第二十三話 僕らの養母

 時は流れ。美雨メイユー花鈴ファーリンの目論見通り、藍家の権威は、一年でゴリッゴリに削れた。もう少し予想外のことが起きるかと思っていたのに。


「藍大司馬が日頃礼学の押し付けマウントをして反感を買っていたのも、拍車にかけたんでしょうね。そんな人が、親の喪が終わる前に大司馬になって、女帝の淫蕩三昧も咎めないままなんですから」

「単なる男漁りかと思ってたら、罠が何重にも張られてたんだな!」

 帝すげぇ! と、叔英シューイン

 しかも美雨メイユーが官職を与えたことで、藍家の顔色を伺っていた皇帝が、逆に藍家が皇帝の顔色を伺うようになった、ということか。


「あとは、若い官吏や女官たちから支持を受けていたのも勝因ですね。気さくで、身分を問わない姿勢が好印象だったみたいです。遊戯の考案者としても尊敬されてますし」

紙牌決闘カードデュエル』の愛好者は足繁く城下に来るから、民間の噂も聞くし、と花鈴ファーリン。そして悪戯っぽく僕を見て、こう言った。


「いやあ、愛されてますねえ。美雨メイユーさん」

「……うん」


 そうだろうか。いや、慕われているのは間違いない。

 でも、彼女の心は、それを素直に受け止めているだろうか。




「ところで、俺らどこに向かってるんだ?」

「僕たちの実家。養母かあさんから、家に来るようてがみが来てたんだ」


 僕らの実家は城下から離れた場所にあり、そこは破落戸たちが屯する治安の悪い場所。……だった。

 それが今では、町外れのちょっといい感じの店が並ぶ場所になっている。


「ここで『紙牌決闘カードデュエル』の紙牌カードもつくられているんだよ」

「へえー」


 その時だ。がつん、と花鈴ファーリンが男にぶつかった。


「あ、ごめんなさい」


 花鈴ファーリンが謝る前に、男が走り去ろうとする。――が、すぐに叔英シューインが男の腕を掴んだ。

「な、なんだよ!」

「よお兄さん。さっきとったやつ、彼女に返しな」


 よく見ると、懐に見慣れた花鈴ファーリンの包があった。スられてたのか。

 治安が良くなったとはいえ、どこにでもスリはある。抜けてた、気をつけないとな。

 叔英シューインは瞬く間に、男の腕をひねりあげる。


「離せよ、離せよテメェ!」

「離せと言われて離すやついないだろー? さー、返すんだー」

 そう言った瞬間。


 男が、道の端から端まで吹っ飛んだ。

「え?」

 叔英シューインが、信じられない顔で、吹っ飛んだ男を目で追う。

 男の傍には、空中で綺麗な飛び蹴りの姿勢を保っていた女が、すたん、と地面に舞い降りた。


 その女は、四十は過ぎている。

 日焼けした肌、シミだらけ、シワだらけの顔に、白髪が目立つ黒髪。美白と艶めいた黒髪を女の美しさと見るこの国にとっては、お世辞にも美人だとは言われない。

 おまけにそこらの男よりも体付きがしっかりしており、そのとびきり美しい蹴りと体感の良さは、まさしく武人のものだ。

 すぅ、と女が息を吸う。そして、街全体まで響くような声で怒鳴った。


「このバカタレが――! まぁた闘鶏でスってスリしとんのかー!!」

「ひ、ひぇぇぇ! さーせん、ヤオ妈妈ママ!」


「あれが、僕の養母で、花鈴ファーリンの伯母です」

「すげぇ……世の母ちゃんって、強ぇんだな……」

 僕が紹介すると、ごくり、と叔英シューインが唾を飲む。

 一方、花鈴ファーリンは落ちていた自分の包を拾い、ほっと胸を撫で下ろす。

「よかったあ……無事でした。


 私の毒薬一式キット


「盗まれたの財布じゃないんかい!!」

 そんで随分物騒なもの懐に仕舞うな! 持ち運ぶな!!



 ■




「すまないねえ。あの子、こないだは真面目に働いていたんだけど、賭博依存になってしまったみたいで。うちで治療してるんだ」


 はい、と湯呑みが渡される。

 養母かあさんは、もちろん若いとは言えないが、それでも僕の記憶通りの養母かあさんで、久しぶりに会っても歳をとっていないようだった。


「さて、さっそくだが、美雨のことだ。

 庶民の間では、『卓上話演ジョーシャンファーユェン』によって、既に藍家の悪い噂で持ち切りだ。もちろんハオ、あんたが毒殺されたこともね。

 そして先日、酒の密売の罪で、グァン夫人が訴えられた」

「酒の密売? 広夫人が?」

「ただしくは酒の転売だね。藍家は禄が足りなくなったのさ。だからここらの酒を買い占めて、高く売っていたのさ。最も、本当に売っていたのは藍家の男たちで、彼女はトカゲの尻尾切りに使われたんだろうけどね」


