第29話 あたしが専属メイドと呼ばれていた頃 10



 一人でバルコニーで過ごして、どれくらい経っただろう。

 パーティーはまだ終わる気配がない。あたしのいるこの離れにも、パーティーの華やかな音……音楽だとかダンスだとか人の声だとか、そういうのが微かに聞こえてくるけれど、全然落ち着きそうにない。


 この様子じゃ、主役のギルバートがここに帰ってこられるのも、まだ随分かかるだろうなと思う。


 煙をくゆらせてぼんやりしながら、もう寝ちゃおっかな~と思った時だった。



「――――――――ねえ!!」


 甲高い声が、バルコニーの下、庭の方から投げかけられた。

 最初は幻聴かと思った。それともパーティーの方の声が、異様にはっきり生々しく聞こえたとか。とうとうあたしの耳もおかしくなってきてんのか、て思いながらぼんやり視線を下に向けて、仰天した。


 見覚えのない女が、そこに突っ立っていた。


「ん? え? 何? 誰? 幽霊?」

「あんたね!? メイドのくせにそんなドレス着て……フン、一丁前に貴族でも気取っているわけ? 卑しい身分のくせにみっともないったら!」

「?」


 何を言っているのか理解できなかった。

 女――と言ってもかなり若い。多分今のあたしか、ギルバートと同じくらいの年の少女か。けばけばしいくらいの豪奢なドレスや、ぎらぎら光る装飾物から察するに、そこそこ裕福な貴族の令嬢ってことは何となくわかる。


「パーティー会場はあっちですよー。迷子ですかー?」

「そんなのわかってるわよ!! ちょっと、あんた降りてきなさい!」

「はあ?」

「聞いたわよ? あんた元奴隷のメイドなんですってねえ? そのくせギルバート様に取り入って愛人になろうとしてるって話じゃない!」

「……あー」


 どうやらあれはギルバートに惚れたご令嬢様らしい。

 ギルバートその人に惚れたのかその将来性に惚れたのかは知らないけれど。


 で、どこかしらからあたしのことを聞いて、わざわざこの離れまで来たって訳だ。

 あ~~……めんどくさっ。同僚メイドからああだこうだ言われることはあったけど、ご令嬢にやっかまれて離れに突撃されたことはさすがになかった。


「見れば見るほどいやらしい女ね。顔つきも下品だし、ドレスも全然似合ってない。ちょっと、いつまでこの私を見下ろしている訳? さっさと降りてきなさいってば!」

「はあ……下品極まりないのはどっちだ」

「は?」

「他人様の敷地の中を勝手にうろうろしちゃだめって習いませんでしたー? どこの誰だか知りませんけどさっさとお引き取りくださーい」

「私の名は、シャーロット・エイデンよ!!!」

「………………え?」


 あたしは思わず女を――シャーロット・エイデンと名乗った令嬢を凝視した。

 柔らかな金色の髪に、薄茶の瞳。いかにも勝ち気そうな表情だけど、顔立ちは割と整っている。……でもやっぱり見覚えはない。


「ふふ、驚いたわね? こんなド田舎の無教養のメイドでも、エイデン侯爵家の名くらいは知っているらしいじゃない」

「……侯爵家の、ご令嬢」

「そうよ! あの救国の英雄、エイデン侯爵家の一人娘――――――」



「正しくは養女でしょう、お嬢様」



 ビリビリと空気を震わせるような大声を放っていたシャーロットは、その声にぴたっと言葉を止めた。


 暗がりから、男が現れる。昼間、あたしとぶつかったあの男が。


 シャーロットは嫌そうに顔を歪めた。


「……チャールズ。今良い所なんだけど?」

「何ですか、良い所って。ほんと勘弁してください。勝手に他人様の敷地内をうろうろするなんて、失礼にも程があるでしょう」


 チャールズは険しい顔でため息を吐いた後、あたしに深々と頭を下げた。


「お休みのところ、うちの令嬢が申し訳ございません」

「チャールズ! あれはメイドよ!? しかも元奴隷の穢らわしい――――」

「貴方は黙っていてください!!」


 チャールズが声を張り上げ、シャーロットは目を見開いた。大きな目に、みるみる涙が溜まっていく。


「何よ……何よ……! あんたもあんな小汚いのがいいっての!? 最低! あんたなんてクビよ! クビ!!」


 キーキー声で叫び、そのまま本邸の方へ「わーっ!」と駆け出していった。

 何が何やら。へったくそな劇団の三文芝居でも見ているような気分だった。

 チャールズを見下ろすと、今まで見たことがないくらい疲れ切った顔をしている。


「本当にごめん。すまない。何と謝っていいやら……」

「追わなくていいの?」

「すぐ追いかけるけど、また逃げるだろうな。少し情緒が不安定なんだ。分家から、最近養女に迎えられたばかりだから……旅の疲れもあるんだろう。今回のパーティーに参加するのも、遠方になるし無理はしなくていいと伝えたんだが……」


 そう言って、また小さくため息を吐いた。


 グレイス・エイデンは侯爵の一人娘だった。彼女が亡くなった以上、侯爵家を存続させるためには誰かを跡取りとして迎えなければならない。

 それにしてももう少し良識のある子息か令嬢を迎え入れればよかったのに。もし分家にあれ以上の人材がいなかったのだとしたら、可哀想とは思うけど。


「あの人、うちの坊ちゃんと結婚するつもり? 婿入りってこと?」

「……どうかな。ギルバート様は男爵家の後継者と言われているだろう? ただ、お嬢様だけでなくうちの旦那様もギルバート様のことはお気に召したようだから……もしかしたら、もしかするかもしれない」

「ふうん……」


 ギルバートが、エイデン侯爵家に婿入り……?

 うわ、はは、何か笑える。

 男爵がどう言うかわかんないけど、相手が侯爵となれば喜んで差し出すかもしれない。一応他に息子は二人いる訳だし。無能だけど。


 万が一そんなことになったら、あたしはさっさと消えるしかないな。



「…………ラビ」



 名前を呼ばれて見下ろすと、チャールズはなぜか申し訳なさそうな顔をしていた。



「何」

「……ドレス、似合ってる。綺麗だ」



 それから、いつもの優しい笑みを浮かべた。



「じゃあ、また。一週間滞在する予定だから」

「え」

「次はゆっくり話そう」



 呆然とするあたしを残し、彼は暗闇の中に消えていった。


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