第四話 後半 『小町 恩を借り直す』


 ワシは腕にタニシ(小町のこった)を貼り付けたまま巳之吉みのきちのいる長兵衛長屋に向かった。

今日は歌舞伎しばい狂言だいほんを見せてもらう約束で、小町の相手をしてる暇はないんだ。

が、


 「ねえ、コンタ、どこに行くの?

こっちになにがあるのさ?」

「ちょっと知り合いんちにな。」

「ふうん。

ねえ。よそんちに行くのにさ、手ぶらなの?

それって随分と失礼じゃない?」


 言われてみりゃ、そうかもしれねぇな。

こういうところはさすがいいとこのお嬢ちゃんだぜ。

なら手土産でも頼むかと長兵衛長屋に行く途中にあるおひさの煮売り屋の暖簾をくぐった。


 「よう」と声かけ、懐から小銭を出して豆腐を頼む。

ひさが鍋の前からこちらを向いた。

ワシにへばりついている奇抜な格好の小町をチラリと見て、お久がにやりと口をゆがめた。


 ――あ、勘違いしてやがる。


 違う違うと声を出さずに口だけで言う。

お久がますますにやにやした。

コイツはまずい。


 醤油が美味しそうに染みた豆腐を受け取ってサッサと店を出ようとしたら、お久がまた小町をチラリと見てワシを呼び止めた。


 「ねぇ、コウタ。油揚げも煮えてるけど、今日はいいのかえ?」

「ああ、すまねえな。

今日はちょっと急ぎでさ。」

「ふぅん、そうかえ?

アンタが店先にいるとさ、なんでか客の寄り付きがいいんだよねぇ。

またゆっくり来ておくれ。」

「ああ、また五のつく日にゃ邪魔するぜ。

豆腐、ありがとよ。」


   ◇


 「コンタ、今のお婆さん、粋だね。」


 暖簾をくぐるのを待っていたように、ずっと黙っていた小町がお久を褒めた。


 「お久が?そうかえ?」

「うん、だってさ。

あの半襟見た?」


 ワシはお久の襟元を懸命に思い出した。


 「あー、なんか、煮染めたような色だったよな。

あれが、ナニか?」

「えー?うそ!

コンタわかんないの?

あれ、日本橋『ゑり満』の新作じゃない!

アタイも欲しかったけど、着物と合わせるのが難しくて諦めたんだ!

あのさ、うすうすそうじゃないかなぁとは思ってたんだけどさ。

コンタ、あんたの目って節穴なんだね。」


 ――なんて言われ方なんだ。

ワシは女の着物なんざ興味ねえし、そんなコトいきなり言われても困るってもんだ。


 「ほれ、ついたぜ。」


 狂言作者ものかき巳之吉みのきちの部屋は今日もほごに埋もれていた。


 「うっわ!なに?この部屋。

きったな…」

巳之吉みのきちつぁん!!!コイツ、木場の材木問屋森田屋のお嬢さんのおよ…し…」

「小町!でーすっ!」


 巳之吉みのきちはいつものようにぼんやりした目を小町向けた途端、今まで見たことのないような驚いた顔をした。


 その気持ちはわかる。

小町は町娘とも思ぇねえ奇抜な格好してやがるからな。


 襟は芸妓かってほど抜いて襟足どころか背中の上が丸見え。

派手な桃色の半襟に重なる黒繻子の襟にはなにやらキラキラしたものを縫い付けている。

さすがに着物はさほど派手じゃねえが、帯結びがよ、見たこともねぇヒラッヒラした結び方なんだ。

花魁でもぽってりダラリなのによ。

後ろから見ると、デカイ蝶々さんが止まってるような感じなんだ。


 艶々の黒髪もよ、脇んとこが色変わりして茶色。

もし若白髪なら可哀想なんで黙ってはいるが、尋常じゃねぇぜ。

そんな丸髷に刺さってるのが七宝の塗り箸5本ときたもんだ。


 巳之吉みのきちが驚くのも無理はねぇ。

ねぇけどさ、そんなに目ん玉ひん剝いて若い娘を眺め回すのは、そりゃちぃと無礼じゃないかと思うわけだ。

しかしそれを見た小町は、ニッコリして袖をひらりと返しすと自慢げにくるりと回って澄まして見せた。

いやいや、たいしたもんだ。


 そのまんま狭い板間に上がりこんだ小町は、何を思ったか初対面の巳之吉みのきちを捕まえて質問をし始めた。

巳之吉みのきちは代わりに何故そんな格好をするのかと尋ね、話題が右往左往しつつ質問と質問の間にいくつか前の答えが挟まるというなんともみょうちきりんな会話が交わされる。

ワシはその話しに全くついていけねえし、半分も理解出来ねぇ。

何だか居心地がよくねぇや。


 仕方ねぇので、机の上にキチンと置かれた狂言ほんに手を伸ばした。

一枚、二枚とっていくうちにワシはすっかり巳之吉みのきちの描く世界に引き込まれた。

  

