10

「三年前、リーンノールを離れる前、俺、アードルフさまに頼んだんだ。もし白竜騎士になれたら、シュルヴィをもらってもいいかって。本当になれたら結婚を許すって、アードルフさまは、約束してくれた」


 まったく知らない約束だ。カイの提案に驚愕するアードルフの顔が目に浮かぶ。一昨日の夜に言っていた大事な話とはこのことだったのか。


「アードルフさまが、皇帝たちとは話をつけるって言ってくれてる。殿下との婚約の前から、実は、俺が白竜騎士になったらシュルヴィと結婚させる約束してたって、まあ嘘だけど、角立ちにくい感じで説得してさ。……シュルヴィには、無駄に期待させるのは悪いと思って、今日まで言えなかった。結局、すっげえぎりぎりになっちゃったわけだけど……俺、間に合った、よな? シュルヴィは、まだ、手の届くところにいるもんな」


 そんな断り理由で、はたして上手く婚約解消できるのか。不安と動揺の中、シュルヴィはとにかく確認した。


「で、でも、あなたとわたしが結婚って……そもそもあなた、わたしのこと好きなの?」


 シュルヴィが望まない結婚から逃げるためだけに、カイの人生を支配してしまうことになる。


「うん。好き、だけど」


 カイは赤くなりながら、決意を込めて頷いた。好きでもない相手と結婚していいのかという意味で訊いたのだが、おかげでシュルヴィまで顔が熱くなる。


「ええっ! そうなの!?」

「え、そうだけど……。むしろ、じゃあなんで結婚しようなんて言うと思うの?」

「だから、わたしを、助けるために」

「そりゃあシュルヴィには、すっげえ世話になったけど……でも、助けたいって善意だけで、竜百頭とまで契約するか? 自分で言うのもなんだけど、すっごく大変だぞ?」

「そう……よね」


 一生かけても難しいことを、カイは三年でやってのけたのだ。並大抵の覚悟ではできない。


「あの、それで……返事は? お前は、俺のこと……どう、思ってる?」

「……あなたは、家族だわ」


 それ以上でも以下でもない。異性として見ていないという答えだ。カイは「そう……」と明らかに傷ついた顔をした。


 正直、よくわからない。カイのことは大切で、いなくなった時は身が裂かれたように寂しかった。帰ってきてくれて心底嬉しかったし、好意を伝えられ、驚いても迷惑には感じない。けれどカイと結婚するなどこれまで想像したこともない。


「とりあえず、表向きは俺と結婚するって方向で、あっちには断り入れていいよな?」


 カイは落胆から抜け出せないながらも、殊勝に話を進める。


「お前だって、本当はあの殿下と、結婚したくないんだろ?」


 正直な気持ちをさらけ出すか、迷った。三年間誰にも明かさなかった気持ちだ。けれど気づいたら、ぎこちなくながら、シュルヴィは頷いてしまっていた。本当はずっと大声で言いたかった。好きでもない相手と、結婚などしたくないと。結婚は好きな時に好きな人としたい。自分が一番やりたいことを大切にしながら、自由に生きていたい。


「体面としては、結婚するってことになるけど、時期は別に、シュルヴィがその気になった時でいいから。本当に結婚しなくても、俺はシュルヴィが好きに生きてくれるだけで、うれしいし……。あ、でも、これからは俺のこと、少しでも意識していただけると、うれしいんですけど……返事は、いつまででも、待つので……」


 尻すぼみになっていくカイの言葉に、シュルヴィは頷いておく。カイの意気消沈具合には、いたたまれなくなってくる。三年間頑張ってきた結果としては酷だろう。


 マルコの件が穏便に済むはずはないという不安は、やはり大きかった。それでもカイの真っ直ぐな想いと、シュルヴィの自由を願いカイとの婚約を進めてくれるアードルフの愛情を、一蹴することはできなかった。彼らの希望に寄り添いたい。


「でも……そっか。そんな理由で、あなた、この三年間、ずっと竜騎士目指してたの」


 無断で邸を出て、村を離れ、一人で何をしているのかと思えば、ずっとシュルヴィのために行動していたのだ。


「ばかね。無茶が、過ぎるわ」


 笑おうとして、でもカイの苦労を想像してしまい、シュルヴィは目元を手で覆った。涙が溢れてくる。大変だったでしょう、そう言いたい。感謝も伝えたい。でも、喉が苦しくて声が出なかった。


 涙を流すシュルヴィに、カイが手持ちの手巾しゅきんがないか慌てて探し始めた。だが下衣の隠しをひっくり返しても見つからず、今度は慰めるために、抱き締めるべきか否かを迷い、両手を彷徨さまよわせる。


 癒竜パランターの群れの最後尾は、空の彼方に溶けるように消え、もう見えない。幻の竜たちは、またどこかへ行ってしまった。朝陽が昇る雪山でのこの景色を、生涯忘れないと、シュルヴィは思う。


「と、とにかく! シュルヴィは、もう自由だから! 何でも、したいことしていいんだ。俺、白竜騎士の仕事何回かやってて、そこそこ稼いでてさ。旅行とか、どこにでも連れてってやれるぞ。行きたいとこあるか?」


 シュルヴィは、涙を止めて顔を上げた。


「自由……」

「シュルヴィ、リーンノール以外のとこ、あまり行ったことないだろ。竜に乗って、二人で旅行して、俺とのことをよく考えてみるというのも、悪くはないんじゃないかと思うんだけど――」

「だったらわたし、竜騎士になりたいわ」


 シュルヴィは、瞳を輝かせて言い放った。


「わたしね、ずっと、竜騎士になるのが夢だったの!」


 カイはたっぷりと静止した後、間の抜けた声を出した。


「…………え?」


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