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「カイくんは、基本的に人当たりも良いですし、誰にでも優しいですから。友達も多くて、男子たちとはよく派手に笑ってて。でも竜騎士として熱はあって、優秀で。髪が赤いせいで、ちょっと不良っぽい容姿なのに、さらに女の子には奥手って感じが、女子人気甚だしいわけです。恋人になったら自分だけを特別に大切にしてくれそう! って。お金も稼いでくれそうですし」

「最後のでちょっと、台無しのような」


 とにもかくにも、カイの現況は完全に呑み込めた。正直、想像もしていなかった。飼い犬に噛まれたような気分だ。カイと一緒に暮らし始めた頃のことが思い起こされる。あの頃シュルヴィは、カイの世話をとにかく焼いていた。体を洗うことを手伝おうとし、食事は調理場から運び自分で並べるのだとか、洗濯は天気の良い日にまとめてしているのだとか、掃除用具は階段下の物置場にあるのだとか――邸での暮らし方をすべて教えた。


 ほかには、文字を教えたり、竜の話を聞かせたり、買い出しや山菜採りにもよく連れ回したりした。まるで弟分ができたようで、どこへ行くにも一緒だった。


 考えてみれば、シュルヴィには生意気で、よくからかってもくるカイだが、アードルフに対しては常に素直だった。村のみなにも丁寧な応対だし、それは若い娘たちへも同じだった。相手が傷つくようなことは絶対に言わない。察しが悪いわけでもない。考えるほどに、カイは世の男の中で魅力的な部類に入ると思われた。


「あれ? シュルヴィちゃんとニーナも、覗き見?」


 突然背後から声がした。驚いて振り向けば、爽やかな笑顔のマティアスがいた。ニーナが「出たっ!」と身を引くと、マティアスは「え、何? どうしたの?」と当惑する。マティアスも、シュルヴィとニーナ同様、カイのことを覗いた。


「エルサちゃんを好きな友達から、振られるところ確認してきてって頼まれてさ。『傷心の時は好機だから』って」


 女子生徒はエルサという名らしい。シュルヴィは、カイとエルサへ視線を戻す。エルサは栗色の長い髪をリボンで結った、なかなかに可愛らしい外見だった。


 シュルヴィは、まるで工夫していない自身の髪型を見下ろす。ただ下ろしているだけの真っ直ぐな金髪は、くしかしている程度だ。髪の編み込みでもしてみたら、カイはどんな反応をするだろう。


 顔を上げたところで、カイが気まずげに何事かを言い、エルサが涙を瞳に溜めて走り去った。カイは彼女の背を目で追いながら、申し訳なさに表情を暗くする。シュルヴィは、エルサに哀れみを抱きつつも、カイが気持ちを沈ませていることが面白くなかった。本当は少し、彼女に気があったのではないか。理不尽に責めたくなって、自らの心の向く先に困惑する。


「ああー……。また一つ、失恋が生まれちゃったね。カイはほんと、難攻不落の砦みたいだよ」


 ニーナが同意する。


「カイくんに告白するのは、穴の空いた硬貨袋にお金を入れ続けるようなものです」

「ははっ。確かに、あまり意味がないかもね。食堂の日替わりスープを、『ちゃんと日替わりにしてくれ!』って、料理長に頼むようなもの。毎日のスープばっかり」

「プルック先生が、仕事を辞めるために一攫千金を狙って、賭博に通うようなものです」

「うんうん。クッカの花を、抜き続けるようなものだよね」


 ニーナがぴくりと肩を反応させたが、マティアスは気づかず笑っている。教師が賭博に通って良いものなのかと、シュルヴィは気になった。マティアスは可笑おかしそうに笑い終えてから、シュルヴィたちへ言った。


「それにしても、二人は仲良くなったんだね。良かったね、シュルヴィちゃん。ニーナも。ニーナは、ずっと友達いなかったから」


 言葉の裏表などあり得そうにもない、底抜けの明るさだった。ニーナは愕然として、屈めていた背筋をすっくと伸ばす。マティアスへ人差し指を突き出し、息巻いた。


「そ、そうやって、わたしのことをばかにできるのも、い、いまのうちです! わたしは、シュルヴィちゃんの友人という立ち位置を得ました。それにはもれなく、カイくんもついてくるわけです! わたしの、学園における階級は急上昇。マ、マティアスくんのような、お金持ちの勝ち組で、貧乏人なんて道端の雑草と見なす人間など、これからはもう、わたしだって、目じゃないんですよ!」


