第4話 裏切られた男


「で、どうして俺はまだ生きているんだ?」


 目を覚ましたとき、彼は見知らぬ部屋のベッド上だった。体を起こそうとするが、上手く力が入らない。


 仕方なく、首だけを動かして部屋を観察することにした。



 ベッドの隣には小さな机がある。その上には中身の入った水差しやランプ、ほこりの被っていない本などがあった。この生活感を見るかぎり、どうやら人の出入りはありそうだ。


 壁に掛けられた時計を見れば、夜の九時を過ぎたあたりだった。任務終了から、まだ一時間ほどしか経っていない。



「あら、ようやくお目覚めみたいね、王子様」


 王子様ってなんだ。絵本にある物語か?


 そんなことを思いながら声のした方へ目を向けると、そこには先ほど逃がしたばかりのミカが微笑んでいた。



「……どうしてお前が? それにここは何処だ――」

「この部屋は、私がお世話になっている反体制派の隠れ家よ。倒れていた貴方を私が見つけて、彼らに移動してもらったの」

「反体制派だって!?」


 その名前を聞いてラッツは驚愕する。まさかこんな少女が組織の構成員だとは思いもしなかったからだ。



(いや、そういうことか。組織が俺にあの任務を下したのは、反体制派との関与が疑わしい軍人を消したかったからだな?)


 そしておそらく、組織について知りすぎている老兵ラッツの存在も一緒に……。



「それにしても貴方、酷い顔色よ。ちゃんと休めたの?」


 そう言って彼女はこちらに近づくと、額に手を当ててきた。ひんやりとした手が心地良く感じる。



「いや、これは……大丈夫だ」


 まさかこんな年端もいかない少女に、『任務前に毒薬を飲まされていた』などとは言えない。


 強がりながらも、今度こそベッドからどうにか起き上がる。

 それを見ていたミカが、反体制派の幹部たちが貴方と会いたがっていたわよ、と言ってきた。恐らく事情聴取といったところだろう。



 だが今はそれどころじゃない。一刻も早くこの場から離れ、解毒薬を探さなければ――そんな焦りが彼にはあった。



「なぁミカ。助けてもらっておいて悪いんだが、俺は行かなければならないところがあるんだ」

「それはもしかして、私のお父様を殺す命令をした組織に戻るってことかしら?」


 その言葉に心臓が止まりそうになる。彼女はどこまで知っているのだろうか?



