第24話 あたしが専属メイドと呼ばれていた頃 5



「どうかされましたか? もしかしてどこか怪我を――――!?」

「…………いや、大丈夫。別に、どこも」



 どこか聞き覚えがあると思ったけれど、よくよく聞けばかなり違う。

 声変わりして低くなった声。背はあたしよりずっと高くなって、顔つきも、あたしの知らない、立派な大人のそれだった。


 でも、間違いなくチャールズだ。

 あたしが死んで、18年。あの時10歳だった彼は、今多分28歳。



 心臓が凍り付くってこういうことを言うのか。

 ギルバートが倒れた時を思い出す。あの時も勘弁してほしいと思った。やばさの種類は違うけど、これはこれで本当に勘弁してほしい。


 グレイス・エイデンを知っている人間と出会うなんて……ああ最悪だ。最悪すぎる。


 その可能性をちっとも考えなかったかというと嘘になる。

 死んですぐ生まれ変わったらしいってのは知ってたし、同じ時代を生きているなら、ばったり出くわすこともあるかもしれない。何より、ここはあたしが以前生きていた国だ。

 でも、ほとんどをベッドの上で過ごしたあたしと、実際に関わっていた人間なんてごく僅か。第一エイデン侯爵家はここから随分遠くの地方を治めているし、男爵家は金は持っているけれど地位はそう高くもないし、仮にギルバートが社交界でばったり会うことはあっても、挨拶してはい終わり、だろうと……。


 いや、でも……待てよ。


 そう言えばだいぶ前の話になるけど、ギルバートがエイデン侯爵に手紙を送っていた……ような気がする。

 直後にギルバートが倒れて、復活して、それはもういろいろ大変だったから忘れていたけれど……あれからどんなやり取りをしているのか、手紙の返事は来なかったのかどうなのか、あたしは、何一つ知らない。


「顔色が悪いですね。こんなずぶ濡れじゃ冷えるでしょう。さあ、温かい場所に行きましょう」

「…………」

「立てますか? 難しいようでしたら、僕が――――」

「いや、別にいいから」

「ですが服が汚れて――――」

「こんなの大したことないってば! 気にしなくていいから。高いもんでもないし」


 あたしはチャールズの手を振り払って立ち上がり、濡れた髪もそのままに歩き始めた。


「あ、待ってください! さすがにお詫びをさせてくれませんか? あの――――」

「鬱陶しいなあ!」


 チャールズは荷物もほったらかしであたしについてきた。馬鹿か? こんな馬鹿だったのかこの子は? ご主人様の――――侯爵だか誰だか知らないけど、その大切な荷物をちゃんと守るのがあんたの仕事じゃないのか?


 チャールズが今もエイデン侯爵家に仕えているのかはわからない。

 でもそれなりに良い身なりとあの大量の荷物から察するに、どこかやんごとないお貴族様の従者として働いているだろうことは想像に難くない。

 そんな金持ち貴族なら馬車でも用意して荷物を運ばせろよとは思うけど……もしかして虐められてるのか? いや、世渡り上手のチャールズに限ってそれはないか。


「あたしのことは気にしないでいいって言ってんだろ! さっさと消えろよ優男!」

「これを」


 唾でも吐き吐けてやろうかと思ったら、突然上着を着せられた。ふわりと、微かな香水の匂いが鼻を擽る。

 驚いて固まっていると、彼は末恐ろしいほど優しい顔で、私に微笑みかけていた。


「レディがずぶ濡れで歩き回るものじゃありませんよ。ちゃんとした服を用意させてください」

「……レディとか言うな。気持ち悪い」

「それは失礼しました、お嬢さん。ですが、このまま恩人をずぶ濡れにして町を歩かせるなんてできません。ここは僕の名誉のために、どうかお詫びをさせてはいただけませんか?」


 よくもまあ、こんなにすらすらと言葉が出てくるもんだなと思う。普通の庶民にはまず無理だ。こんな紳士的な対応されたら、そこら辺の女の子ならコロッと騙され…………まあ、あたしもその一人だった訳だけど。


 クソ、黒歴史が疼く。遙か昔の。


 ますます顔が歪んでいくあたしと対照的に、チャールズは柔らかな笑顔のまま続けた。


「そのままじゃ風邪を引きますよ。体は大事にしないと」

「生憎、生まれてこの方引いたことがないくらい丈夫でね」

「そういう方ほど、一度引くと重症化しますよ」

「………………」


 思わずため息が出た。

 本当はもうさっさと離れたいところだけど、こいつ本当に面倒臭い。


 苛々してポケットに手を突っ込んだ。その直後、思わず「あ」と間抜けな声が出る。急いで取りだしてみると、煙草の箱は全滅だった。川に飛び込んだ所為でずぶ濡れになっている。


「チッ……最悪」

「煙草吸うんですか? 弁償しますよ」

「…………」


 あたしは川辺に置き去りの大量の荷物に視線を向けた。


「…………あっちの荷物は」

「石橋の向こうに馬車を待たせてあります。このすぐ近くですから、後は御者に任せますよ」


 言うや否や、チャールズは甲高く口笛を鳴らした。その途端、空から真っ白な鷹が舞い降りて、彼の腕に留まった。


「御者に伝えてくれ。あの荷物を全部馬車に積めて予定通り運んでほしい、と」


 賢そうな顔つきの奴だった。でもさすがに言葉は理解できないだろうと思ったのに、鷹はこくりと頷き、あっという間に石橋の向こうへ飛び立っていった。


「チャールズ、あれは一体――――」

「? あれ? 僕、名前言いましたっけ?」


 あ。しまった。


 思わず口をつぐんだあたしに、チャールズは「すみません、きっと言いましたね」と笑い、「あれは僕の相棒ですよ」と微笑んだ。


「賢い奴なので大丈夫です。お気になさらず。……そう言えば、あなたの名前は? まだ聞いていませんでしたね」

「………………知らない」


 あたしはそっぽを向いて、歩き始めた。

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