第45話 あたしが次期聖女と呼ばれていた頃 6



「報、酬……?」


 ぽけん、と目を丸くした侯爵とチャールズに、あたしは「ええ」と頷いた。


「その聖女ってのはどれくらい貰えるもんなの? 福利厚生は? まさか無償で、なんて甘ちゃんなことは言わないですよね?」

「報酬、か……」

「貴方を治したのもあたしの力ってんなら、その分のお金はもちろんいただけますよね? 侯爵様を治したんだもの。最高級の酒に煙草を買ってぷっかぷかしたいんですけど」


 侯爵の目がますます丸くなる。面白い顔。


「ええと……そう、だな。ああ、相応の報酬は、勿論。神殿でも生涯、何不自由ない生活は保障される」

「そ。それは最高!」


 あたしはギルバートに寄りかかり、「最下層から脅威の出世ですよ」とおどけてみせた。

 侯爵は眉間に皺を寄せた。


「……わかっているのか? 神殿にいくと言うことは、ここから離れなければならないということで――――」

「わかってますよぉ。侯爵様だってそれが目当てでこんな話したんでしょ? あたしがおかしな力を使ったらしいってことはここの屋敷の人間も招待客もほとんど知ってるでしょうし、今更隠すこともできなそうだし。あたしが間違っても勝手に死んじゃったりしたら、またあたしの生まれ変わり?みたいなのを探さなきゃいけませんもんね。だったらちゃんと監視しとかなきゃですよね」


 あたしを連れて行くのは決定事項。できればあたしには納得してついてきてもらいたいんだろうけど。


 あたしが次期聖女であると認められれば、間違いなく神殿に閉じ込められる。

 嫌がればむりやり継承の儀とかさせられるかもしれない。要するに、殺される。恐らくあたしに拒否権はないのだろう。


 案の定、侯爵は苦しそうに視線を逸らした。


「神殿ってのはどんなところです? 面白いところ? 綺麗なところ? 楽しいところ?」

「美しい、ところだ。この世とは思えない程美しくて、整備された場所」

「ふうん。面白くはなさそうですね。侯爵の屋敷には置いてくれないんです? 元々聖女を囲っていたなら別によさそうですけど」


 侯爵は困った様子で眉を下げた。

 何の気なしに言ったことだったけど、どうやら意地悪を言ってしまったらしい。

 よく考えればそうか、侯爵家は聖女を18年も失う原因を作った。となると、もう二度と聖女を置いておくことはできないだろう。


 正直、得体の知れない神殿で行動を全部見張られているよりは、勝手知ったる侯爵の家の方がまだ好き勝手できそうだし元使用人たちも優しくしてくれるんじゃないかって打算もあったんだけど。

 それに、アニーのことも、ちょっと頭を掠めた。

 何となく、別に大した意味はないけれど、あの子にはちょっと会いたいなあって気持ちが多少あった。あたしの専属侍女だった女の子。

 今も侯爵家にいるのかはわからないけれど、侯爵領からそう離れた場所に引っ越したなんてことは多分ないだろう。


 まあ……無理だってなら別にいい。


「よ~くわかりました。じゃ、しばらくギルと話をさせてください」

「……ああ、わかった」


 あたしはギルバートの手を引き、廊下に出た。

 外ではシャーロットが聞き耳を立てていたらしく、あたしたちを見てぎょっとして扉から離れた。


「あらあら、聞き耳なんて行儀が悪いですよ? シャーロット様」

「…………ッ」


 シャーロットは珍しく何も言わず、あたしを睨み付けて「お義父様!」と部屋の中に入っていった。


「どう思います? あれ」

「シャーロットか? 大方、お前を敵視してるんだろう。娘として迎えられたのに本物の娘が現れたとなれば焦るのは当然だ」

「別に娘として迎えられる訳じゃないのに」


 聖女として迎えられそうってのは間違いないけど、記憶のないフリをしているし、侯爵の娘になる訳じゃない。


「それでも、あのお嬢様は娘として愛されることを望んでいる人間だ。家を追い出される訳じゃなくても、父親の目がお前に行くのは許せないんじゃないか、気持ち的に。へそを曲げて朝食にも来なかったじゃないか」


 そう言えば、シャーロットは一人だけ食堂に来なかった。呼びに行ったが部屋から出てこない、という話だったっけ。


 あたしは肩を竦めた。

 少し廊下を歩いた先で、ギルバートは声を潜めた。


「お前は、どうするつもりなんだ?」


 あたしは黄金色の瞳を見上げ、もう一度肩を竦めた。


「逃げるなんてできませんよ。わかるでしょう? 神殿って多分相当厄介ですよ。国王とかも絡んでくるかもしれないし。それってつまり、この国から逃げようとするってことですよ。できる訳ないでしょう?」

「神殿に囚われるのを良しとするのか?」

「三食昼寝付き、食うにも寝るにも困らない生活。悪くないでしょ」

「自由はない」

「案外いいところかも――――」

「酒と煙草はできなくなるぞ」

「こっそりやりますよ」

「すぐバレるだろうな」

「……じゃあ我慢するっきゃないですかねえ」

「お前に我慢できるか? 絶対無理だろ」


 ギルバートの語気が荒くなる。あたしは「どうしようもないでしょう」と眉間に皺を寄せた。


「いいんですよ。身の安全が保障された生活なら。あたし解放奴隷ですよ? 奴隷時代に比べれば、こんなに恵まれたことないんですから」

「安全? そんなもの、俺がいくらでも保障してやる。言っただろ、俺がお前を守るって。――――父親からも国からも守ってやる。お前が望みさえすれば、俺はどこにだってついていく」


 握る手に力が込められる。

 痛いほど気持ちが伝わって、苦しくなった。


「……ばっかですねえ。神殿なんて、ついてこれませんよ。何十年も修行を積んだ優秀な神官とか、選ばれた人しか入れないでしょ、ああいうのは」

「お前が神殿に行きたいなら、神官にだってなるさ」

「そんなの無茶――――」

「無茶なものか。勉強も世渡りも得意だぞ、お前が思っているより」


 彼のもう片方の手が、あたしの頬に添えられる。大きくて、温かい。

 優しい手。ずっとそうしてほしいと思えるほど。



「俺は、もう小さな子どもじゃない」



 ……わかってる。

 そんなの、本当はもうとっくにわかっていた。

 わかっていて、見ない振りをしてきた。だってあたしは、貴方を幸せにはできないから。


 優しい手を、あたしはそっと払いのけた。



「あたしは、面倒な女ですよ。貴方がそこまで必死になっても、得られるものはほとんどない」

「お前さえいればいい」

「……あたしは、子どもを産めません」

「それが何だ? 俺はお前さえいてくれたらそれでいいんだ。子どもがほしいと思ったことはない。そんなの大した問題じゃない」

「そんなの……わからないですよ。今は良くても」


 いつかほしいと思うかもしれない。

 いつか後悔するかもしれない。

 こんな人生、選ばなきゃよかったって。そうなった時、あたしは多分、人生で一番不幸になる。


「もっと気軽な、楽しい人生ってあるでしょう。良い人はいっぱいいますよ、ギルバート」

「ラビ――――」



「グレイス様」



 背後から、名前を呼ばれた。


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