嘘はついてない(エイプリルフールSS)

歌川ピロシキ

白い部屋にて

「あと少しでここを出られるかも」


 僕の顔を見るなり、君は明るい春の光に溶けて消えそうな笑顔で言った。


「あと少しで楽になるって、先生が」


「そう。それは良かった」


 全然良くはない。

 しっかりと塗ったピンクのリップクリームでもカサつきが隠せない唇に血の気のないやつれた頬。やせ細った指も、張りのない肌も、みんなみんな君の命が時々刻々と削られていることを正直に語っているのに。

 あと少しで退院なんか出来るはずがない。


 それでも僕は君の嘘につきあうことにした。だって今日はエイプリルフールだもの。一日くらい、君の優しい嘘に騙されたふりをしたってバチはあたらないはずだ。


「それなら今年の薔薇は一緒に見られるかもしれないね」


「ええ。外で咲いてる姿を見るのは何年ぶりかしら」


 うっとりと微笑む君の目には、陽光を浴びて咲き誇る薔薇の花々が映っているのかもしれない。生気のなかった瞳に少しだけ光が戻る。


「お天気の良い日にピクニックしましょう。お日様の下でお弁当を食べるの。花の香りに包まれて、きっと素敵だわ」


 君はそう言うと軽く目を閉じて、さっき渡したばかりの花束に顔を埋めた。胸いっぱいに香りを吸い込むと、幸せそうにふわりと微笑む。


「薔薇だけじゃないわ。土や風の香りも、きっと気持ち良いでしょうね」


「そうだね。とても気持ちよさそうだね」


「ええ。思い浮かべるだけで素敵だわ」


「君が楽しそうで僕もうれしいよ」


「ふふ、少しは安心した?」


 僕が虚を突かれて言葉につまってしまった瞬間、君は泣きそうに微笑んだ。


「ずっと心配ばかりかけてごめんなさい。もう、だいじょうぶよ」


 ……愚かな僕は、どんな言葉も返すことができなかった。


 あれから三日。細い煙がどこまでも青く澄んだ空に吸い込まれるようにして昇っていく。

 煙の行方をぼんやりと見つめていた僕の頬を温かな風が優しく撫でた。


「ね、嘘じゃなかったでしょ」


「……っ!?」


 ふいに耳もとに響いた囁き声にあわてて振り返るが誰もいない。


「もう痛くも苦しくもないの。だからとっても楽だわ」


 ふたたび柔らかな囁き声。ひらりと飛んできた淡いピンクの花弁とともに、春の空気のなかにふわりと溶けて消えていった。

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嘘はついてない(エイプリルフールSS) 歌川ピロシキ @PiroshikiUtagawa

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