彼女が内緒にしている本当の夢は家族旅行です

春海水亭

いつか同じ夢で会いましょぅ


 ◆


 夢という言葉を使う時、なんだか少し首が痛くなる。


 目標という言葉は現実的で、それを使う時は百メートルぐらい先にいるけれど、それでも自分と同じぐらいの身長の奴に話しかけている気がする。でも、夢はビルのように大きく思えて――だから夢について話す時、僕は心の中でビルのように巨大なそれを思いっきり見上げている。


 心の中でそっと呟いてみる。作文を音読するみたいな真面目な感じで、「僕の夢は宇宙飛行士」になることです。ああ、首がとんでもなく痛い。「僕の夢はプロゲーマーになることです」ちょっとだけ、痛みがマシになったような気がする。宇宙飛行士になるためにどれだけのことが必要になるのかはイメージしづらいけれど、プロゲーマーになるためには、とりあえずゲームをしていればいいからその分だけ、小さくなっているような気がする。


 だから詩織しおりが「私の夢は家族で旅行をすることなんだ」と言った時、なんだか首が痛くなさそうでいいなぁと思ったのが正直な気持ちだったんだ。


 ◆


 僕の名前は星上ほしがみ雅彦まさひこ、小学五年生。周りにはドラッグストアとコンビニしかない田舎のマンションに住んでいて、一番近い駅は近くに街灯すらないような無人駅。本当の田舎に住んでいる人に言わせれば、「そんなものは田舎じゃない」なんてことを言うのかもしれない、僕もそう思う。別に周りが自然豊かってわけでもない。ただ、周りには何もないだけだ。けど、何もない場所に住んでいるというよりは田舎に住んでいるって言ったほうがマシな気がするから、田舎に住んでいるって言わせてほしい。


 人生で一番嬉しかったプレゼントは自転車、これのおかげで図書館にもいける。別に本が大好きってわけじゃないけれど、三キロぐらい遠くにある市立の図書館には手塚治虫や水木しげる以外の普通の漫画本がかなりあるから、行けるとかなり嬉しい。

 

 それを教えてくれたのは詩織だった。


 三年生のときの総合の授業で、班に分かれてこの地域の歴史について調べるっていうのがあった。


 僕たち四班はこの地域の祭りについて調べることになって、放課後にそういう資料が沢山ある(郷土コーナーの意味を当時の僕はよくわかっていなかった)県立図書館に集まった。


 四班のみんなが面白くもない子供向けの資料をだらだらと読み漁っているあいだ(詩織だけはやたらと大判の資料を読んでいた)、僕は古臭くて分厚い本にこっそりと文庫のブラックジャック(手塚治虫の描いたお医者さんの漫画だ)を挟んで読んでいた(何かわかった?って聞かれたら、難しすぎて何もわからなかったよって答えるつもりだっった。完璧なアリバイ工作だ)んだけど、背後に回られた詩織にそれを見られてチョップをくらって、僕の完全犯罪は五分ぐらいで崩れた、一話も読めなかったと思う。


 小ブーイングの中(図書館では静かにしないといけないので、ブーイングの声も小さいんだ)集団学習用のテーブルから離れて、にブラックジャックを返した後、もう一回、資料を選び直すことになった。


「ちゃんと漫画を返したかどうか、私がしっかり見張っておくからね」

 なんて言って、詩織がついて来る。

 見張り役なんて必要ない――バレた以上はきっちりとコトにあたるつもりだ、と言ったんだけど詩織はそんなことおかまいなしについてきて、そして僕が返したブラックジャック七巻の隣に、八巻を差し込んだ。


