第30話 あたしが専属メイドと呼ばれていた頃 11



 結局、ギルバートが帰ってきたのがいつかはわからない。

 あたしは化粧もそのままにバルコニーで寝てて、いつの間にかベッドに寝かされていた。ギルはベッドサイドで、壁に背中を預けて眠っていた。


 疲れ切ったような、子どもみたいな寝顔。まるで天使みたい。

 ほんと整ってんなあ、とは思う。貴族の令嬢方が夢中になるのもなんとなくわかる。金持ちのボンボンで将来性もあって、見目が良ければ言うことないだろう。

 あたしはじーっとギルバートの顔を見つめた後、そろそろとベッドから抜け出て、顔を洗いに行った。ついでに、堅苦しいドレスも何とかしたかった。


 戻ると、ギルはいつの間にかソファに移動して本を読んでいた。


「おはようございまーす、ギル」

「……ああ」


 気怠げに本から顔を上げる。目の下にうっすら隈さんができている。


「まだ寝てたらよかったのに。昨日相当遅くまで粘ってたんでしょ?」

「疲れた……」

「お疲れ様です」


 いつものメイド服に着替えたあたしを見て、ギルバートはむすっと表情を曇らせた。


「もっとドレス姿のお前を見てたかった……」

「大したもんじゃないですよ」

「大したもんだ。次お前のドレス姿を見られるのは来年か? 誕生日くらいしか俺の頼み聞いてくれないだろ」

「別にあたしのドレス姿なんて……。昨日散々可愛い女の子たちのドレス姿見たんじゃないですか? お腹いっぱいでしょ」


 シャーロットの姿がぼんやり浮かぶ。綺麗に豪奢に着飾った、あたしなんかよりよっぽど美しい令嬢。……頭の方はどうかしれないけど。


「他の女なんてどうでもいい。お前じゃなきゃ意味がない」

「…………返しに困ること言わないでくださいよ」

「本当のことを言っただけだ」

 

 ギルバートは、目を細めて小さく微笑んだ。

 気恥ずかしい。あたしは思わず顔を逸らした。

 昔はこんなこと言う子じゃなかった。生意気ばっかり言ってたくせに。


「……もう少し寝てたらどうです? 無理したら体壊しますよ」

「いや……うーん、そうだな。やっぱりもう少し寝る」

「ええ、寝ててください。今日は予定ないでしょ?」

「今日は……ない。明日は…………」


 むにゃむにゃしながら、ギルバートは「すう……」と静かに眠りに落ちた。

 ぽと、と本が床に落ちて、あたしはそれを拾うついでに、ギルバートの頭をそっと撫でた。柔らかい黒髪。心地よくて、ずっと触ってたくなる。



 ……弟だ。彼は、可愛い弟みたいな存在。



「幸せになってくださいよ。……幸せに」



 男爵位を継ぐにしても、侯爵家に婿入りするのだとしても、自分が納得のいく道を選んで、幸せになってほしい。ついでに好きな人とか見つけたりして。



 人生を謳歌してほしい。



「……なんて、あたしがわざわざ言うことじゃないか」



 ギルバートには、もう大勢の人がいる。大勢の人が、彼を慕って、彼の将来に期待している。

 あたし以外面倒を見る者のいなかった、小さな子どもはもうどこにもいない。



 本を机の上に起き、あたしは音を立てないように気をつけながら廊下に出た。

 お腹が減った。何か食べよう。


 本邸の厨房につくと、シェフやメイドがてんやわんやで作業している。昨夜あんな盛大なパーティーを催した後だってのに、今日もやることは山盛りあるらしい。可哀想に。

 つくづく、ギルバートのお世話だけやっていればいいあたしは恵まれてんなと思う。


「ラビ!? もしかしてもう坊ちゃん起きたのか!?」

「いんや、何かないかなーって思って。お腹減った」

「あー……じゃあそこに置いてある食材なら好きに食っていいぞ!」

「あざーっす」


 これはあのご夫婦に、これはあのご令嬢に、といった具合で、客一人一人に合った食事をひたすら生産していくシェフ。……大変だな。

 招待客のほとんどは本邸の客室に泊まっていく。大抵は朝食だけ摂って帰るものだけど、遠方から来た客なんかは、観光がてらもうしばらく泊まることも珍しくなかった。



『一週間滞在する予定だから。――――次はゆっくり話そう』



 確か、チャールズはそんなようなことを言っていたっけ。

 一週間か……。さっさと帰ればいいのに。


 食べて良いと言われた食材の中に林檎を見つけて、あたしはそれを一つ手に取り、厨房を出た。

 庭を横切り、日当たりのいい手頃な場所を見つけて座り込む。

 がりがり林檎を咀嚼してぼんやりしていると、背後に人の気配を感じた。



「……ラビ?」



 その声を聞いた途端、あたしはその場から立ち上がった。


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