「この礼はいつかする。済まないが、俺には時間が無いんだ」


 腰元のポーチに常備しているソウル煙草を咥え、運動能力にブーストをかける。すぐに体の怠さが消え、頭がクリアになった。



「ちょっと貴方、命の恩人に名乗りもせずに消えるつもり!?」


 そう叫ぶミカを置いて、体の限界を超えてラッツは疾走する。



 長い年月をかけて鍛え上げた体は、壊れていたって勝手に動く。内部構造は全く知らない建物だが、地面の匂いと窓の無さでここが地下だと理解した。


 ラッツはこれまでの経験を活かし、迅速に外へと向かう。



「一刻も早く、イレイヌの所へ行かなくては」


 ラッツの予想通り、反体制派の隠れ家は王都の一角にある地下墓地であった。


 しかも王城からもそう遠くない。

 城の高所にある監視塔から、護衛の兵士たちがソウルライトを持って巡回しているのが、ここからでも視認することができた。


 ――なるほど。墓地というのは王都の各所にあり、人間の生理的に忌避される場所だ。それゆえに詮索もされにくい。いい場所を選んだと言える。



 周囲には見張りをしている反体制派の兵士たちがいるが、今の彼らに自分を無力化できるほどの力は無い。存在を気付かれる前に、墓標の隙間を縫うように走り抜ける。


 目的地は、解毒薬の在り処を知る者の場所だ――。




 イレイヌが隠れ住んでいる家は以前から知っていた。というより、彼女と性行為にひたる際は、常にこの場所だったからだ。


 そこに忍び込み、彼女の前に姿を現す。突如現れた彼を見たイレイヌは、驚きの声を上げた。



「ラッツ!? 貴方どうしたのよ!?」


 彼女の視線を追って初めて、自分の異変に気が付いた。どうやら無意識のうちに、鼻孔から真っ黒な液体が流れ出ていたようだ。


 きっと煙草の効果が切れてきたのだろう。ソウルカクテルが再び悪さをしているようだ。



「……それより、お前に頼みがある」

「頼みって、そんなことを言っている場合じゃないでしょう……」


 薬品と同時に、人体の研究も行っているイレイヌだ。ラッツの身体に異常が起きていることは、火を見るよりも明らかだった。


 しかもこの症状は、研究部隊であるイレイヌにとって見慣れたもの。何となく事態を察したのか、黙って話の続きを促した。



「今すぐ解毒薬をくれ。最後の任務で渡された奴だ。……ちなみにだが、ブライアンは死んだ」

「……え?」


 突然の言葉にイレイヌは言葉を失う。


 そんな彼女を無視して、ラッツは淡々と自らの状況を話し始めた。



「どうして俺がまだ生きているのかは分からない。だが残った時間が少ないのはたしかだろう」

「これは私の見解だけど……きっとこれまでに投与された、『ソウルカクテル』の耐性があったんでしょうね。今すぐ解毒してあげたいのは山々なんだけど……」


 そう言ってイレイヌは申し訳なさそうに目を伏せる。その表情だけで全てを察することが出来た。


 ソウルカクテルの配合は任務ごとに毎回異なる。しかもその配合を知っているのは、組織の中でもトップしか知らない。


 つまり彼女ほどの人物でも、この状態は治療できないのだろう。



「気安めになんてならないだろうけど。代わりに、貴方があのバーで私に渡したデータの内容について伝えておくわ」


 そう言うと彼女はノートPC型の再生装置を使い、一つの映像データを再生し始めた。



「これは……」


 そこに映し出されていたのはあの研究者と王族、そして軍部関係者たちの会話だった。


 その内容は『ソウルドライヴ』についての最新な研究結果。『ソウルドライヴ』のエネルギーを長く浴びていると、やがて人体や精神に悪影響を与えるというもの。



「ですので先ほどもお伝えした通り、一刻も早く使用を控えるべきで――」

「それは出来ぬ。我らアルヴァロン王国は、『ソウルドライヴ』ありきでここまで発展したのだ。あくまでもこれを知るのは最低限の者に限り、他の者は――」



 危険性を訴える研究者に対し、首を振る王族。つまり毒性を知っておきながら、利用者には情報を伝えるつもりがないということだ。


 ラッツはイレイヌが焦っていた理由が分かった。たしかにこれは、アルヴァロン王国の根幹を揺るがす情報だった。



「なるほどな。反体制派たちはその情報の引き出すために、あの研究員を尋問していたんだろう」

「それにしても、反体制派はどうしてそんな危ないことを……」

「さてな。正義の味方になろうとでも思ったんじゃねぇか?」


 反体制派が『ソウルドライヴ』について、どこまで知っているかは分からない。


 しかし『ソウルドライヴ』を知ろうとする行為がどれだけ危険なことかは、ラッツたちも知っている。事実、組織は反体制派の動きを怪しんでウィンターフェル家を襲撃させたのだろうし。



「それで、データ元のチップはどうした?」

「研究所よ。私専用の金庫なら堅牢だし、パスワードを知っているのは、私と貴方ぐらいだから……」

「そうか……でもこれで、ようやく合点がいったぜ」


 最後の任務が部隊ではなく単独だったのも、解毒薬を用意されていなかったのも。組織は自分を最初から生かすつもりは無かったのだ。


 やはりチップをイレイヌに託しておいて良かった。



「クソッ、ガレスのジジイめ! 道理で楽な任務だと思ったぜ!」


 怒りのままに拳を壁に叩きつけると、鈍い痛みが走り、膝をついた。


 それを見たイレイヌは慌てて駆け寄るが、ラッツはそれを断る。



「俺は今から……反体制派を利用して、組織にある解毒薬を手に入れる」


 彼はそれだけ伝えると、壁に手をつきながら立ち上がった。



「待って、まさか組織の研究所に忍び込む気なの!? そんなことをしたら、逆に殺されちゃうわよ!?」

「どうせ死ぬなら結果は変わらねぇさ。だったらせめて、一矢いっしでもむくいる方が男らしいだろうがよ」

「ラッツ……貴方、今でも二十年前のことを引きっているのね……?」


 イレイヌはブライアンから、彼の新人時代について聞いていた。そのとき、大事な人をうしなった経験があるということも。


 ラッツは背後から掛けられた彼女の言葉に答えず、再びソウル煙草を使って音もなくその場から消え去った。





 ――その数十秒後。


 部屋に一人残されたイレイヌは、壁に掛けられた絵画の裏から、隠し金庫を開けた。そして部隊員に支給されている通信機器の電源を入れる。



「こちらスティンガー。コードはサンマルフタナナ。ネズミは存命。これから組織の研究所へ、反体制派たちと共に向かう予定。オーバー」

「――コードと内容を確認。ベータに情報収集させた上、迅速に処理する。オーバー」


 簡潔な通話を迅速に終わらせたイレイヌは、大きなため息と共に椅子にもたれかかった。



「ごめんなさい、ラッツ……」


 その言葉は彼に届くことなく、夜空の闇の中へと消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る