「あーっ!」

 思わず声を上げてしまった。一つのテーブルで二つの同じ犯罪が起こっていたらしい。詩織もでかい本に隠してブラックジャックを読んでいたみたいだ。

 照れくさそうに詩織が笑う。


「そんなに漫画が読みたいんだったら、市立の方の図書館に行くといいよ」

 手塚治虫のコーナーから離れて、郷土コーナーに向かいながら詩織が言った。

「なんで?」

「普通の漫画が結構置いてあるから」

「ほんとかよ?」

「ほんとだよ、ジャンプの漫画もあるよ」

 本当だったらそれはかなりいいな、と思った。

 漫画を買うには自分のお小遣いはかなり頼りない、年に一度のお年玉に頼るかブックオフやコンビニでの立ち読みが生命線だ。けれど図書館で漫画が読めるなら、お金も店の人の視線も気にしなくて良い、かなり最高だ。


「けど、行ったことないな」

「じゃあ、一緒に行こうよ」

 なんてこともないような口ぶりで詩織が言った。

 こうやって班で行動したのが初めてなぐらいで、僕と詩織は一回も遊んだことがない。

 通学路は同じなんだけど、詩織はクラスの人気者で、僕はまぁ、そういう感じってワケでもない。

 なんていうかグループが違う。

 けど、詩織はそういうことを全く気にしてないみたいだった。


「いいの?」

「いいよ?」

 班研究が終わったら一緒に行こう、そういう約束をした。

 それでなんだか力が入って、僕は百二十パーセントの力を総合の時間に発揮したと思う。もっとも百二十パーセントの力を発揮したところで、発表の声がほんの少し大きくなったことぐらいにしか活かされなかったけれど。


 そして、僕たちは二人で市立の図書館に行って漫画を読んだ。

 それを切っ掛けに僕と詩織は仲良くなったんだ。


 ◆


「私の夢は医者になることです」


 五年生になってから三ヶ月、季節は夏。

 僕は、国語の時間に詩織の作文の音読を聞いている。

 教室は人間でいっぱいだ。

 授業参観の日だった、教室の後ろの方に保護者達が並んでいる。

 教科書に夢をテーマにした作品が出てきて、将来の夢をテーマにした作文を書いて授業参観の日に音読しよう、そういうことになったんだ。

 夢というのはなんだか難しい、曖昧で巨大でそいつを見ようとすると首が痛くなってくる。

 とりあえずプロゲーマーになりたいと書いたけれど(少なくともゲームをすればいいってことはわかっている)自分が本当にしたいことはまだわかっていない。


 その点、詩織は自分のやりたいことがハッキリとしていてすごいな、と思う。


「あれ嘘」

「えぇっ!?」

 そんなことを放課後(授業参観日は保護者と一緒に帰る日――のようでいて、クラスに来た保護者達はそのまま保護者懇談会に参加することになるので、結局いつも通りの放課後だ)に詩織に言ってみたら、その三文字で切り捨てられたのでびっくりしてしまった。


