第44話 あたしが次期聖女と呼ばれていた頃 5


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 侯爵の部屋を尋ねると、彼は積んだ本の上から顔を向けた。


「よく来てくれた」


 本当は今朝経つ予定だったからだろう、侯爵の客室は綺麗に整頓されている。

 ただ、机の上にはたくさんの本が広げられていた。恐らく今し方トランクから引っ張り出したのだろう。

 あたしとギルバートは、その本を手に取り、顔を見合わせた。いかにも小難しそうなその本は、あたしたちの知らない言語で書かれている。


「ギルバート君も、これを見るのは初めてかな?」

「ええ。こんな文字は、見たことがない」

「今では使われていない古い文字だ。君たちが知らないのも無理はないだろう」


 そう言いながら、侯爵はあたしたちに席に座るよう促した。

 チャールズがお茶を淹れ、あたしたちの目の前に置く。


「聖女について書かれた書物は少ない。書かれてある言語も、理解できるのはごく少数。昔はかなり厳重に保管されていたものだが、聖女が途絶えたと言われた今となっては、価値もほとんどないと破棄されかけていた。私は、それを神殿から買い取ったという訳だ」

「そうでしたか……。確か、聖女というのは継承の儀で代々力を伝えてきたものだと」

「ああ、ギルバート君もその辺りのことは知っているんだったね。そうだな、神殿が公表した事実の一つだ。だが、それだけじゃない」


 侯爵はどことなく暗い表情で一つ息を吐き、それから覚悟を決めたようにあたしたちを見た。


「なぜグレイスは継承の儀もなく、母親から聖女の力を引き継いだのか。理由は一つ。聖女は、子を産むと死ぬからだ」

「…………え?」

「死ぬんだ。自分の力を子どもに移して死ぬ。それは聖女となった人間には避けがたい未来であり、故に聖女は神殿で守られ、本来は婚姻もできない」

「な……え……」

「神殿で守られ、長い時を神殿で過ごた後、継承の儀によって次期聖女に力を渡し、亡くなる。それが聖女の一生だった。だからこそ、聖女は守られ、何百年も何の問題もなく力を継承することができた」


 子を産むと、死ぬ。

 でも、じゃあ、お母様は……。


 あたしは思わず視線を逸らした。――――ああ嫌だ。知らずにいられたら幸せだったことじゃないか、そんなこと。でも、知りたいと願う気持ちがあったのもどうしようもない事実だった。


「彼女は国王の妹だった。聖女候補に選ばれ、自ら進んで聖女となった。その後、大きな戦争があって俺は将軍として軍を指揮し、功績が認められ、彼女と結婚することになった。当然、異例中の異例だ。国王の計らいではあったが、本当に彼女と結婚などしていいものか、いくら周りがそれを祝福するとて、許されることなのかと悩んだものだ」


 だが、結局……と侯爵は自虐的な笑みを浮かべた。


「俺は彼女と結婚した。そして子をもうけた」

「……間違ってできちゃったなら、堕ろせばよかったんじゃないですか。そしたら力は継承されないでしょ? それともできちゃった時点でだめ?」


 あたしが思わず口を挟むと、侯爵は悲しそうな笑みで首を横に振った。


「子を欲したのは、俺だけじゃない。彼女も、それを望んでしまった」

「………………」

「2人で話し合って、国王にも許可を貰って決めたことだった。グレイスは、望まれて生まれた娘だったんだ」

「……産んだら死ぬとわかっていて、どうして」


 あたしだったら絶対にそんなことやらない。

 自分の命の方が大切だし、別に子どもなんてそんなに好きでもないし……自分の血を残したくないって気持ちもあるからかもしれないけど。


「その結果生まれた子どもだって、真実を知っても知らなくても苦しむでしょ、そんなの。……計算外でしたか? 子どもの体が弱いのは」

「そうだな。グレイスは特定の病気に罹っていた訳ではなかった。体の方が、聖女の力に耐えられなかったのかもしれない。はっきりとした理由は、結局わからないままだが」

「……ふうん」


 侯爵はそっと目を伏せ「彼女は、娘の誕生を心待ちにしていた」そう言うと、一つ咳払いしてから「この書物には」と本を指した。


「聖女の力は、消えることはないと書かれてあった。神から与えられた特別な力は、たとえ儀式が行われずとも、最後の聖女の魂と共にまたすぐに復活するのだと。……だが、グレイスの死は神殿を根本から揺るがし、何の手掛かりも得られない18年の歳月は、神へ疑念を抱くに充分な時間だった。誰もが、もう何をしても無駄だと思っていた」

「…………」

「君の存在は、聖女が存在することを、途絶えることはないことを証明している。瞳に咲く銀の花。昨晩のあの力。容姿がグレイスと瓜二つに変化したのも、恐らく聖女の力によるものだろう。まごうことなき聖女の復活だ」


 次期聖女、か。この国の生まれでもない解放奴隷が、急に聖女様だなんだと言われるなんて、おかしな話だなとは思う。


 で、聖女の力を扱うには相応の丈夫な体が必要かつ、子どもを産めば代償に死ぬ。

 長生きしたければ子どもは産まない、継承の儀もできるだけ先延ばしにできるよう、健康に気を遣えってわけか。


「で、この話の流れだと、その聖女ってのは本来、神殿にいなきゃならないものだ、ってことで合ってます?」

「そうなるな」

「四六時中神殿で暮らす訳ですよね? たまに出張みたいな感じで力を使うこともあるでしょうけど。それって全部、神殿や王家が望んでいることですよね?」

「まあ……そうなるな」

「それってぇ……報酬はいくらくらいです?」


 あたしは一番、気になっていたことを尋ねた。

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