03 酔っ払った言葉は言質にならない


 気がつくと、知らない天井が見えた。

 布団も違うし、ちょっと変な匂いがする。

 視界の端からは朝日が窓掛に濾されて部屋を青色に染めていた。


「うぅっ……」


 記憶がごっちゃになってる。

 頭が痛い……。あれから、どうしたんだっけ。

 食べ物を食べて、飲み物をのんで、ちょっと苦くて。

 …………苦くて……?


「酒、飲んだ……?」


「ノンアルコールをね」


 聞いたことのある声が聞こえた。


「この声……蒼央さん……?」


 そうか。なにかあったかわからないけど、蒼央さんの家なら安心だ。

 のそと体を動かして横を見ると、そこには──見知らぬ女性がいた。


「や"っ"ほ"〜。心音クン。よく寝てたね”」


 酒やけした喉から出てきた声はガラガラで、キレイな髪はボサボサで、寝間着なんてものはなく、肩からずれ落ちた肌着。

 あと、なんか……全体的に縮んでいる。物理的にも感覚的にも。


「……?……?……??…………あ、あぁ、妹さん、ですか?」


「違うわい」


「……わい」


 くあ、とあくびをして、起き上がった蒼央さん(妹?)はなんと上裸。

 が、なぜかは分からないが全くエロスを感じない。

 何故だろう。おかしいな。


「ノンアルコールで酔っ払うとは、思わなかったよぉ〜……ははは”」


 ぼさぼさな髪の毛をぼりぼりと掻き、蒼央さん(妹?)がベッドからのそりのそりと降りると、ペットボトルや缶が蹴飛ばされたような独特なベコッカララッという音が聞こえた。


「うげ、蹴っちゃっだぁ"」


 床にゴミが散乱してるらしい。見える限りではコンビニの袋から、ペットボトルとか。ニオイの原因はそれか。

 それらを慣れた足取りで避けて、少しキレイに整えられている椅子にドスッと座ると、背もたれにかけてあった上着を羽織った。下を履きなさい下を。


「うぃ〜……ぃ"」


 あ、上裸だったけど、下は履いてた。パンツ一丁だ。


「えぇっと……」


「ん?」


「妹さんは……」


「蒼央だっで。一緒にご飯食べたあ"お"っ"」


 ジィと見る。いや、嘘だ。絶対に縮んでる。

 こんな子どもがあの蒼央さんな訳がない。昔に家の中では縮む二次元のキャラクターがいた。が、あれはフィクションだ。実際に縮む訳が……


「もしかして、UMA……」


「人間じゃい」


 なんだ。そっか。でも、縮んでるよな……。いや……ん? 深く考えるのはやめようか。とりあえずは置いておこう。


「それで、なんでぼくはここに?」


「私が連れて帰ったから」


 そりゃあそうか。


「……ちなみに、それはなんでです?」


「言ったでしょ? ベロベロに酔っ払ったからだよ」


 なんだ。ちょっと安心した。酔っ払ったから家で介抱をしてくれ……て。

 布団を捲ると、自分の下半身が脱がされていることに気がついた。


「あとは、キミが男の娘だからだよ」


 バッと顔を上げた。


「男の子だから……?」


「そう」


「変態だ……」


 変態と呼ぶとニマと表情を綻ばせた。喜ぶタイプの変態だ。

 どうする。逃げるか。

 いや、逃げるにしたって、通路側にいるのは蒼央さんだし。


「とりあえず、今日も大学があるんでしょ? 準備をするにもそろそろじゃない?」


 時間を壁にかかっていた時計で確認。

 朝の7時30分。1限目があるのは9時からだから。


「あ、家に帰って……準備しないと」


「家近いから大丈夫だよ。ン、ほれ」


 蒼央さんが手に摘んで見せてきたのはぼくの学生証。

 

「えっ、ちょっ、はっ……」


「……ふふ」


「ソレを使ってえっちなことさせようとしてる?」


「家に送り返そうと思って探したの! 不可抗力!!」


「下半身も脱がしてるし」


「それは、酔っ払ってたから、おもらしとかしたらダメだと思って……男の子の生態わからないし。パンツとズボンはそっちにあるから!」


「だとしても……」


「いーから、ほら! そのゴミの海を乗り越えてこっちに来なって」


「……はぁ、掃除くらい、してください、よっ」


 投げられていたパンツとズボンを履いて、軽快なステップを見せる。

 で、学生証の前で手がヒラッと踊った。


「え」


「コレが返してほしかったら、また、私の家にくるって約束しなさい」

 

 なにを言ってるんだろうか。聞き間違いだろうか。

 いや、これ真剣な顔してる。にやにやと笑ってるけど。


「……えーっと……」


 渋ると今度はスマホの画面を見せてきた。そこに写っていたのは、寝てるぼくとのツーショット写真だった。


「は、反論するのは!! ダメだから!!」


 えーっと……これは、つまり……?