「あんだけ書いて、あんだけ言っといて!?」

「あんだけ書いてあんだけ言っといて、全部嘘だよ」

 私は作文がめちゃくちゃ上手だからと続けて、詩織はニヒヒと笑った。


「なんていうか大人ウケみたいなやつがあるじゃん、授業参観だし。こう、医者になるって言ってよく思われたいよね」

「それがありなら、俺も医者みたいな感じにしておけば良かった」

 悩んでも、悩んでも、どうせ自分がなれないような大きいものを見ても首が痛くなるだけだ。

 だったら、自分よりほんの少しだけ身長が高いだけの大人の顔を見ておけば良かった。僕は素直に詩織のことを賢いなと思った。

 そして、一つのことが気になった。


「じゃあ、詩織の本当の夢ってあるの?」

「あるけど、教えてあげない」

「教えてよ、誰にも言わないからさ」

 そう言って頭を下げる僕に、詩織は少し悩んだ顔をして「しょうがないな」と言った。


「内緒だよ」

「うん」

「ホントのホントに」

「大丈夫だって」

「絶対だからね」

「わかってるよ」

 心が沸き立つようだった。

 念を押される度に、何重にも守られた宝箱の鍵を一つずつゆっくり開けていくような気分だった。


「……あのさ」

「誰にも言わないよ」

「いや、そうじゃなくて……」

 詩織は少しだけ不安そうな顔をして、僕を見た。


「笑わない?」

 僕はブンブンと首を大きく横に振る。

 詩織は大きく深呼吸をして、授業参観のときよりもよっぽど緊張しているみたいな表情で言った。


「私の夢は家族で旅行をすることなんだ」

 なんとなくとんでもなく巨大なもののように思っていた詩織の夢が、一気に二メートルのサイズにまで縮んだような気がした。見上げなきゃいけない――と思っても、そこまで大したサイズじゃない、ビルを見上げるよりはよっぽど楽だ。たしかに今すぐに自分で叶えるって言うならば難しいけれど、それでも十分になんとか出来るような、そんな気がして――言ってしまった。


「すればいいじゃんか」

「……そうだね」

 一瞬だけ、詩織がとても悲しそうな顔で僕を見た。

 瞬間、彼女は僕に背を向けて走っていく。


「じゃ、私帰るね!また明日!」

 逃げ去るように行ってしまった彼女を、僕は追うことが出来なかった。


 ◆


七原ななはらさん、転校するそうね」

「えっ」

 夕食の時間、母さんが唐突にそう言った。

 七原というのは詩織の名字のことで、つまり七原さんが転校するというのは――詩織が転校するということだ。


「何も聞いてないけど」

「あら……」

 そう言って、母さんは咄嗟に手を抑えたけれど遅すぎる。

「まぁ、ねぇ、友達だからこそ言いづらいコトってあるものねぇ」

 そう言って、母さんがリモコンでテレビの音量を上げる。

 話題を切り上げようとするのが見え見えだった、けれど、そういうわけにはいかない。

 僕はリモコンを母さんから奪って、電源を切った。


「転校するってどういうこと?」

「まぁ、お引越しするのよ……お仕事の事情で」

 私の夢は家族で旅行をすることなんだ、詩織の言葉がよぎって僕は思わず尋ねていた。


「離婚……するの?」

「そういうのは子供に関係ないわ」

 そう言って母さんは再びテレビの電源を入れる、無闇矢鱈と明るいバラエティ番組と違って、僕の心は沈んでいた。違うならばはっきりと否定すれば良い、母さんの態度が答えだった。

 身体がずっしりと重くなって、僕は自分の部屋に戻った。

 それからしばらく、僕は学校を休んだ。

 何もなかったはずなのに、熱が出た。

 熱にうなされながら、僕は毎年行く家族旅行のことを思った。

 そんなことすら夢になってしまうのか、と思った。


 ◆


 僕が学校を休んでいる間に、転校のことはクラスにも伝わっていたようだった。

 

