四章「努力はすべて、無意味だったと」
26
空には重苦しい黒い雲が垂れ込めていた。遠雷の
学園の医務室の寝台の一つに、カイは眠っていた。枕元には
カイが倒れてから、シュルヴィはずっとそばで介抱していた。初日のカイは、ひと晩中苦しんだ後、明け方に気を失うように眠った。時間が経たないうちにまた苦しみで目覚めたが、癒竜でわずかながらも痛みを緩和したら、浅いながらもまた眠った。いまも、多少ではあるが落ち着いている。
通常ならば、あまりの苦しみに眠ることすらできない。痛みでじっとしていることができず、寝台の上でもがき苦しむ。殺してくれと願う者もいるほどの苦痛を、三日の時が過ぎるまで、ただ堪えるしかない。
二度と経験したくないと誰もが思うことをカイはすでに三度身に受けていて、今回で四度目だ。回数の多さは、竜の数を増やすために無茶をしたゆえだ。シュルヴィは手元にある手紙に目を落とした。カイの制服の内側に入っていた、マティアスが気にかけていた手紙だ。何度となく読み返した、アードルフの筆致のその手紙を、シュルヴィはまた読み返す。
『カイ。
殿下はやはり、望みを受け入れてはくれなかった。一度シュルヴィに会わせろと言うばかりだ。
だが会えば、お前たちが無事でいられることはないだろう。皇帝陛下が、お前たちの行方を捜させている。私が頑なに口を閉ざそうと、いずれ学園に行き着くだろう。
いますぐシュルヴィと逃げなさい。どこか遠くへ、住む場所や名前を変えて。生きづらくはあるが、お前たちならばきっと上手く事を運べる。
私や村のことを気にかける必要はない。村は、私が必ずどうにかする。
シュルヴィは、お前とともにあるほうが笑っていられると思う。
幸せに、なりなさい。』
この手紙をカイが受け取ったのは、竜の祈りで倒れる二日前のはずだ。逃げる猶予はあった。けれど、カイは逃げることはできなかったのだろう。アードルフとリーンノール村を捨てて逃げることなど、できなかった。
「……相談、してくれれば良かったのに」
答えが出たかはわからないが、一人で考え悩むより、二人のほうがまだ気は楽だったかもしれない。
窓の
呼び出しに応じ、シュルヴィは学園の玄関口まで行った。玄関口前の廊下には、騒ぎを見に来た大勢の生徒たちがいた。ニーナとマティアスの姿もある。二人とも驚き、戸惑っていた。
シュルヴィは表情もなく、玄関口の大きな
アードルフと目が合った。最後に会った時よりも、アードルフは痩せていた。シュルヴィが学園で自由に過ごしていた十日間、代わりにアードルフが不自由な思いをしていた。
「あっ、シュルヴィちゃん!」
マルコが、プルックに付き添われるシュルヴィに気づく。目の前まで駆けてきた。
「無事だったんだね。安心したよ。――へ、へへっ。ちょっと、驚いちゃったな。式の直前に、いきなり、その……へへっ」
無理に笑おうとして、マルコの笑顔は引きつっていた。ヴィルヘルムがゆっくりと近づいてきてマルコの横に立つ。マルコは覚悟を決めたように言葉にした。
「でも、嘘、だよね? だってそんな……結婚を、やめたいだなんて……」
シュルヴィが無言でいると、ヴィルヘルムがマルコの肩に手を添えた。
「マルコ。シュルヴィさんとは、邸に戻ってからゆっくりと話せばいい」
シュルヴィはマルコやヴィルヘルムとともに、待機する飛竜へ歩き出した。途中、アードルフが声を上げた。
「シュルヴィ!」
「……お父さま」
シュルヴィは、アードルフの頬に触れた。
「ごめんなさい。無理をさせて」
シュルヴィはヴィルヘルムを見上げた。
「父を、いますぐリーンノールへ帰していただけませんか?」
「……それは、これからのシュルヴィさん次第だ」
「わたくしは、もう二度とこのようなことはいたしません。どうかお願いします、陛下」
ヴィルヘルムはシュルヴィの願いを聞き入れ、騎士団員に目線で指示した。連れていかれるアードルフは、抵抗しながらシュルヴィへ言った。
「すまないシュルヴィ! すまない……」
無力さを悔やむアードルフに、シュルヴィはほほえんだ。
「ありがとう、お父さま。わたし、もう大丈夫だから」
ヴィルヘルムが
「シュルヴィ!」
カイだった。玄関口から雨の中へ飛び出たカイは、だがすぐに足をもつれさせて転んでしまう。そのまますぐには起き上がれず、肘から何度か崩れる。
カイを目の当たりにしたマルコは、怒りで顔を真っ赤にし唾を飛ばした。
「お前だな! シュルヴィちゃんをたぶらかした、間男はっ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。