12

 マティアスが、「うっ」と視線を横へ流した。まだわずかなやりとりしかしていないが、マティアスの人柄がわかってきた気がする。


 隠すことでもないので、シュルヴィは正直に話した。


「特別ってほどの理由じゃないわ。わたし、子どもの頃から竜が好きで、それで、竜で人助けができるなら素敵だなと思って」


 マティアスは晴れやかな笑顔で褒めた。


「へぇ! 良い理由だね!」

「そう、かしら。……ありがとう」


 マティアスは、純粋な使命のために、さらに尋ねた。


「あとさ。もしかして、カイと恋人同士だったりする?」


 マティアスの瞳は無垢むくそのもので、シュルヴィたちのことを話の種に楽しもうとはしていない。本当に、みなのためだけにしつこく質問しているらしい。


「違うわ」

「そっか! じゃあみんなには、カイの片想いだろうって伝えとくね! ありがとう!」


 マティアスは引きとめる間もなく、シュルヴィを観察していた男子生徒たちの元へ戻っていった。余計なことを話してしまっただろうか。考えているうちに、成果を得られなかったカイが帰ってきた。


「あー、くそ。こっちは入学金また払ったってのに……。食堂行こうぜ、シュルヴィ。場所、わかんないだろ」


 歩き出すカイについて、シュルヴィは教室を出た。


 大陸全土の竜騎士志望者が集う、国立竜騎士学園は、森の緑と湖のあおに囲まれて、帝都郊外の湖畔に建っている。


 帝国の大部分は平野で、リーンノール村のある大陸北部だけが山岳地帯だ。帝都のある南部へ向かうにつれて山は消え、平野や森となり、さらに湖がいくつも現れる。地面よりも湖の面積が大きくなっていき、そうして森の間をぬうように流れる川が、湖同士を繋ぐ。そのため人々の移動手段は、飛竜か、水を泳ぐ竜に引かせた船だ。


 自然のまま残されている帝都周辺の森には、多くの野生竜が棲息している。学園にとっても野外授業に最適な環境だ。学園の生徒たちは、座学だけでなく肌で感じながら竜の知識を身につけていくことができる。そうして、早い者は一年、平均的には四年で卒業していく。


 カイと廊下を歩きながら、シュルヴィは校舎を存分に観察した。石造りの校舎は、風通りの良い開放的な設計で、吹き抜けの柱廊も多い。食堂も広く明るく、左右の壁一面と天井が硝子ガラス張りだった。木立のある中庭へも席が続いていて、その中庭には、当然のように竜がいた。木の上でのんびりと休んでいる。生徒の中には、食堂内に小型竜を連れ込み、一緒に食事をしている者までいた。


 シュルヴィにとって、夢のような場所だった。人と竜とが、町で見るような単なる使役関係ではなく、家族のようにやりとりをしていた。昼食を選んで席についた後も、シュルヴィは周囲の様子にしばらく見惚れた。選んだ南瓜カボチャのキッシュもキノコのスープも、手をつけないうちに冷めていく。やがてようやく、対面に座るカイに見られていることに気づいた。


「何?」

「ああ、いや……。シュルヴィが、すごく楽しそうだなぁと思って。この前まで、絶望しかないって顔だったのに」

「……おおげさに言わないでよ。そこまでは、ひどくなかったでしょ」


 反射的にすげなく返してしまったが、本当は、口元が緩まないことに必死だ。人生の中で、いまが最も心躍っている時ではないかと思う。駆け回りたいくらいだ。こんな場所が世界にあるなど、知らなかった。


 食事を開始しながら、シュルヴィはカイへ尋ねた。


「ねえ。なんだか、ずっと視線を感じない?」


 教室内だけでなく、食堂でも、シュルヴィたちは見られていた。こっそりと窺う視線があちらこちらにある。カイは「そう?」と気にとめず、手元のチーズ入り肉団子を口へ放った。だがカイも気づいているはずだ。いまも、振り向くと合った視線を慌てて逸らされた。新入生に興味を持つのはわかるが、全校生徒までもが注目するものだろうか。


 昼食の後、シュルヴィとカイは校舎の庭へ出た。何となく人目を避けて、校舎の周囲を散策する。校舎の広大な庭も、学園建造前の自然がそのまま息づいていた。人の手が入っているのは、一部の遊歩道や噴水など最低限だ。広大な庭は湖にも接している。高い位置に登れば、湖の向こうの島にある、帝都の街並みと宮殿を望むことができる。


 やがてシュルヴィとカイは、ライラックの樹の並木道へ行き着いた。土をならしただけの静かな道で、木漏れ日の中、ライラックの薄紫色の花が零れ落ちるように咲いている。カイが訊いた。


「寮は、どんな感じ?」


 入学手続きが完了するまでは、二人で街の宿に泊まっていた。学園寮へ移動したのは昨晩だ。


「歳の近い子たちばかりで、賑やかで……変な、感じ。でも――すごく楽しい」


 寮は、男子と女子で棟が分かれている。ひと部屋二人ずつ配され、シュルヴィも他の女子生徒と同じ部屋だ。カイが「そっか」と笑うので、シュルヴィは目線を花へ移した。想いを寄せられていると知ってから、二人きりだと前より落ち着かない。


 並木道を抜けると、無造作に花が植えられた花壇があった。色とりどりの花が咲き乱れている。その花の合間に、亀のような形をした中型歩竜が一頭いた。


「あっ。クッカがいるわ」


 花竜クッカは翼のない歩竜系で、背に花が生えるのが特徴の竜だ。大人が三名乗れるほどには大きいが、攻撃性はなく、陽の当たる場所でぼんやりと休んでいることが多い。いまも、背中いっぱいに花を咲かせたまま、何をするでもなく座っていた。


 そんな花竜に、ある一人の女子生徒がよじ登っていた。丸眼鏡をかけていて、服装はシュルヴィや他の女子生徒たち同様動きやすさを意識した膝丈スカート、肩まで伸びる胡桃くるみ色の髪は癖がある。慌てて飛び起きたように寝癖も直していないので、髪は毛長猫のようにもさもさだった。制服のリボンも曲がっている。シュルヴィは大きく反応していた。


「あの子、寮で同室の子だわ」


 昨夜、シュルヴィが寮の部屋に入った時、彼女は寝台でぐっすりと眠っていた。今朝起きた時もまだ眠っていて、学園へ行こうと部屋を出る時ですらまだ眠っていたので、起こしたほうがいいかと迷ったくらいだ。


「組も、同じなのよね」


 昼休憩開始とともに、彼女がふらりと教室を出ていったのをシュルヴィは見ていた。


「ああ、ニーナだろ。あいつは、学園ではばかで有名」

「ばか?」

「これまでの定期考査の点数が、全教科一桁だらけだからな。ちなみにもちろん、試験は百点満点」


 竜騎士学園では、竜に関する科目である竜基礎学や竜応用学、竜生態地理学のほか、文法学や算術、歴史などの一般教養の知識も習得する。試験科目は多い。


 最長八年まで在籍が許可されていて、卒業するには竜三体以上の契約のほか、筆記試験を合格する必要がある。八年以内に合格できなければ除籍だ。定期考査ですらまともに点数がとれないとは、卒業できるかが危ぶまれる。


「いまも、何やってんだろうなぁ、あいつ」


 ニーナは花竜クッカの背に咲く花を一心不乱に抜いていた。一本一本、真剣だ。カイはニーナへ声を投げた。


「おーい、ニーナ!」


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