五章「たとえ嘘でも幻でも」

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「カイ、あれから十日も帰ってないの?」


 シュルヴィは、対面の席にいるニーナへ驚いて訊いた。シュルヴィにあてがわれた、ポルミサーリ邸の一室だ。互いに長椅子に座り、間には低い卓がある。卓上に用意された紅茶に手を伸ばしながら、ニーナは頷いた。


「はい。どこにいるのか、まったくわからなくて」


 学園を去って以来、マルコのポルミサーリ邸に滞在させてもらっているシュルヴィのところへ、ニーナが午前授業だった午後を使ってやってきた。事前に手紙でやりとりをし、竜騎士学園までは公爵家の竜が迎えにいった。


「シュルヴィちゃんは、どうですか? ここは、居づらくないですか?」

「わたしは快適よ。殿下はよく気遣ってくださるし、邸のみなさんも、親切な方たちばかりだから」


 ニーナはわずかに間を置いた後、神妙そうに確認した。


「殿下とは、夜、一緒に寝てるんですか?」


 その手の話題に、思わずシュルヴィの頬に朱が差す。


「眠る時は、もちろんまだ別よ。殿下は紳士な方だもの。結婚するまでは、その辺りはちゃんとしてるわ」


 動揺を抑えるように、シュルヴィも紅茶を手に取った。れ立てだったことを忘れ、そのまま口をつけてしまい熱さに舌が痛くなる。ニーナは考え込むように、琥珀色の鏡面に視線を落とした。


「わたしは、深い事情は知りませんし、何もできませんし、口を挟むのもおこがましいとは思いますが……――カイくん、かわいそうだったと思います」


 シュルヴィは沈黙した。マルコとキスをするところを見せれば、覚悟の程をわかってもらえると思った。だが荒業だったのは間違いない。


「シュルヴィちゃんの気持ちだって、そうです。このまま殿下と結婚をして、シュルヴィちゃんは、本当にいいんですか?」

「……わたしは大丈夫よ」

「本当に、本当にですか? だってシュルヴィちゃん、殿下と一緒にサウナに入って、ドキドキするんですか? カイくんと入った時のほうが、ドキドキするんじゃありませんか?」

「な、なんで、急に、サウナなの?」

「捕まってる時、カイくんとマティアスくんが、一度くらいは恋人とサウナに入ってみたかったという話をしてまして」

「牢の中で、なんて話をしてるのよ……」


 シュルヴィは呆れの溜め息をつきながら、カイの裸を思い出した。竜の祈りで倒れ、介抱していた時に、少し見た。記憶にある子どもらしさは影もなく、男性の体つきになっていた。


 そんなカイと、自分も布一枚となり、二人でサウナに入る――想像をして、瞬時に頭に熱がこもった。シュルヴィは熱と妄想を追い払うように、頭を振った。


 叩扉こうひの音がした。マルコだった。


「お友達が来るって聞いたから、お菓子をたくさん用意させたんだけど、どうかな?」


 入ってきた使用人たちが、卓を埋め尽くさんばかりの菓子を置いていく。マルコは自然の流れのように、シュルヴィの隣に座った。ニーナの目は、宝石のように光り輝く菓子たちに釘づけになる。


「あ――甘いもので、わたしを手懐けられると思うとは……みみ、見くびらないで欲しいものですっ! わたしは、カイくん派です! ……が、しかし。くれると言うのならばいただきましょう。これ全部食べていいんですかっ!?」

「もちろんだよ」


 マルコがのほほんと返す。ニーナはまるで、三日ぶりの食事でもしているかのように、夢中で菓子を食べ始めた。カイには辛辣しんらつなマルコだが、シュルヴィの友人であるニーナには、シュルヴィ同様対応が手厚い。


「……ねえ、ニーナ。明日、遅れていたわたしたちの式を挙げることになってるの。わたしの結婚式に、ニーナも出てくれない?」


 シュルヴィは、卓の菓子が半分ほど減ったところを見計らい、誘ってみた。ニーナがパンケーキにかじりついたまま動きを止める。アードルフ以外、婚儀に呼ぶ人もいない。シュルヴィの瞳が寂しげだったからか、ニーナはこくりと頷いた。


 今日中に宮殿へ移動しておく手筈てはずだったため、夕方、シュルヴィたちは帝都へ発った。竜騎士学園も、明日は七日に一度の休講日だ。湖に浮かぶ帝都の街が見えてきた頃、反対の湖岸に学園の敷地と校舎が見えた。


「マティアスくんも、一緒にシュルヴィちゃんに会いに行かないかって、誘ったんですけど」


 飛竜の背の箱の中に乗りながら、ニーナが小窓の景色を覗いて言う。


「勉強しないといけないからって、断られました。けど、汗をかいて目を泳がせていたので、確実に嘘です。明日は休みですからね。どうせ今夜は、どこかの男子の部屋にみんなで集まって、いかがわしい本でも見るつもりなんですよ」


 ニーナの話に、シュルヴィよりも、マルコのほうが落ち着かないように頬を赤くしていた。


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