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   ×××


 耳の横で、風が悲鳴のように鳴っていた。全速力で飛んでいた流星竜リンドブルムが、ようやく少し速度を落とす。シュルヴィは純白ドレス姿のまま、顔を真っ青にしてカイの腕の中でうなだれていた。


「ああ、やっちゃったわ。どうしよう……お父さまも、リーンノールも、もうすべてがおしまいだわ」


 勢いで、ついやらかしてしまった。もはや宣言通り戻って謝っても済むわけはないだろう。後悔するがどうにもならない。


「だいたいあなたが、『最後にする』だとか、言うから……!」


 後方を警戒していたカイが、シュルヴィへ目を落とす。恐怖と不安、自分の愚かさへの怒りやらで、シュルヴィは涙目になってカイの目を睨んでいた。すると、いきなり唇をふさがれた。ぼんやりとして、離れた唇の余韻に浸りかけたシュルヴィは、しかしまなじりを吊り上げる。


「キスなんて、してる場合じゃないっ!」

「ははっ、ごめん」


 カイは弱々しくほほえんだ。


「シュルヴィが、俺と来てくれたことが、うれしくてさ」


 自信など、まったくなかったという顔だ。シュルヴィは胸に迫り、何も言えなくなってしまう。しばしの無言の後、状況を再確認した。


「……それで? 『マーイルマを見つけた』って、どういうこと? おとぎ話のことなんて言い出して」

「それが、おとぎ話じゃないんだよ」


 カイはふざけたふうもなく言う。


「白竜騎士の間では、実は、常識みたいなもんなんだけどさ。……マーイルマは、実在するんだよ」


 シュルヴィは眉をひそめることしかできなかった。


「実在する?」

「お前と別れてから十日間、俺、白竜騎士の知り合いたちに、マーイルマのこと訊いて回ってたんだ。ただ、なぜかみんな、なかなか教えたがらなくてさ。それでちょっと、時間かかって――」


 流星竜リンドブルムの真横を、火の玉が三つ、高速で通り過ぎた。後方を振り向けば、帝国騎士団の飛竜が五頭、シュルヴィたちを追ってきている。カイは腰にあった黄金の剣を掲げた。


「ファーブニル!」


 剣が発光する。後方に出現した巨大な円陣から、紫色の極大型飛竜、護宝竜ファーブニルが召喚された。護宝竜は騎士団員たちへ毒液を噴射させる。彼らが盾竜キルピィの防壁で対処している間に、カイは再び流星竜の速度を上げた。


   ×××


「わあっ! この季節でも、まだ雪が残ってる!」


 マティアスにとって、リーンノール村を訪れるのは初めてのことだ。ほかの都市の街に比べ、リーンノール村は、時が止まっているのかと感じるほどに長閑のどかだった。


 村によそ者が訪れることは珍しいのか、歩いていると、マティアスは村人たちによく見られていた。その度に、「こんにちはー」と普段通りの愛想の良さで挨拶をする。


 やがてマティアスは、噴水のある広場で足を止めた。春の訪れに氷が解けた噴水は、心地良い水音を響かせている。


「よし。この辺でいいかな。――おおーい!」


 マティアスは上空を旋回していた盾竜キルピィへ声をかけた。黄色い小型飛竜は、全部で十匹いる。すべてカイの契約竜だ。


「じゃあ、頼むよ!」


 盾竜たちは、村の中心部を囲むように散りりに飛んでいくと、力を合わせて巨大な円形防壁を張った。村人たちが何事かと家の窓から顔を出す。玄関からも出てくる。商店街の一軒の書店から出てきた老人が、マティアスに声をかけた。


「おい、お前さん。村に何をしてるんだ?」


 マティアスは礼儀正しくお辞儀をした。


「おじいさん、初めまして。この村の、カイって奴に頼まれて、ちょっと防壁を張らせてもらってます。もしかしたらこの村が襲われるかもしれなくて……あ、僕、カイの友達のマティアスっていいます」

「カイ、って、領主さまの家の、あのカイか?」

「はい。シュルヴィちゃんとも友達で、俺、あの二人を助ける手伝いをしてて」


 老人ティモは話が見えず、首を傾ぐばかりだ。そこへ、村の誰かが声を上げた。


「おい! 竜がたくさん近づいてくるぞ!」


 多数の飛竜と、それに騎竜する帝国騎士団たちの姿が空に見えた。帝国の国旗も風になびいている。


「カイ、シュルヴィちゃんをさらうの、成功したんだ……!」


 マティアスは村人たちへ向き直って叫んだ。


「みなさん! 家の中に隠れて! たぶん、この村を攻撃してくる気です!」


 ティモがびっくりして狼狽える。


「攻撃? なんで村が、攻撃なんて」

「それは、カイがシュルヴィちゃんを、皇弟殿下から略奪したからです!」


 ティモは大口を開けて驚いた。しかし次の瞬間には破顔した。


「そりゃやりおる! カイの奴め!」

「そういうわけで、おじいさん! 村の人たちに協力してもらって、この防壁の外にいる人たちも、ここへ呼び戻してもらえますか?」

「わかったぞい!」


 ティモは、「おおーい!」と足が軽そうな村の若者たちへ呼びかけた。そうこうしているうちに、到着した帝国の竜たちが、防壁を壊そうと攻撃を開始した。盾竜の数が多いため、持ち堪えられそうではあるが、相手側の竜も数がある。マティアスは歯を食いしばった。


「早く戻ってきてくれ、カイ……!」


   ×××


 どうにか追っ手を振り切ったシュルヴィたちは、しばらく飛行を続けた。行き先はカイしか知らない。真っ白で冷たい雲の中を抜けると、眼下に広大な森が現れた。人の手が入っていない、原生林が鬱蒼と生い茂る森だ。


 森を蛇行するように、緑色の川が流れている。そのうちの川に挟まれた小さな島に、カイは流星竜リンドブルムを向かわせた。


 小さな島にも樹木が密生していたが、中央に、ぽっかりと大きな空洞ができていた。空洞は底が深く、上空から地面は見えない。カイは、その暗い空洞へ流星竜を下降させていった。


 やがて空洞の中は、わずかさえも陽の光が届かなくなった。すべてが闇に呑まれる寸前、カイは極小型の赤い飛竜、小火竜コッコを召喚させた。体を火でまとうことができる、小さな灯りが欲しい時に最適の竜だ。


 シュルヴィは周囲を見つつ、カイへ尋ねた。


「この下に、マーイルマがいるの?」

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