 いきなりのニーナの剣幕に、マティアスは狼狽えた。


「えっ? ごめん俺、何か、気に障ること言っちゃった?」


 助力を求めちらりと見られるが、シュルヴィもよくわからない。成り行きを見守るばかりだ。マティアスは、ニーナの機嫌をどうにか良くしようと試みる。


「ご、ごめんね、ほんと。俺よく、『マティアスは天然だよなー』とか言われるんだけど、そのせいかな。天然とか、定義も曖昧だし、よくわかんないんだけどさ……。とにかく俺、ニーナを雑草だなんて、思ったことないよ! 本当、ニーナのことは、そもそもそこまで深く考えもしないっていうか!」

「雑草という背景の一部ですらない存在だと言いたいんですか! どこまで失礼なんですかっ!」


 マティアスはたじろぐばかりだ。ニーナの主張は、単なるひがみによる私怨だと、シュルヴィには思われた。無論マティアスの性格も、多少は影響しているかもしれない。


「何してるんだよ」


 呆れた声が割って入った。気づけばカイがすぐ後ろに立っていた。マティアスはほっとしたように話題をカイへ変える。


「見てたぞー、カイ。お前、ほんと罪作りな男だよな」

「わざわざ見物か。暇だなぁ」


 脱力するカイの目と、シュルヴィの目が合った。カイは怒るような、照れ臭いような顔になる。


「三年会わないうちに、お前は、覗き見が趣味になったわけ」

「偶然通りかかっただけよ」


 シュルヴィは澄まし顔で返した。四人で歩き出しながら、ニーナが口を開く。


「でもまあ、エルサちゃんも、挑戦者ですよね。十年来の付き合いがある相手になんて、叶うわけないって、女子たちみんなが話してるのに」

「十年?」


 カイが問うと、ニーナは「あれ?」と首を傾げた。


「え、だって、カイくんは……」


 ニーナがはっとして口をつぐんだ。だが言い出してしまったからには、もう誤魔化せない。おずおずと続ける。


「あの、その……カイくんが、八歳の時に戦争でご両親を亡くされて、以来里親の元で育ったというのは、学園内の女子みんなが知る事実といいますか……その哀れみを誘う境遇も、人気に拍車をかけているといいますか……」


 戦争が終わったのが十年前、だからニーナは言っていた。カイは冷めた視線をマティアスへ向ける。


「そういえば、入学したての頃、会話の途中でそんな話もしたかもなぁ。その輪に、お前もいたっけ」


 マティアスは、一旦目を逸らした後、覚悟を決めて弁明した。


「違うんだ、カイ。繊細な事柄だから、俺も勝手に言っていいのか、すごく迷ったんだよ。けど、『教えてくれなきゃ死ぬ!』っていう女の子が、二、三人いて……そこまで深刻ならって、その子たちだけに教えたんだけど、気づけば学園中に広まってたんだ。ごめんなさい」


 素直に謝るマティアスに、カイは、「別にいいけどさぁ」と吐息する。


 結局四人で花竜クッカのところへ遊びに行った。花竜を自慢しても反応の薄いマティアスに、ニーナが突っかかる様子を眺めている間、カイは言った。


「ちゃんと、断ったから。好きなが人いるから、って」


 シュルヴィは、一拍間を置いた後に確かめた。


「好きな人って?」


 一世一代の告白を、よもやもう忘れたのかと、カイは目を見開く。シュルヴィは慌てて言い足した。


「か、確認よ、ただの。わたしのことで、本当に合ってるのかなぁー、って」

「合ってるよ」


 即座に肯定され、シュルヴィは恥ずかしさに、「そう」と中空を見やった。


 実感する。カイは本当に、真剣に好いてくれているのだ。自分が他の女性より特別な存在なのだと思えば、シュルヴィの心臓の鼓動は速くなる。


 自分の気持ちについて考える。カイのことを、好きなのだろうか。はっきりとした答えを出すには、まだ何かが足りない。決定的な証拠が欲しい。


「……でも、安心したわ。三年間、ちゃんとやってたのね」


 評判について、シュルヴィは褒めた。カイは溜め息をつくように返した。


「だから言ったろ。それなりには、ちゃんとやってたって」


 面映おもはゆそうにするカイに、シュルヴィは頬を緩めた。


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