 

「未成年を連れ込んで、脅迫──」


「け、警察に言うのも違うから!!」


「そんなにまた来てほしいんですか……?」


「…………うん」


「なんで……と聞いても?」


 目を合わせると、蒼央さんは淡い桃色の瞳を反らして、ため息をついた。


「やっぱり、忘れてるかあ。昨日あれだけラブコールして、口説き落とせたと思ったのにさぁ〜……」


 スマホを凄い速度でいじって動画を流し始めた。すると酔っ払ったような自分の姿が映し出されていた。

 ブレブレの手ブレの中、居酒屋のような場所でぼくが頬を赤らめて座っている。


『ほら、なんて言ったか。もう一回! どうぞ!』


『ぼく、木下心音はっ。蒼央さんのところで、小説のお仕事のお手伝いをすることにしました!!』


『よく言った!! これ言質な! 言質!!』


『まっかせてくらさいおぉ……ご飯、奢ってくれたし……美人だし』


『びっ!? じん……かは、まぁ、その……ええい!! 終わり!! 以上、心音くんからのお言葉でした終了!』


 そこで画面に動画の再生マークが戻ってきた。動画は終了したらしい。


「…………しょうせつのおてつだい……?」


「そ」


「蒼央さんは小説家なんですか……?」


「うむ」

 

「なのに倫理観がないんですか?」


「……りんりかん?」


「酔っ払った相手の言葉を言質って……」


「ちがっ! ちがう!! ちがくないけど、でも、そういうことだから!! 了承は得てるの!!」

 

「……」


「ほら! 大学が始まっちゃうぞぉ〜? これ、必要でしょ? だったら、ほら、悪いこと、しないから、さ?」

 

 餌をぶら下げるようにゆらゆらと揺らして。

 自分がなにをしたかは分かってるみたいだ。倫理観はあるらしい。やばい人だけど……。

 大学を今のところ全部出席してるぼくとしては、なんとしてでも休むのだけは避けておきたい。置いていかれたら頼る友達もいないし。


「……分かりました」


「じゃあ、動画回すから! ちゃんと! ほら! 言質を」


「来ますって! スマホ下げて!」


 なんとか説得して学生証を返してもらって、そのまま玄関に行く。

 ここもゴミだらけ。靴も散らかって……あ、ぼくのだけは真っ直ぐに揃えられてる。


「……」


「約束だよぉ〜……?」


 ズビズビと鼻水を出しながら薄着で見送りにくる蒼央さん。


「分かりましたって」


 それに適当に返事をして玄関の扉を開けるとそこは通路だった。

 

「……?」

 

 なんだ? ホテルか? いやマンションか?

 とりあえず、あっち行ってみるか。一階がフロントだろうし。


「絶対来てねぇー……?」


「はいはい」


 グズグズ言いながら顔を覗かせてきた蒼央さんに手を振る。


「心音くん……待ってるからね」


 結局、エレベーターまでついてきた。なんなら一階のボタンも蒼央さんが押してきた。

 小さく手を振ると、鼻水垂らしながら手を振ってきた。そして、エレベーターの扉が閉じた。


(よし、えーと、とりあえずは早く家に帰って、服を着替えて……)


 ──ピーンッ。


「え」


「心音くんっ!! 絶対!! 来てね!!!」


「あ」


 扉がしまった瞬間、ボタン連打した……?? 


「心音くん!!」


「あー、もう、来ますって」


「約束だよっ!?」といいながら、蒼央さんはスマホを構えている。


(言質……)


 ズイと小指を出してきたので、おずおずと小指を出した。

 すると一気に上機嫌になり、ゲヘヘと独特な泣き笑いをしながら絡めてきた。


「んっ……やくぞぐだ」


「言質なんて取らなくても来ますって」


「口約束ほどっ、こわいものはないの"っ"!」


「……はいはい」


 蒼央さんは言質を取れたにに満足したのか、次の扉は順調にしまって、何事もなくエントランスホールに着いた。

 

(ここからは……時間との勝負っ……!)


 スマホを開きGPSを頼りに家に急いで帰ろうとして……スマホの右上で目が止まった。


「えっ……いま、8時20分……」


 壁掛け時計の時刻は……だって、7時30分だったし。


「いや……さすがにスマホの方が正しい、か……」


 蒼央さんの家の時計、めちゃめちゃ遅れてる……。


「ってことは……えーと」


 スマホ上のGPSは残酷に徒歩での時間を示している。ここから大学までが15分。家までが20分。

 家から大学までは40分弱で着く。大学から最初の授業のある教室までは──……。


「あ、え……この格好のまま大学にいかないと間に合わない……?」


 出席するにはそれしかない……。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る