27

「シュルヴィ! 待ってくれ!」


 カイはマルコに構わず叫んだ。シュルヴィは痛ましい思いで眉を寄せる。マルコが怒鳴り声を続けた。


「のこのこと出てきて! 処刑されたいみたいだな、お前ぇっ!」


 マルコはカイへと踏み出そうとした。しかし盾竜の防壁に足止めされる。


「兄上! この壁を通してくれよ!」

「しかしマルコ。それではお前が濡れてしまうぞ」

「カイ」


 シュルヴィはよく響く声で言った。


「わたし、殿下と結婚するわ」


 シュルヴィの発言に、マルコの気勢は削がれる。カイは当たる雨粒に構わず目を見開いた。


「あなたのおかげで、この十日間、本当に楽しかった。結婚をする前の、良い思い出作りになったわ。ありがとう」


 シュルヴィはマルコを見上げた。


「殿下、行きましょう。結婚を延ばしてしまったこと、申し訳ありませんでした。少し、心残りがあったものですから……でも、もう済みました」


 マルコはすべての気がかりを呑み込み、シュルヴィに話を合わせた。


「ううん、いいんだよ。問題ないよ。つまり、僕とは結婚してくれるってことだもんね。結婚前に花嫁さんが不安になるっていうのは、よく聞く話だし……もう気にしてないし、怒ってないし、平気だよ」


 マルコは、ふくよかな唇を無理やり広げ笑顔を作る。それから丸い体を球のように弾ませ、シュルヴィに続いて箱に乗ろうとした。しかし階段を上る途中で、やはりカイへひと言文句を言わずにはいられなくなり振り返った。立ち上がれずにいるカイを見下ろす。


「今回だけは、特別に見逃してやるよ、間男。シュルヴィちゃんが、僕の元へ帰ってきたからね。でも、その顔を二度と僕に見せるんじゃない」


 騎士団員の操縦で、シュルヴィとマルコは大型飛竜で先に飛び立った。残るヴィルヘルムが、雨に打たれるカイへ話しかけた。


「カヴェリには、悪いことをした。リーンノール卿に口を割らせようと、剣を振り上げた時に、間に入ってきてな。……主命に忠実な、見事な最期だった」


 他の騎士団員たちとともに、ヴィルヘルムも灰色の空へ飛び立った。雨は、なおも降り続けていた。


   ×××


「つまり、シュルヴィちゃんの正体って」


 シュルヴィが学園から去った翌日の昼休憩時、ニーナは教室でマティアスと話をしていた。


「二百年以上続く、エデルフェルト家のお嬢さまだね。代々、リーンノール伯爵を襲爵しゅうしゃくしてる。つまり、貴族だよ」

「貴族!?」


 目を剥き、ニーナは全身で大仰に驚く。


「貴族って、領地があってそこに住む人から税を奪って、働かずに悠々と暮らすことができるという噂の、あの!?」


 マティアスは苦笑する。


「ちょっと悪く誇張してる気もするけど、その貴族だね」


 それからマティアスは、深く考えるように顎に手を当てた。


「家名があったから、良い家の出だろうとは思ってたけど……まさか、あの悪評だらけの皇弟殿下の婚約者だったなんてね。ちゃんと調べてたら、もっと早くわかっただろうなぁ」


 ニーナも珍しく真剣に悩み込む。


「シュルヴィちゃんは、カイくんのことが、好きなはずなんですけど……」


 マティアスは同情するように眉尻を下げた。


「望まない結婚、ってことか……」

「何か、わたしたちにできることが、あればいいんですが……」


 「そうだなぁ」と、マティアスが同調した時、カイが教室へ飛び込んできた。頭に癒竜パランターを乗せている。


「カイ! もう大丈夫なのか?」


 カイは真っ先にマティアスの前へ来ると、両肩に強く手を乗せた。覚悟のこもった目で言う。


「マティアス! 頼む! シュルヴィを連れ戻すの、手伝ってくれ!」


 マティアスは面食らった。


「つ、連れ戻す、って」

「シュルヴィは、脅されて結婚するようなもんなんだよ。父親にも村にも、迷惑がかかるからって。領主の娘なんだから、望まない結婚も、村の利益になるなら当然だって――あーもうお前、ちょっと重いから頭から降りろ!」


 カイは頭の癒竜を鬱陶しくする。極小型竜とはいえ、質量は石と同じくらいだ。首に大いに負担がかかる。手で払われて、癒竜はふわりと飛行し、カイの頭上をくるくると旋回した。カイはマティアスの両肩に手を戻す。


「お前だけが頼りなんだよ、マティアス! シュルヴィのために、頼む!」

「……俺だけが、頼り……」


 頼まれたら弱いマティアスは、よくわからないながらも、徐々にやる気になっていった。


「うん……わかったよ。俺に手伝えることなら、何でもやるよ……! 任せて!!」

「助かるマティアス――うっ」


 癒竜パランターがまたカイの頭に乗った。重さにカイは首をすくめる。ニーナが勢いよく手を挙げた。


「わたしも、シュルヴィちゃんを助けに行きます! 手伝います!」


 カイは「え」と声を漏らした後、考えるように視線を泳がせた。


「あーうーん……。まあ……いないよりは、ましかぁ」


 そして改めて二人を向いた。


「よし。じゃあ、作戦を話すぞ」


   ×××


 ポルミサーリ地方は、帝都とリーンノール村の、丁度中間辺りに広がっている。マルコが住まうポルミサーリ邸があるのも、その領地内だ。


 学園を出て以来、シュルヴィはずっとポルミサーリ邸に滞在していた。目の前の白磁の円卓には、茶と焼き菓子が用意されている。硝子張りの二階のテラス室には、運び込まれた土に植物が植えられ、緑も楽しめるようになっていた。


 開放された両開きの窓からは湖も望める。晴れの日には、実に気持ちの良い景色だろうが、今日はあいにくの曇天だ。先日の大雨を引きずるように、雲は晴れない。明日には青空が眺められるだろうか。


「――でも、驚いちゃったな。シュルヴィちゃんは、竜騎士になりたかったんだね」


 対面に座るマルコが話しかけてきた。一日中、食事の時も茶休憩の時も、マルコが一緒だ。シュルヴィが読書をしている時ですら、マルコはそばで話しかけてくる。


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