end

 別人のような笑みで、マルコが尋ねた。痩せたマルコは、ヴィルヘルムとそっくりだった。落ち着かない気分でシュルヴィは答える。


「少しだけ寂しいような……でも、安心した気持ちのほうが、ずっと大きいです」


 偽り隠さない回答に、マルコは愉快げに笑った。


「はっきり言うなぁ。でも、正直なシュルヴィちゃんのほうが、いいね。シュルヴィちゃんが、すごく生き生きしてるから」


 マルコは清々しい顔だ。賑やかな宴場を眺めながら、のことを訊いた。


「あれは、シュルヴィちゃんが、竜に言わせたことなんだろう?」


 リーンノール村での亡き皇后との再会の時のことだ。すべてに気づいているマルコの言い方に、シュルヴィは俯きがちに、だが素直に頷いた。


「はい、そうです。……ごめんなさい」


 シュルヴィが世界竜マーイルマに望み創ってもらった竜――それは、『夢幻竜クミトス』。幻影を見せる竜だった。相手の記憶を読み取り、記憶の中のものを霧の中に映し出す。


 出現させた幻影の言動は、竜を通して操作することもできる。つまり、あの時の皇后の存在や言動はすべてが幻――虚偽だった。


 マルコの性格の根本にあるものは、母から愛情を享受できなかった寂しさだと、シュルヴィは考えていた。認めてもらえなかったことが、ずっと心に空洞を作っていた。空洞のある不完全な心のまま、大人になるしかなかった。


 その空洞を、少しでも満たすことができればいいと思った。そうすればマルコも少しは変わるかもしれない。そこでまるで死者が戻ってきたかのように見せかけて、マルコを騙してでも、理想を叶えようとした。


「すぐにわかったよ」


 しゅんとするシュルヴィへ、マルコは言った。


「母上が僕を、あんなに優しく見るなんて、あんなに優しく声をかけてくれるなんて……絶対に、ありえないことだったから」


 言い切るマルコの瞳にはかげがあった。シュルヴィはどうしようもない哀しみを感じた。マルコは瞳の翳を払うように、青空に輝く太陽を見上げた。若葉を透かす、春の陽射しは柔らかい。


「でも……たとえ嘘でも幻でも、うれしかった。僕は、母上に愛されたかった。出来損ないの息子でも、そのままでいいと、ありのままを愛していると……ずっと、言われたかった」


 マルコは寂しげな、でも前向きな笑顔を見せた。


「良い夢だったよ。ありがとう。人生を仕切り直す、良いきっかけになったと思う。……シュルヴィちゃんが、僕のことをちゃんと考えてくれてることがわかったから。それから何より兄上が……僕を、本当に愛してくれてるってことが、わかったから」


 話は終わったと、呼ばれたカイがそばまで戻ってくる。カイは物思いに沈んでいる表情だ。シュルヴィは何だろうと思った。


「最後に、念のためにもう一度、確認しておきたいんだけど」


 別れ際、マルコは改めてシュルヴィへ尋ねた。


「やっぱり僕とは、結婚したくないんだよね?」

「……申し訳ありません……」


 シュルヴィは表情を強張らせて謝った。マルコはすぐに切り返す。


「じゃあ、せめて、友人はどうかな?」


 片手を差し出された。シュルヴィは瞬いた後、目元を緩めた。


「それはもちろん、喜んで」


 握手を交わす。無理のない関係になれて良かったと、心から思った。行ってしまうマルコの背中を見送ってから、シュルヴィは呟く。


「殿下、変わったわ」

「変わったっていうか、もはや別人だろ」


 カイは不機嫌で、そして落ち着かない態度だ。


「ねえ。どうかしたの?」

「いや、だって……中身がまともになって、見た目も良くなったら、俺……あの皇弟殿下に、勝ち目がない気がして……」

「ばかね」


 シュルヴィは吐息とともに肩を下げた。それからカイへ、優しくほほえむ。


「好きよ、カイ」


 落ち着いたら伝えようと、決めていた言葉だ。


「ありがとう。わたしの願いを叶えてくれて」


 諦めの上にあるものではない、真実の願いだ。一瞬息を詰めたカイは、首の裏に手を当てながら俯いた。


「いや……願いを叶えてもらったのは、俺のほう、かな」


 一陣の風が通り抜ける。ざあっと木の葉が擦れ合う音がして、楽隊の音色と交じり合う。風からは、微かだが夏の気配がした。もう春は終わりに近いのだ。「ねえ」と、シュルヴィはカイの顔を覗き込んだ。


「返事って、まだ待ってくれてる?」


 結婚の申し出の返事のことだと、カイはすぐに気づいた。緊張気味に深く頷く。シュルヴィは頬を朱に染め、顔をほころばせた。


「じゃあ、返事は、『はい』でお願いします」


 カイが感極まるように瞳に嬉しさを溢れさせる。その反応が嬉しくて、シュルヴィはカイの唇へ軽く口づけた。すると強く抱き締められた。シュルヴィも、カイを抱き締め返す。もう離れないように、離さないように。


「わたし、家事はあまり得意じゃないから、良いお嫁さんになれるかは、わからないんだけど」

「いいよ。シュルヴィが、竜以外のことはてんでだめってことくらい、もうじゅうぶん知ってるし。家事も、運動も、歌も苦手だもんな」

「……その通りだけど。はっきり言われると、やっぱり腹立たしいというか」


 腕を緩めたカイが有頂天で訊いた。


「結婚式は? いつにする?」

「えっ、結婚式? は、とりあえず……わたしが、竜騎士になってからかしら。学園を卒業してから」

「卒業……? って、いったい、いつになるんだよ」

「失礼ね。二年くらいで、卒業してみせるわ」

「二年……」


 折良く、階段の下からマティアスの呼び声がした。


「カイ! シュルヴィちゃん! これから校舎の中に入って、みんなで踊りするって!」


 マティアスの隣で、ニーナがこの男はとことん場が読めない、とでも言うように、やれやれと首を振っている。


 結婚式の話題から逃げたかったシュルヴィは助かった。婚約はしても、すぐに結婚するとまでは考えていなかった。嫌なわけはもちろんないが、なんといってもシュルヴィは、竜騎士になる夢の一歩目を踏み出したばかりなのだ。


「ほら、カイ。みんなのところへ、行きましょう?」


 シュルヴィは石階段を駆け下りる。カイはしょぼくれたままついてきた。


(まったく。そんなに残念そうにされたら、明日にでも結婚したくなっちゃうじゃない)


 カイが喜ぶ顔を見たいと思ってしまう。これは相当惚れてしまったと、シュルヴィは困り果てる思いだった。










――「竜と叶うはずのない願い」end ――




   ×××


お読みくださり、ありがとうございました。

その後のお話をいつか書きたいなと思っています。


   ×××


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竜と叶うはずのない願い 砂山むた @sunamuta

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