06
雪山を歩き、ひとしきり様々な竜を観察した後、倒木に座って二枚目のビスケットを食べた。もぐもぐと咀嚼し呑み込む。一枚目は、昼前には食べてしまった。
周囲の木は樹氷となっていて、枝を氷と雪で飾っている。朝からほぼ休まず、かなり登ってきた。高木は徐々に少なくなってきている。
「さて。パランターには会えるかしら」
自由だった。この三年間で、一番自由だった。
編み上げ靴を雪に埋もれさせながら、さらに山を登っていると、岩陰にまた
警戒しながら、静かに離れた。じゅうぶんに離れたと気が緩んだ瞬間、足元が雪の上を滑る。斜面に気づくのが遅れた。シュルヴィの体は、ころころと下り転がった。雪に埋もれるように、やがて体は止まる。ほっと息をつき、回る目が元に戻るのを待つ間、両手を広げてそのまま横になった。
空は灰色の雲で覆われている。大粒の粉雪が、次から次へと降ってくる。手も足もかじかんで、指先には感覚がない。もう一枚あるビスケットを食べるのすら、億劫だと思った。たった一枚食べたところで、ずっと歩いてきた山道を下り、邸まで帰るだけの体力が回復するわけでもない。
母が亡くなり、心に大きな穴が空いた。竜が嫌いになってしまったアードルフとも、距離ができてしまった気がした。好きでもない相手との婚約が決まり、家族になれたと思ったカイも、いなくなった。
マルコのことを愛するのは絶対に無理だと、半年程会った時点でシュルヴィは悟った。好きになれそうなところを探そうと、いくら頑張っても、どうしても魅力を感じられなかった。
不憫な人だとは思う。もし最初に結婚した相手が、分別のある優しい女性だったなら、心も平穏なまま、人並みの幸せは手にできたかもしれない。
自分を殺し、時を重ねていくうちに、シュルヴィの心は徐々に死んでいった。望んで命を捨てたいわけではない。ただ、何か支えがないと、もう生きていられないと思った。たった一つでいいから、この先心を殺して生きていくための、
曇天で正確な時刻はわからない。けれどきっともうじき夜になる。全身を包む雪が冷たかった。辺りは静寂で満ちていて、雪が降り積もる音すら聞こえてきそうだ。
シュルヴィは目を閉じた。すでに限界まで歩き、疲れ果てていた。ここで意識を手放せば、もう嫌なことを我慢しなくていい。どんなに幸せだろうと思った。
×××
意識を取り戻した時、まず暖かいと感じた。火の灯りに照らされた岩肌が、天井と壁にある。死後の世界かなんて思ったが、頭が覚醒していき体に確かな感覚があることで、夢ではないと自覚する。シュルヴィは洞窟の中で横たわっていた。
手前に焚き火があった。その奥に、カイが座っていた。シュルヴィが目を見開いていると、気づいたカイが、細く安堵の息をつく。
「……軽く、手足確認した。凍傷は大丈夫そうだった。具合、悪いとこあるか?」
言葉がすぐに出てこない。返事の代わりに、シュルヴィはゆっくりと上体を起こした。カイが焚き火に枯れ枝を足す。
「お前が邸からいなくなってるって、気づいてから、ずっと竜飛ばして捜し回ってたけど……間に合って、良かった」
力なく、カイは笑う。
「それにしても、何だあの書き置き。そりゃあ、コホタロの花は山にしか咲いてないし、結婚相手に贈るには、ぴったりだろうけどさぁ。採りに行くにしたって、俺の竜使えば、あっという間だっつーのに。……そんな軽装で、荷物も持たず雪山入るなんて」
カイが笑うのをやめる。
「まるで、死にに来てるみてぇ」
「ばか言わないで。荷物は、持ってたけど途中で落としちゃっただけよ」
間を置かずに返したので怪しまれないはずだ。
「確かに、花を採りに来たって言うのは嘘だけど……でも、それにはちゃんと、理由があって」
嘘を見抜かれそうで、カイと目を合わせないまま続ける。
「わたしは、パランターを探しに来たの」
「パランター?」
カイは
「見つかるわけないだろ、パランターなんて」
「そうとも言えないわ。わたし、いろいろな本の、パランターについての記述を読んだの。そうしたら、彼らは、三割くらいの確率で、雪の降る地に出現してるの。だから、この山にも出るかもしれない」
「……三割って」
「べ、別にいいでしょ。カイだって、見てみたいと思わない? パランターなんて、実物は見たことないでしょう」
「そりゃ見てみたいけど……。あのなあシュルヴィ」
カイは、深く息を吐き出しながら肩を下げる。
「俺は、雪の中で倒れてるお前を見つけた時、心臓が止まるかと思ったよ」
カイの表情は沈んでいる。深く心配をかけてしまったことがわかる。部屋にあった書き置きを見て、慌てて長時間捜し回ってくれたことが、容易に想像できた。
「無事だってことは、竜を飛ばしてアードルフさまに伝えてある。……夜が明けたら、邸に戻ろう。心配して待ってるよ」
しでかした事の重大さに、全身の血が冷えていった。アードルフに、どんな顔をして会えばいいのかわからない。こんなばかげたことをして、それが結婚のせいだということは、簡単に紐づけられるだろう。アードルフがシュルヴィを責めるはずはない。自らを責めるに決まっている。そんなアードルフを見るのが、シュルヴィは心の底からつらかった。
唇を引き結んでいると、カイが気遣うように訊いた。
「腹、減ってるんじゃないか? つっても、俺も、急いでたから水しか持ってきてないんだけど。せめて水だけでも……――あれ?」
腰の手荷物を探りながら、カイが首を傾げた。
「水袋がない」
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