07

「……飛んでるうちに、落としたんじゃない?」

「いや。この洞窟来てからひと口飲んだから、それはないと思うんだけど……」


 カイは立ち上がり、衣服を軽く叩き始める。今日は昨日のような仕立ての良い服装ではない。三年前から慣れ親しんでいるような、装飾もない質素な木綿服に戻っている。


 カイが外套も裏返し始めたところで、シュルヴィは、すぐそばの岩陰に目を留めた。何かが動いたからだ。細い尻尾が、岩からはみ出ている。ちょろちょろと動く尻尾の主を見ようと、シュルヴィは岩陰を覗き込んだ。


 するとそこには、翼も胴も白銀色の、肩に乗るくらいの極小型竜がいた。澄んだ水のような淡青色の瞳は、白い体に宿った宝石のようだ。竜は、シュルヴィに覗かれていることにまったく気づかず、前足と後ろ足で水袋を抱え、袋を食い千切ろうと必死だ。水が飲みたいようだ。シュルヴィは、顎が落ちそうになるくらい口を開けていた。


「パ……」

「ん?」


 カイが外套を着直しながら、シュルヴィを見る。


「パランターだわ!」

「えっ!?」


 湿っぽい雰囲気だったことなどすっかり忘れ、二人で岩陰にいる癒竜パランターを凝視した。声に驚いた癒竜は逃げ出そうとする。しかし、蛙のように飛びついたカイに捕らえられた。カイはすかさず腰にあった短剣を抜く。そして脅すように癒竜の鼻先に突きつけた。シュルヴィは目を丸くした。


「ちょっと! いきなり何してるの!?」

「何って……契約するんだよ。パランターを手に入れたんだぞ?」

「かわいそうじゃない!」

「んなこと言ったって、契約は、竜に戦って勝つことで成立するんだ。俺のほうが強いってことを、示さないと」

「それはわかるけど! でもほら、見て。この子、翼を怪我してる。飛べないんだわ」

「だからこそ、いま捕まえとかなきゃなんないんだろ? パランターは、すばしっこいからな。すぐに逃げられる。パランター一匹いれば、飛竜の送迎でちまちま稼ぐ、十倍は稼げるんだぞ」

「竜でお金を稼ごうとするなんて、良くないわ!」

「……それ、竜騎士の存在、すべて否定してるけど」

「竜騎士っていうのは、本来、竜とともに人々を助けるための存在でしょう? お金を稼ぐための存在じゃないわ。とにかく、このパランターには、ひどいことをしないで!」


 カイは惜しそうにしながらも一旦身を引いた。シュルヴィは水袋の口を開け、癒竜に水を分け与える。カイはまだ納得し切れていない。


「シュルヴィは、竜騎士には絶対向かないよな。かわいそうなんて言ってたら、一匹とも契約できないし」

「よーしよし。怖くないわよー。あ、そうだ。わたし、ビスケットが一枚あるの。食べる?」


 カイの小言に取り合わず、シュルヴィはにこにこと癒竜へ笑いかける。水とビスケットを貰い気を許したらしい癒竜は、シュルヴィの腕へ上り、頬を舐めてきた。シュルヴィは「ふふっ」と笑い、それから長袖ドレスの袖先を裂く。翼の傷を覆ってあげた。


「パランターは、他人の怪我は治せても、自分の怪我は治せないのよね。だから、普通は群れで行動するんだけど……群れからはぐれちゃったのね」


 癒竜とたわむれながら、幸せそうな表情のシュルヴィに、カイは質問する。


「シュルヴィって、ほんと竜好きだよな。昔から。なんでそんなに好きなの?」

「なんで、って……」


 改めて問われたら、考えてしまう。「それは……」とシュルヴィは考えてから答えた。


「叶うはずのない願いが、叶う気がするから、かな」

「叶うはずのない願い?」

「人は、本来なら飛ぶことなんてできないけど、竜がいたら飛ぶことができるでしょう? 道具のない場所で火も起こせるし、砂漠でもいつだって、水を飲むことができる……。『マーイルマのおとぎ話』なんかもあるじゃない? どんな願いも叶えてくれる、伝説の竜、世界竜マーイルマ。そういうものも全部含めて、竜って、神秘的で、わくわくして、楽しいじゃない」


 カイは無言で、じっとシュルヴィを見つめた。


「な、何?」

「言ってることが恥ずかしくなってきて、顔をちょっとずつ赤くしてくシュルヴィを見るのが、楽しくて」

「あなたが訊くから話したんでしょうっ!」


 その時、洞窟の奥から唸り声のような音がした。二人同時に反応し、闇の奥に目を凝らす。闇の中で、大人の頭大の深紅の瞳が二つ、シュルヴィたちを見ていた。その下にある口が、人をも飲み込めるほどに大きく開く。一瞬のことだった。口から、毒液が噴き出された。


 岩をも溶かす毒液だ。人がまともに浴びたら骨も残らない。逃げ出す余裕などなく、シュルヴィは目を閉じることも忘れた。


 しかし、覚悟したことは起こらない。シュルヴィたちは、半透明の円球の光に守られていた。円球の中には、シュルヴィとカイ、癒竜、それからたったいままでいなかったはずの飛竜がいた。小型で、胴体は黄色で、手足が細い。


「キルピィ……?」


 防壁に秀でた盾竜キルピィだ。見ればカイの手に、竜との契約の証である指輪がある。竜は、契約主が呼ぶと、『竜晶りゅうしょう』と称される宝飾を介して棲息地から転移される。カイが竜を召喚したのだ。カイは指輪をめながら、目前の巨大竜から視線を逸らさない。


「どうやら、ファーブニルのおうちにお邪魔しちゃってたみたいだな」


 防具の材料にも使用される、硬い紫色の鱗を持ち、巨大で鋭い爪は人など容易く貫く。護宝竜ファーブニルは棲み処に勝手に入られ、さらに火まで無遠慮に焚かれ、ひどく気が立っていた。二発目の毒液が口から噴射された。盾竜がつらそうに小さく鳴く。


 すると今度は、カイの手首にあった、銀の細い腕輪に嵌まった蒼玉サファイアが発光する。防壁内に円陣が現れ、流星竜リンドブルムが召喚された。カイはシュルヴィを横抱きにした。「きゃっ」と上がる声に構わず、シュルヴィごと流星竜に飛び乗る。


「逃げるぞ!」


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