三章「大した人間じゃないよ」

17

 午後の授業は野外授業だった。野外授業は三日に一度と頻繁にあり、学園周辺の森で行われる。竜の観察が主な目的で、人によっては契約に試みる者もいる。


 各々が自由に行動できるため、シュルヴィはニーナと二人、湖畔で何をするでもなく座っていた。遠くにぽつぽつと浮かぶ島影が、陽光に煌めく湖面の上で、おぼろげに見えている。


「ああ……眠くなってきました。今日はぽかぽか陽気の、良いお天気ですし」


 ニーナは大きなあくびを一つして、青草の上に寝転んだ。


「野外授業の時間は、いつも、昼寝をするって決めてるんです。すみませんが、おやすみなさい」


 ニーナは即座に眠ってしまった。よだれまで垂らした幸せそうな寝顔である。陽射しを遮ってくれる枝葉の下は、なんとも気持ちが良く、昼寝には最適だ。しかし、ニーナは竜騎士になるために、早く他の竜と契約しなくてはならないはずだ。大丈夫なのだろうかとシュルヴィは心配した。


 けれど他の生徒も、積極的に契約をしようとする者はごく一部だった。真面目に竜の観察をする者すら少ない。湖での水遊びに熱中している生徒までいる。


 竜騎士として仕事にありつけるのは、入学した生徒の半分ほどだという。半ば諦めている者も多いのが現実らしい。それだけ、竜と契約するのは難しいということでもある。


 湖面を風が吹き抜けた。初春の風が、頬を掠めていく。湖のさざ波は、寄せては引いてを緩やかに繰り返していた。その湖の浅瀬に、マティアスの姿があった。マティアスは靴を脱ぎ、制服の下衣を膝までまくった状態で水に入っている。そうして同じく浅瀬にいる、一頭の水竜ヴェシーに頬をすり寄せていた。


「マリアンナ! 元気にしてたかぁ?」


 水竜は、青緑色の中型歩竜で、首が長い。胴体はふっくらと丸い形をしていて、口から清らかな水をいつでも出すことができる。水は非常に美味だが、口から出された水は気持ちとして飲みたくなく、シュルヴィは飲んだことがない。


 シュルヴィは、昼寝をするニーナをそのままにして、マティアスへ近づいた。


「このヴェシー、マティアスくんの?」


 マティアスは弾ける笑顔で頷いた。


「うん、そう! マリアンナって言うんだ!」

「……名前、つけてるのね」


 人と竜は主従関係だ。使役道具のような扱いのため、カイなどは名前をつけていない。名前をつけることで愛着が出て、使役しづらくなるという理由で、同じように名付けない竜騎士は多い。マティアスは、水竜を抱き締めながら語った。


「マリアンナとの契約は、運命だったんだ。あれは一年前、今日のように、気持ち良く晴れた日の、午後のことだったんだけど――」


 契約のための緩い攻防話を聞きながら、シュルヴィはカイの姿をさりげなく探した。野外授業は組合同のため、カイも外に出ているはずだ。赤い髪色が目立つため、やや離れた木立のそばにいるカイをすぐに見つける。他の組の友人たちと談笑していた。


 てっきりカイは、ずっとシュルヴィのそばに来るかと思っていた。だがカイがシュルヴィに積極的に関わってきたのは学園初日だけだった。以降三日間、放って置かれている。昨日などはまるで会話をしていない。


 せっかく再会したというのに話さないことに、寂しさを感じていた。考えて、シュルヴィは慌ててマティアスと水竜へ視線を戻す。一日話さない程度で何だというのだ。やはり、三年ぶりに会い、想いを伝えられてから、調子は狂い通しだ。


 上空から竜の鳴き声が聞こえた。シュルヴィとマティアスは空を仰いた。野生の飛竜が二頭、淡い青色の空を飛んでいく。


「……マリアンナはかわいいけど、やっぱり、飛竜が欲しいなぁ」


 マティアスがぽつりと呟く。


「俺、大型飛竜と契約するよう親に言われて、この学園入ってるんだ。俺の家、大陸南西の運送事業を取りまとめてる、ちょっと大きな家なんだけど――上の兄貴たちは経営学んでるけど、俺はしょせん三男だからかな。『運送会社の家の者が、一人も飛竜を扱えないなんて、格好がつかない』とかなんとか、そんな理由でここ入れられて」


 マティアスは、自嘲気味に薄く笑った。


「でも、大型飛竜と契約するとか、死ぬよね、普通に考えて。俺、親に死ねって言われてるのかなー、なんて……へへ」

「……マティアスくんのご両親って、厳しい方なのね」


 飛竜との契約は、当然ながら最初の一頭が最難関だ。飛竜を持つ他の竜騎士に助力をうか、もしくは自分で棲息地に行き巣を狙うかなのだが、どちらにせよ、自分を認めさせることが必要だ。竜は人の数倍の寿命を持つ誇り高き生き物だ。主人にふさわしいと認めなければ、命を取られそうになっても潔く死を選ぶ。だからこちらも命の危険を冒す覚悟がなければ、上級竜に分類される中型以上の飛竜とは、契約できない。


「カイは、飛竜ばっかり狙って契約しまくってたなぁ。白竜騎士になるためには、百頭中、上級竜が五十頭以上っていう条件もあるからだろうけど、それ以上契約してるもんな。そのせいで怪我もよくして、頭切ったり骨折ったり」


 シュルヴィは刹那、息を詰まらせた。竜百頭と契約したのだから、怪我はあっただろうと思っていた。やはりそうなのか。マティアスは、水竜ヴェシーにもたれるようにして、背に腕と顎を乗せる。


「俺とは、覚悟が違うなぁって感じだよ。なんでそんなにすごい竜騎士になろうとしてるのかは、訊いても教えてくれなかったけどさ。ほんと、真似できないよなぁー。竜の祈りも、三回やってるし」

「え……」


 今度こそ、シュルヴィは声を漏らした。竜の祈りを受けた話など、カイはひと言も話してくれていない。呆然とした時、森を切り裂くような叫び声が響いてきた。間を置かず、男子生徒が一人、ひどく焦りながら森から駆けてきた。


「プルック先生は!?」


 野外授業の監督者は、各教科の教師の交代制だ。今日はシュルヴィの組担任のプルックのはずだった。誰かが答える。


「プルック先生なら、『カイがいるなら俺いる必要ないよね』って、さっき街に遊びに行ったよ」

「え、ええーっ? カ、カイーっ!」


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