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「ん?」

「あなた、わたしと一緒に、サウナに入りたいの?」


 カイは一瞬静止した後、聞き返した。


「え? な、何? なんて?」

「捕まってた時、牢の中でマティアスくんと話してたんでしょ。わたしと二人でサウナに入りたいって」

「してねえ! そんな話!」


 シュルヴィは小首を傾げた。


「でも、ニーナがそう教えてくれたわ」


 カイは思い当たる節があるようだった。「あー」と洞窟の天井を仰ぐ。


「……シュルヴィと入りたいとは、言ってないよ」


 伝聞誤りだろうか。シュルヴィはしかし、眉を吊り上げる。


「わたしとはってことは、ほかの女の子とは、二人でサウナに入りたいってこと?」

「そういう意味じゃなくて」

「なら、そもそもサウナに二人で入ることに、興味がないってこと?」

「そういう意味でも、ないけど……」


 カイは何故いまこんな話になっているのかという顔だ。シュルヴィが不満顔で黙りこくると、カイは機嫌をとるように言った。


「そりゃ、シュルヴィとは、入りたいよ。でも、そういうのは結婚してからだろ。アードルフさまに顔向けできない」

「……あなたって、律儀よね。見た目によらず」

「別に、普通だろ。見た目によらずってなんだよ」

「一緒に暮らしてた頃から、ずっとわたしを好きだったなら、キスの一つくらいしてもよかったのに。そうしたらわたしだって、もっと早く、あなたを意識してたかもしれないわ」


 なんてことを言い出すのかと、カイが言葉を失う。シュルヴィは拗ねるように足元を見ながら歩き続けた。


 どうしても考えてしまう。もっと早くカイの気持ちに気づいていたら、自分の気持ちも変化して、いまとは違う未来があったかもしれない。もしくはカイとの限られた時間を、もっと大切にして過ごしていたかもしれない。


 泣き出したい気持ちで顔を上げた。そうして洞窟の先に微かに光があることに気づく。


「見て……先が、明るくなってるわ」


 この地下深くに陽の光が届くはずはない。シュルヴィとカイはどちらからともなく駆け出した。手を繋いだまま、引き寄せられるように洞窟の先を目指す。


 行き着いた場所は水晶の洞窟だった。部屋のような空間に、透明な水晶が四角かったり針のように尖ったりして、地面にも壁にも天井にも形成されている。不思議なのは、水晶たちが内側から光を宿し虹色に輝いていることだ。シュルヴィは幻想的な光景に放心する。


「ここは、何……?」


 見渡していると、最奥に、ひと際巨大で美しい水晶があることに気づいた。傾いた墓碑のような形の水晶で、やはり中で、光が七色に乱反射している。カイが灯り役に疲れた小火竜コッコを召喚元に戻してやりながら、硬い声を出す。


「たぶん……これだ」

「何が?」

「出口。いや、入り口か」

「……出入り口?」


 間の抜けた会話をしていると、墓碑の形の水晶が急に砕け散った。砕け散った、ように見えただけかもしれない。破片が一つも飛んでこなかったからだ。


 水晶の光がすべて失われ、シュルヴィたちは闇に放り出された。次の瞬間二人が立っていた場所は、真っ白な花畑の中だった。


 空は夜になっている。青藍せいらん色の夜空には、しかし月も星もない。代わりに大きな虹が架かっていた。


 白い花畑の奥には小さな廃教会堂がある。壊れた木の扉から、人間の子どもが出てきた。十歳にも満たないような男の子だ。世界竜マーイルマに会えるものだと思っていたシュルヴィは、肩透かしを食らった。しかしすぐに思い直す。何もかも説明がつかないようなこの場所に、普通の子どもがいるわけがない。


 男の子は、シュルヴィたちの突然の来訪を心得ていた様子だった。教会堂の外壁に手を添えると、自慢する。


「いいだろう。この朽ち具合が、良い居心地なのだ」


 男の子は擦り切れた木綿の服を着ていて、足は裸足だ。ぼさぼさの黒髪に、ぎょろりとした金色の瞳をしている。カイが不意に、考えるように顔を険しくした。


「……お前……」

「我はマーイルマ。三千年も生きていれば、人間の姿に変わることなど造作もない。言語を発することもな。ただ、日々退屈でな。人に装い人里でよく暇を潰しているのだ。お前たち、ちょうどわしが家に帰っている時に来られて、よかったな」


 ようやくカイが思い出して大声を上げた。


「お前! あの時、帝都にいた子どもだろ! 兄貴と妹と、一緒にいた!」


 シュルヴィも言われて気づいた。世界竜と名乗るその男の子は、課外授業で帝都の街へ行った日、カイが孤児院へ連れていった子どもたちの一人だった。世界竜もカイの顔を思い出す。


「おおっ。お前は、この間みなしごたちを助けてやっていた、世話焼き」

「どういうことだ? お前がマーイルマだって言うんなら、なんであの子どもたちと一緒に」

「だから、わしは人里でよく遊んでいるのだ。わしが路地でうたた寝していたら、男のわらしに『仲間に入れてやる』と連れていかれた。童らの、家とも呼べぬ隧道すいどうの中に座っているだけで、食べ物がせっせと運ばれてくるから、童の妹と一緒に食べていた、それだけの話だ。まあわしは、それほど頻回に食事をせずとも、童どものようにすぐには死なんが」


 どうやら世界竜マーイルマは、孤児にあやかっていたらしい。シュルヴィとカイは、世界竜への崇高な印象が消え失せていくのを感じた。もっと威厳があり、圧倒される存在だとばかり思っていた。いまも世界竜は、昼寝でもした後なのか大きなあくびをしている。


「――さて」


 世界竜はうっすらと笑った。まるで人間のように表情を操る。


「ここまで来て、しかも、運良くわしに出会えた人間には、わしは望みを一つ叶えてやることにしてるわけだが。お前たちも、さしずめ望みがあってここまで来たのだろう?」


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