 子を産まない女の地位は低いからね、と養母は言った。宦官に嫁いだ養母が言うと、説得力があるんだかないんだかわからない。


「藍大司馬に権力を与えたのは表向き。美雨メイユーは、兵権をうちの旦那に預けたのさ。おかげでうちも列侯されたんだけど、相変わらず生活に華がなくてねえ」

 なんでだろうねえ、と養母は棒読み。

 そりゃ、養母かあさんが皆の面倒見るために経費を惜しまないからだろ、と僕と花鈴は心の中で突っ込んだ。――それが僕らの養母。僕らの誇りだからだ。


「藍大司徒は、本当に無能だね。多分、美雨メイユーは近いうちに罷免するつもりだよ。誰に任せるかはわかんないけど」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。なんであんた、そんなに宮廷の事情に詳しいんだ?」

 叔英が最もな質問をする。すると。


ヤオ夫人、頼まれていた塩買ってきましたよー」

「あ、すまないねえ」

「いえいえ、いつも世話になって……」


 ニコニコと、庶民が着る布衣ほいとは違い、長袍を着ている男は、それなりの地位を持つ役人であることが分かった。

 その男は、僕の顔を見て、

「……ぎゃぁぁぁ!? ツァイどのの僵尸キョンシー!?」


 と、叫んだ。あ、いけね。



 ■


「そ、そんな裏技があったんですね……ほ、本気で心臓止まるかと思った……」


 僕の顔を見て叫んだ役人に事情を説明すると、さっきの驚きぶりとは打って変わって理解が早かった。


「あんた、このことは」

「わかってます。このことは絶対に口外しません」

「彼は信用出来るよ。なんせ、宮廷の事情は全部、彼から聞いてたんだから」

 養母の言葉に、はい、と役人は頷く。

 役人は、グァン氏と名乗った。――藍大将軍の三番目の妻、グァン夫人の実家だ。

ツァイどのは覚えていらっしゃらないかもしれません。実は私は、実家に命じられて、陛下に『紙牌決闘カードデュエル』を挑んでいたのですが……この遊戯の奥深さに魅了されてしまって。

 不用心にも下町まで足を運んで、破落戸に絡まれていたところを、ヤオ夫人に助けていただいたのです」

「それから彼は家の手伝いと、情報を提供してくれてね」

「まさか、ここが陛下とツァイどののご実家で、ツァイ夫人が母上だったとは存じませんでした 」

 今日は驚くことばかりですね、とグァン氏。

養母かあさん……近所の遊侠や破落戸だけじゃなくて、皇帝に求婚できる身分の貴族も子分にしたのかよ」

「私より年下の子は皆私の子だよ、覚えておきな」


 どんな独裁思考ジャイアニズムだよ、それ。


「話が逸れたね。そんな彼から、とんでもない話を聞いてね」

「ええ。……藍大司馬が、謀反の準備を始めてます」

「――は!?」


 謀反って、皇帝の座を乗っ取るつもりってことか!?


「そこまでバカなんですか藍家の人達!?」

 さすがの花鈴ファーリンも驚いたようだ。広氏は真面目な顔で続ける。

「権力がなくなっていても、藍家につく貴族はそれなりにいるのです。いえ、正しくは藍家の没落とともに自分たちが沈む可能性を恐れているのですが。

 私の一族も、声をかけられたようです」


 グァン氏は、俯いたまま言った。


「……私は、我が一族は国の誇りである、と言われ育って来ました。ですが、私は、この国のことなどまるで知らなかった。

 塩の値段も、庶民たちが生きるのに必要な禄も食料も。そのりょうりが、一体何でできているのか、どこから来たのかもわかっていなかった。お恥ずかしい限りです。

 私は、この国を担う人間として、責を果たさねばならない」

「いいんですか? それってつまり、あなたは親を裏切ることになるんですよ?」

 花鈴ファーリンが、心配そうに広氏に尋ねる。

 親を裏切る――礼学において、最も恥ずべき不忠だとされる。

 それは、今までそう教育された貴族にとっては、あまりに重い。


 ぐ、と握りこぶしを作って、グァン氏は声をはりあげた。


「そも、礼学とは仁の道! そして我らは天子の臣下!

 民を裏切り、天子に逆らうなど、仁の道に逸れた行為。親を想う子であるからこそ、その道を正さねばなりません!」


 そのハッキリとした物言いに、僕の口角は自然に柔らかくなる。――彼のような人がいるなら、貴族も捨てたもんじゃない。

 花鈴ファーリンもまた、彼女にしては屈託のない笑みを浮かべていた。


「で。それを食い止めるためにも、あんたたちを呼んだのさ。……その前に」

 ちら、と養母が僕を見た。

ハオと二人きりにしてくれるかい?」

 その言葉に、花鈴ファーリンがわかりました、と答える。叔英シューイングァン氏も、花鈴ファーリンに連れられて外へ出た。

 

「……まず、あんただけには伝えないと、と思ってね」

「何を?」

美雨メイユーの幼少期の頃と、――あの子の身体についてさ」

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