第五話 前半 『蝋燭の流れ買い屋の次平』

 さてさて、「花のお江戸は八百八町」とか申します。

これはその広い広いお江戸の一角にある、小さなお稲荷さんのはなしでございます。


 この稲荷、正式には「花房山稲荷神社」と申しましたが、誰もそんな名じゃぁ呼んだりいたしません。

なんでもかんでも願いがよく叶うってぇんで「叶え稲荷」と呼ばれておりました。


 ◇ ◇ ◇


 「人だけじゃないけどね、この世のモンはみんな年をとっていくもんだ。」


  オサキ様は居並ぶ管狐くだぎつねたちをぐるりと見渡して言った。


 「ま、お前たちは違うけどね。」


 弁天様のごとき笑みを浮かべたオサキ様は、この花房山稲荷神社の使役狐くだぎつねの元締めである。

今日も後ろ姿は粋な女将さんだが、前から見ると顔はキツネというオサキ様のお気に入りの姿である。


 「……いも甘いも噛み分けて、そうして経験をつんでさ。

世間様の微妙な事情や人情の機微ってえのに通じて、人としての器が大きくなっていきゃあいいけどね。」


 それからため息とともに目の奥に閻魔さんの炎を宿らせて続けた。


「……でもね。みんながみんなソウなるってわけでもない。

どっちかってえと、頑固になったり自分勝手になったり、威張り散らしたり。

そういう年の取り方をしちまう人の方が多いやね。」


 ――確かにそう言うもんかもしれねぇな。


 稲荷の近所の爺さん婆さんたちはワシにけっこう優しくて、会うと声はかけてくれるし茶に誘ってもくれる。

茶菓子より油揚げが好物だと言ったら、次から油揚げを用意してくれる婆様ばさまもいる。

その一方で、何が気に入らねえのか会うたびにどなり散らしたり、昔話ばっかりでこっちの話を聞いてはくれねえ人もいる。


 「歳をとるのが嫌だってのも分からんじゃないけどね、歳をとったからこその良さもあるはずなんだよ。

白髪だ皴だ、シミだと外見で騒ぐんじゃなくてさ、こう内側からにじみ出るモンで勝負したいよね。

ああ、そんな歳の取り方をしたいもんだねぇ。」 


 途中から自分に向かってしゃべっているようなオサキ様を見ながら、ワシはオサキ様が総白髪になった時の姿を思い描いた。


 ――その時には狐のヒゲも白くなってんだろうか。

狐の婆さんになっても、オサキ様は管狐くだぎつねたちをしっかりべているんだろうな。

狐四郎こしろうの話しを笑って聞き、狐次こんじに道筋を示し、ワシの尻を叩いて。


 ――さてさて、今回はあの爺さんか。

 

 爺さんの名前は、次平じへい

ちいせぇなりでガガンボみてぇに手足がひょろりとしていて、年中腰が痛ぇ、膝が痛ぇと言ってるがその割に身軽によく動く爺さんである。

次平じへい生業なりわいは、提灯や燭台に溶け残ったろうを家々から買い集める「蝋燭ろうそくの流れ買い屋」だ。


 溶けたろうってもよ、蝋燭ろうそくなんて高価なもん庶民がおいそれと使えるわけがねえ。

だもんで次平じへい爺さんの出先いきさきは、吉原や芝居小屋、上等な料亭だ。

いいとこのお武家も蝋燭ろうそくを使っていなさるが、次平じへい爺さんは行きたがらねぇ。

まぁ、そうだろうな。

あの爺さんが堅っ苦しいお武家で四角四面な顔でよ、大人しくろうき取ってるところを思い浮かべてみろよ。

おかしくてヘソが茶ぁ沸かすぜ。


 次平じへい爺さんはろうき取る作業の合間に「物語ものがたり」つまり、古い合戦の話なんかを面白おかしくやるもんだから結構な人気者だ。

もちろん「物語ものがたり」の方も商売なんで銭を取る。

それでも爺さんの「物語ものがたり」を聞きてぇと、ろうき始めると人が集まるってことだ。


 ――いいよなぁ。

芝居小屋の花道ンとこでよ、蝋掻ろうかきの作業しながらよ、役者や狂言作家に囲まれんだぜ。

ああ、ワシが代わってやりてぇぜ。


 さてこの次平じへい爺さん、オサキ様が力説していた「内側からにじみ出るモンで勝負」できるような年の取り方ってえのをまったくもって知らないらしい。

なんてぇのか一言で言うと、軽佻浮薄。


 一式屋いっしきやを始めた小町と比べると、いやそんなことをしたら小町がめっぽう嫌がるだろうけどよ。

小町と比べると、どっちが子どもなんだかわからねぇ。

とうで家族を養った長吉の爪の垢でも煎じてやろうかって、言いたくなるような浮ついた爺さんなんである。


 ――あぁ、行きたくねえなぁ。

いっそよ、誰かに替わってもらうか?

狐造こんぞうあたりんとこへよ、有名どころの油揚げでも持ってよ。


 いやいや、そいつはイケネぇな。

こいつはワシの仕事だ。

次の戌の日に草引きに来る長吉家族と笑って会うためにも、やんなきゃいけねぇことはキチンとやっておかねぇとな。


 かくしてワシは尻尾と憂鬱をずるずると引きずりながら、次平じへい爺さんのもとに足を運ぶのだった。



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