ、つゆにした半分もつけずに口へと運び、一気にすすり上げる。ほとんど噛んでさえいない様子だ。のどに仕えたのか、それとも山葵が効きすぎているのか半分涙目になったのこらえるようにぐっと飲みこむ。

「ずいぶんと粋な食べ方をするのね」

「そりゃあまあね。蕎麦の延びたのはよくない。それに噛んでしまっては蕎麦の味がわからなくなるからね」

「あきれた。それって、まるで迷亭先生の受け売りじゃない」

「いや、別にそういう訳では……」

 迷亭先生は名著『吾輩は猫である』の登場人物だ。いうまでもなくこの迷亭先生のモデルは夏目漱石自身である。

「そんな食べ方をしていては、いくら粋だからと言っても体を壊すわよ。漱石だって随分と早食いで、しかも、随分と量を食べるものだから胃を悪くして早死にしてしまったのよ。長生きしていれば、きっともっとたくさんの名著を生み出していたでしょうに……

 それにね、知ってる? うどんを噛まずに飲み込んでしまう文化のある香川県は糖尿病の罹患率が全国一位なのよ」

「いや、さすがに俺だってうどんは噛むよ」

「でもね、落語のオチにもあるでしょ。『死ぬ前にたっぷりをつゆをつけて食べたかった』というのが。それにね、江戸時代に書かれたレシピによると、当時のそばつゆは今みたいにダシと甘さの利いたものではなくてずいぶん塩辛かったらしいの。だから今の時代のそばつゆならたっぷりつけたほうがおいしいのですって。

せっかく瀬奈が頑張って打ってくれたのよ。最もおいしい状態で食べてあげなきゃ失礼じゃない?」

「いや、まあ……完全に論破されちゃったかな」

「騙されたと思って……」

 竹久は言われたとおりに少量の蕎麦をたっぷりとつゆにつけてからすする。

「どう?」

「うん、今度からはこうするよ……ところで」

「なに?」

「なんか笹葉さんって、おれの母親みたいだなって」

「なによそれ」


 ――まったく。

 相変わらず竹久は乙女心というのをわかっていない。

〝母親みたい〟なんて言われて喜ぶ女の子はいないのよ。だって、なりたいのは母親なんかではなく――

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