13

 ニーナは呼び声に反応し、その主がカイだと気づくとさらに肩を跳ねさせた。驚いて、花竜クッカから転げ落ちる。シュルヴィとカイは慌てて花竜のそばへ寄った。


「カ、カイくん!」


 体を起こしたニーナは、頬を染めながらずれた眼鏡を掛け直した。カイの隣にいるシュルヴィのこともちらりと見る。


「大丈夫か? 何してんのお前。クッカの花なんて抜いて」


 カイは以前、シュルヴィの組だったと言っていた。つまりニーナとは元同組同士だ。ニーナは額の汗を手の甲で拭いながら答えた。


「クッカと契約をしようと思いまして。こうして花を抜いて、弱らせているところなんです」


 思わず、シュルヴィは口を挟んだ。


「それ、たぶん逆効果よ。クッカは、花を咲かせるのは得意だけど、枯らすのは苦手なの。だから次の花を咲かせたくても、花が枯れるまではできなくて、いつも困っているの。数日に一度花を全部抜いてあげると、クッカは体調も機嫌も、すごく良くなるのよ」


 いきなりの解説に乗り切れないニーナに、シュルヴィは制服の胸元の隠しから、手の平大の本を取り出した。入学時に揃えた教材の一つ、竜の簡易図鑑だ。


「ほら。図鑑のクッカの記載にも、書いてあるんだけど」


 シュルヴィの手元を、カイが片眉を上げて覗き込む。


「お前、図鑑なんて持ち歩いてるの?」

「当たり前でしょ。入学説明時にも、常に持ち歩くよう言ってたじゃない」

「そんなもの、誰も持ち歩いてねえよ」


 シュルヴィは衝撃を受けた。学園からの指示なのに、みな真面目に守っていないというのか。ニーナの視線に気づき、シュルヴィは図鑑を持ち歩く件はひとまず後に回す。


「とにかく、花を抜いても、クッカは疲れるどころか気持ち良くなるだけなのよ。契約をしたいなら逆効果」


 親しくもない相手から、いきなり偉そうに助言されても迷惑だろうか。しかし、基礎中の基礎とも言える知識だ。役立てただろうかと、シュルヴィはニーナの反応を窺う。するとニーナはがくりと膝を落とした。地面に手までつく。


「そんな……もう、五日も昼休みを潰して、がんばってたのに……いままでの、わたしの苦労は……」


 猛烈なへこたれように、シュルヴィは励まさなければという気持ちになった。


「五日で済んだって、前向きに考えましょう? いまからやり方を変えたらいいんだわ。クッカの弱点についても、図鑑に載ってるから」


 見せようとすると、ニーナに手の平を突き出された。


「あ、わたし、本を読むと、眠くなる持病がありまして。図鑑とかは、ちょっと」


 シュルヴィは思わず瞬きをした。彼女は冗談を言っているのか。それとも、シュルヴィの知らない未知の病が存在するのか。当惑しながら、慎重に返す言葉を選ぶ。


「それは……大変な病気ね」

「そもそも、クッカなんかと契約して、どうするんだよ」


 カイが口を出した。


「花屋でもやる気か? つっても、クッカに生える花なんて、その辺に生える野草だけだから、誰も買わないだろうけど」

「わたし、学園に入って三年も経つのに、まだ一頭の竜とも契約できていませんから」


 ニーナはスカートの土埃を払いながら立ち上がった。


「このままじゃ、竜騎士になれません。一日でも早く卒業しないと、将来返す奨学金もかさみますし……」


 竜騎士学園には、無利息奨学金制度がある。貧困層でもなりたい職業につけるようにと、これもまた皇帝ヴィルヘルムが戦後に整えた施策だ。市民のヴィルヘルムへの支持は、このようなことからも、たとえ弟を溺愛しようが揺るがない。


「クッカを弱らせるのは、簡単よ。えっと……」


 図鑑を読めないなら実際に教えようと、シュルヴィは庭を見渡す。顔ほどの大きさの葉を見つけ、それを器に、湖の水をすくってきた。ニーナへ手渡す。


「水、ですか?」

「ええ。あとは肥料もあれば、完璧なんだけど。つまりクッカは、花を元気にされることが一番嫌いなのよ。試してみて」


 ニーナは花竜クッカの背に水をかけた。花竜は反応のないまま三呼吸した後、いきなり機嫌悪く鳴き始めた。シュルヴィは可哀そうなことをしたと眉尻を下げたが、ニーナは歓喜した。


「おお! これは!」


 嬉々として、ニーナは湖と花竜の往復を始めた。花竜へ何度も水をかけては、嫌がらせを続ける。シュルヴィが心を痛める隣で、カイは、「ひなたぼっこのとんだ迷惑だな」と他人事のように言う。


 やがてニーナは、肩で息をしながら花竜の前に仁王立ちした。


「もう水をかけられたくなかったら、わたしと、契約してください!」


 ニーナは花竜の鼻先で、水の入った葉をぶらぶらと揺らした。花竜は恐怖したようだった。ニーナと花竜の間の空間に、小さな髪飾りが出現する。竜晶だ。髪飾りには、黄水晶シトリンでできた小さな花が二つついていた。


「や……、やった……!」


 初めての竜晶に、ニーナは髪飾りを握り締めて感涙した。黄色い花の髪飾りを前髪の横に早速つける。それからシュルヴィへ礼を叫んだ。


「ありがとうございます! おかげさまで、竜と契約できました!」

「おめでとう」


 シュルヴィはほほえんだが、カイは水を差した。


「クッカが水嫌いなの知らないの、学園でお前くらいだけどな。それでよく奨学生になれたよ」


 奨学金制度を利用するには、通常必要ない入学試験を受ける必要がある。合格すれば入学金が免除となる褒賞があり、それ相応の難易度となっている。


「あの日は、朝から、すごく運が良かったんですよねぇー」


 ニーナが思い出すように中空を見やった。


「四角い小石に数字を書いて、転がして、出た数字を解答用紙に書いていったんです。そうしたら満点でした」


 嘘かというような打ち明けだったが、カイは愕然と目を見開いた。


「試験の時、後ろの席でころころ聞こえてたの、それでか!」


 話についていけていないシュルヴィへ、カイが説明を加えた。


「俺、三年前、こいつと二人だけで奨学生試験受けたんだよ。枠は一人だけだったから、絶対に負けられねーって思って。でも、負けて。結構がんばって勉強してたから、悔しくてさぁー。……それが、こんなふざけた理由だったなんてな」


 カイはあまりのあほらしさに溜め息も出ない様子だ。


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