第53話 あたしが完璧な聖女様と呼ばれていた頃 1



 あれから3年後――――……



「ラビ様、本日は国王の謁見の後孤児院に訪問予定です。それから神殿の集会に――――」

「ありがとう、予定についてはもう大丈夫よ。昨日聞いたばかりだから」

「ああ、すみません。さすが聖女様。余計でしたね」

「いいえ、そんなことは。いつもありがとう。本当に頼りになるわ」


 優雅に、にっこり。あたしが微笑むと、神官長はパッと夢見るように頬を赤らめ、「聖女様に神のご加護を」と頭を垂れ、静かに部屋を出て行った。


 神殿。特にここは、国中の人間が一度は訪れあたしのご尊顔を拝みたいとやってくる、大神殿。厳重に守られ整備され、祭壇も部屋も庭もあたし自身も、それはそれは綺麗に維持された、夢のような場所だ。


 あたしは光り輝く庭園を眺めながら、引き出しから一本、あれを取りだした。

 マッチを擦り、そっと火を付ける。

 そう、煙草である。



「ふはあ、謁見の前の煙草最高~~」



 勿論この神殿で煙草は厳禁。煙草の煙も臭いも忌むべきものとされているのだが、そこはこっそり、バレないようにうまくやっている。

 こういう臭いを綺麗さっぱり消してくれる、あたしには最高に頼りになる従者もいるし。たっぷり吸って、煙草の火を消した時だった。


「また煙草ですか、ラビ様」

「あ、チャールズ、大神官様にバレないようにうまく消臭お願いね~~」

「お任せを」


 真っ白な神官姿のチャールズは、やれやれと言った様子でいつものように手際よく証拠隠滅をしてくれる。どうやっているのかはよく知らないけど、本当に綺麗に臭いが残らないから凄いものだと思う。



 あれからあたしは、新しい聖女として国王にも神殿にも迎え入れられた。

 国民へのお披露目のパレードもしたっけ。

 誰もがあたしを歓迎した。実際に力を見せたことも大きかっただろう。皆の目の前で病人の手当をしたりして。今回は力を使っても全然疲れはなかった。ちなみに見た目はさすがにこれ以上変わらなかった。

 気分は良いものだった。そりゃ、石を投げられたり嫌われたりするよりは、ずっといい。


 あたしが解放奴隷だってことは、あたしの希望で全国民が知っている。

 最初は当然反対されたけれど、あたしが元奴隷だって知ってる連中――男爵やシャーロット――に弱みを握られる方が面倒だ。


 幼い頃から記憶があって、国民のために苦しんできたのだとか、力が覚醒し、この力を国民のために使いたいのだとか、そんなようなことをうまく物語風にして広めてしまえば、この国の民ってのは案外チョロく、「心の麗しい聖女様は我々のために苦難の道を歩まれていたのだ」とか何とか言いように解釈してくれた。

 やっぱり最初から恵まれているより、苦難を乗り越えて花開く、みたいな方がウケはいいらしい。――――ああ、もちろん侯爵にだけは「全部嘘っぱちですけど」と言っておいたし、これからも彼の前でだけは記憶のないフリをし続ける。ボロは何度か出たかもしれないけれど、多分大丈夫。これが唯一の親孝行だ。


「ああ、チョロいチョロい。国民も神官もチョロくて助かる」

「ラビ様」

「あははっ、冗談だって」


 チャールズは優しい顔で眉を下げた。チャールズもなかなかにチョロいなと思う。

 本当にあたしのために神官になってまた従者をやり始めるなんて、さすがに思わなかった。


 それともう一人、神官になってくれたのは彼だけじゃない。


「ラビ様、見てくださいこれ! なかなか手に入らない高級酒です! 一緒に飲みましょう!」

「うわっ、最高じゃん! でかしたアニー!」


 あたしの、正確にはグレイス時代の専属侍女だったアニー。

 侯爵家のメイドを辞めて実家の手伝いをしていた彼女は、あたしのことを知るやいなや神官の勉強を始め、本当に専属神官の地位を捥ぎ取ってしまった。

 元々楽しい性格ではあったけれど、今やあたしの立派な酒飲み友達になっている。


「アニー、そう何度も酒を持ってくるな。バレたらどうする」と渋い顔のチャールズ。

「その時はその時! たまにはお酒も健康にいいでしょ」

「アニーの言う通り。間違いない。おつまみある?」

「勿論!」

「ラビ様、今日は国王の謁見がありますよ。酒は全部終わってからにしましょう」


 チャールズはアニーから酒を奪い、どこかに持っていってしまった。

 チョロいけど時々ケチ。アニーが「返せ酒泥棒!」と彼の後を追う。


 その時トントン、と扉を叩く音がして、あたしはごほんと咳払いした。


「どうぞ」


 意識して柔らかな声を掛けると、顔を出したのは侯爵だった。


「今日も騒がしいな」

「あら? 何のことでしょう?」

「俺には猫を被らなくても結構だぞ。騒がしいのはいいことだ」


 侯爵はふわりと微笑み、「土産だ」とお菓子やら何やらを差し出した。わあ、最高。


「これはワインが合いそうですねえ。お父様大好き~~」

「ッ……そ、そうか」

「次はチーズと燻製肉とそれから――――」


「ちょっと! 私のお養父様におつかいみたいなことさせないで! あんたの魂胆はわかってるんだからね!?」


 キーッと侯爵の背後から顔を突き出したのは、シャーロットだった。


「まあシャーロット。幸せな私の様子を見て嫉妬に狂いに来てくれたの? ありがとう、さすが私の妹だわ」

「誰があんたの――――――!!」

「戸籍上はそうだもの~。ね、お父様」

「そうだな」

「くッ……」


 あたしは現在、養子縁組をしてエイデン侯爵の娘となった。

 侯爵家の後ろ盾があった方が何かと便利だってのが一番。それにまあ、もう一度娘をやってもいいかと思えるくらいには、あたしは父親のことが嫌いではなかったから。


 だから今のあたしは、ラビ・エイデン……な、訳だけど。うーん、まだ慣れない。すごく変な感じがする。


 シャーロットはあの事件の後、キツいことで有名な某神殿で無給の奉仕活動に従事し、最近ようやくそれを終えたところだった。初犯だからか年齢が年齢だからか、重すぎる刑罰ということにはならなかった。

 侯爵家追放、なんて話しもあったらしいけれど、エイデン侯爵はそれを良しとしなかった。自分が鍛え直す義務があると、シャーロットを今後も娘として扶養することを決めた。あたしもそれでいいと思う。一度養子縁組をした娘だ。れっきとした娘。罪を犯したから放り出すなんて、無責任にも程がある。


 キーキーしてるのは相変わらずだけど、神殿での奉仕がよほど大変だったのか、今は父親にしっかり目を掛けて貰っているからか、以前よりは落ち着いたように思う。


「おや、侯爵閣下、お越し下さっていたのですか」


 酒を隠し終えたらしいチャールズが戻って来た。シャーロットには反応せず、侯爵と和やかに談笑を始める。


 そんな彼を、シャーロットはじっと食い入るように見つめている。

 頬が僅かに赤い。


 恋する乙女は大変だねえ、と思いながら、あたしは庭に出た。



「ラビ」



 愛しい人が、あたしを呼んだ。


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