  ◇ ◇ ◇


 平安時代、中宮に仕えるおふさという命婦みょうぶがふと見かけた藤原良房ふじわらのよしふさという陰陽寮おんみょうりょう官人かんじんに恋をした。

ふさは何とか良房よしふさに再び会いたいと願ったが、陰陽師は身分が低くおふさの住む宮中にはなかなか上がれない。

どうか会わせてくださいとつぼねにある華房はなふさ稲荷に毎晩祈っていた。


 ある夜おふさ良房よしふさ会いたさに、下女の衣装を着て陰陽寮のある建物に忍び込む。

そこで陰陽寮のかしらに見咎められ、あろうことか言い寄られてしまう。

あわやという場面でおふさを救ったのは、おふさの思い人良房よしふさだった。


 ところが激高した陰陽寮のかしらは二人を斬ってしまう。

ふさ良房よしふさは来世でこそ幸せになろうと誓って息絶えるのだった。


 それを見ていた稲荷の神は、二人を憐れに思って二本の藤の木とした。

寄り添って生える藤は毎年季節になるとそれぞれ白と藤色の見事な花を咲かせた。


  ◇ ◇ ◇


 花房山稲荷にはやしろの脇に大きな古い藤の木がある。

白花と紫花をつける夫婦めおと木で「花房山稲荷」の名前の由来になったものだ。

時代は違うが。実はこのいわれは叶え稲荷の夫婦藤めおとふじのもんだ。

これから毎年藤の花房を眺める度に、このはなしを思い出してホロリとするだろう。


 ――ああ、切ねぇなぁ。


 「ねえ、コンタ、泣いてるの?」


 まだ見ぬぶたいの上を揺蕩たゆたっていたワシの心は、この一言で反故ほごに埋もれた巳之吉みのきちの部屋へ引き戻された。


 「うるせぇ。いい気持でいたのによ。

で、なんだ?話しはもう終わったのかい?」

「うん。

アタイね、ちゃんと家に帰る。

帰ってたなの一角でみせをやる。

帰る前に一度、叶え稲荷にお参りに行きたい。

縁談が壊れますようにってずっとお願いしてたんだけど、やめて、お店をさせてくださいってそうお願いしてきたい。」


 またこいつが訳の分かんねえことを言い出した。


 「ちょっとまて。

家に帰るって、オマエさん、今まで家に帰ってなかったのか?」

「うん、大婆様おおばばさまが勘当だって言うから小間物屋の友達んとこに転がり込んでた。

帰って、大婆様おおばばさまと話しをして、嫁に行かずに一式屋いっしきややるって言う。

巳之吉みのきちさんと話してわかったんだ。

結局人ってもんは、やりたいことしかできないんだって。

気の乗らない家に嫁に行って、堪えて我慢して挙句あげくやまいにかかるより、人からなんと言われようとやりたいことやった方が絶対いいもん。」


 いや、オマエさんは今もやりたいことをやってんじゃねぇのかと言いたい口を、ワシはしっかり閉じた。

堪えて我慢してやまいになった知り合いでもいるのか、そう言い切った小町は今まで見た小町とはちょっと違ってずいぶんとシャンとして見えたからだ。

一式屋いっしきやがなにか知らねえけどよ、力を貸すかって気になったよ。


 ◇


 山村座の新作の芝居は大入りで連日「満員御礼」がかかっていた。

ますます河竹西伝(巳之吉みのきち)の名は上がったよ。

芝居に出てきた夫婦藤めおとふじは叶え稲荷の大藤おおふじだと評判になって、稲荷も連日「満員御礼」だ。


 で、小町の方はてえと。

叶え稲荷のすぐ近くの森田屋の持ち家で「一式屋小町いっしきやこまち」とかいう店をはじめた。

ちょいと覗いてみると江戸じゅうから来たのか大勢の娘たちでこちらも大入り満員。

小町は相変わらず奇抜な格好で、生き生きと客の相手をしていやがった。


 店には櫛、簪から綺麗な塗り箸、こじゃれた半襟、きらきらした帯飾りに根付、ど派手な巾着袋に、見たこともねえ花で埋め尽くされた手ぬぐい。

何に使うか皆目見当もつかねぇキラキラひらひらした代物もたくさんあった。

そうそう、巳之吉みのきちの家の丸輪屋の草履もあったな。

今まではそれぞれ専門のたなを回らないと揃わなかったのが、ここでは「一式」全部揃うというので評判だ。


 先日会った時、小町が花房山稲荷の「お守り袋」を作らせてくれと言い出した。

オサキ様はそれはいい「恩返し」になるねと乗り気だ。


 でもさぁ。

小町の趣味だぜ。

やたらとキラキラしてふわふわして花々したすごいもんになるんじゃねえかと、本当のところワシは心配しているんだ。


  ◇ ◇ ◇ 


「願ひごと かならず叶う 花房の 稲荷の神のいかに尊き」



******************


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る