「まぁ、お別れって言っても、同じ県にいるからさ」

 そう言って詩織が笑う。

「案外簡単に会えるよ、会おうと思えば」

 転校した後のクラスメイトに会ったことは、一度もない。

 いつでも会えるから、友だちになれた。

 いつでも会えなくなったら、僕たちは――どうなってしまうんだろう。

 本、テレビ、インターネット、いろんなものが世界の広さを訴えてくるけれど、僕の世界は自転車で行ける範囲だ、同じ県と言っても彼女は僕と違う世界に行ってしまう。


「あ、お別れ会、高価なプレゼント期待してるぜい」

 冗談めかして詩織が言う。

 僕は何も言えずに、黙って頷いた。


 転校までの猶予は大して残されていない。

 彼女の母親は引っ越しを急いでいるようだった。

 想像しづらいけど、嫌いになってしまった人と一秒でも早く離れたいのだろう。


 僕も急がなければならないと思った。

 何を急げばいいのか、わからないけれど。


 ◆


 蝉が鳴いている。

 空は爽やかな青色、雲は綿あめのような白色。

 本格的な夏が始まる前の一番ちょうどいい夏。

 それでも生きているだけで背中が汗ばんでくる。


 僕は僕に出来ることを探して、そして大してないことを知った。

 離婚を止めることは出来ないし、転校を止めることも出来ない。

 あるいは僕がついていくことも出来ない。


「おーい!」

 詩織が大きく手を振って僕の方に向かってくる。

 引っ越し前で色々大変なのに、どうしてもって時間を作ってくれたらしい。

 待ち合わせ場所は一番近くの駅。券売機とジュースの自動販売機以外には何もない場所。

 一時間に一本、車両は二つ。そんな電車に僕たちは乗った。

 柔らかい椅子に二人で隣り合って座る、車内はガラガラで僕たちしかいない。

 向かいの窓から見える景色はゆっくりと変わっていく。


「誘ってくれてありがと」

「うん」

 お小遣いとお年玉を掻き集めて、僕は詩織を旅行に誘った。

 とても遠くには行けない、県内で収まる範囲の小旅行だ。

 本当なら親に言って、保護者として来てもらうべきなのだろう。そうすれば、もっと遠くにも行けるし、お金の問題もだいぶマシになる。

 それでも、僕たちは二人だけで電車に乗った。


「お父さん、浮気してたんだって」

 詩織がぽつりと言った。誰もいない車内で僕だけがその声を聞いている。


「最悪だなって思うけど、なんか、寂しいなって思う。嫌わなきゃって思ってるのに、そういう時に限って、もっとちっちゃかった頃、みんなで旅行したことばっかり思い出しちゃうの。お父さんもお母さんも笑ってた」

 詩織は隣り合う僕じゃなくて、ただまっすぐに窓を見て言った。

 僕もまっすぐに窓を見た。


「なんだろね、みんなで旅行すれば……全部元に戻るって思ったのかな。お父さんの浮気もなかったことになって、なんかみんなで幸せみたいな……」

 ま、ダメなんだけどね。

 最後の言葉がやたらと大きく聞こえる。

 車内アナウンスが次の駅に到着することを伝える。

 扉が開いて、誰も乗せずに閉まる。

 そして、電車は再び動き出す。


「……ずーっと乗ってよっか」

 詩織が僕の顔を見て、言った。

「帰ることを考えなければ、もっと遠くに行けるから……そこで降りて、二人で帰らないでいようよ」

 いいな、と思った。

 そう出来たら素敵だな、と思う。


「ホントは私も寂しいから」

「僕も」

 寂しいと言った。

 そっか、と言って詩織が寂しそうに笑う。

 そして、「さっきの嘘だよ」と続けた。お金が無くなっちゃうし、そもそも小学生だけじゃどこも泊まれないもんねと言った。


 電車が揺れる。

 車窓から見える景色はどこまでものどかだ。


「あのさ」

「ん?」

「結婚してほしい」


 返事はなかった。

 詩織は言葉も言えないぐらいに驚いていた。


「家族旅行、いつか僕が詩織をつれてくよ」

 他人が聞けば馬鹿にするような台詞を、僕は大真面目に言った。

 結局、今の僕に出来ることは何もなかった。

 だから未来の自分に託すしか無い。


「それが僕の夢だ」

 僕は自分の夢に視線を合わせた。

 首は痛くならない、ほんの少し彼女が低いだけの似た身長。

 その代わり、身体の全身が熱くなった。


「私の夢、そういうことじゃないって……」

 詩織が僕から目線を逸して言う。


「うん、僕の夢だよ」

「そっか」

「うん」

「……ありがと」

 あのさ、それまで絶対浮気しちゃダメだよ。と詩織は言った。


「私もさ、同じ夢を叶えたいな」

 電車がゆっくりと進んでいく。

 早く行けという気持ちと、いっそ止まってしまえという二つの気持ちに揺れながら、僕たちは赤い顔を見合わせた。

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