第23話 あたしが専属メイドと呼ばれていた頃 4



「庶民向けではあるが、味は間違いない。何でも好きなものを選んでいいぞ。あまり飲み過ぎなければ、酒もな」

「へえ……美味しそうなカクテルですねえ」


 あたしはパラパラとメニュー表を捲った。

 ここの店員が作ったんだろう、手作りの可愛いメニュー表だ。店内の雰囲気も庶民的で可愛い感じだし、客層も中流階級、と言ったところか。貧乏でもなければ、もの凄いお金持ちでもなさそうな、普通の、幸せそうな家族連れだとか、カップルの姿が目立つ。


 ここも、さっきの高級店同様、あたしみたいな解放奴隷が来ていい場所とは思えない。でも、さっきの店より遥かに居心地がいいのは間違いなかった。


「ちょっと意外です」

「ん?」

「てっきりまた高級レストランにでも連行されるのかと」

「そっちの方が良かったか?」

「いえ、全然。ここの方がずっといいです」

「そうか」


 ギルバートは安心したように微笑んだ。


「そうだと思った」

「…………」

「俺はシチューにする。ラビは?」

「……同じもので」


 ギルバートが注文してくれるのを横目に、あたしは何だか心がざわざわして落ち着かなかった。


 高級店じゃ居心地が悪いだろうって、そんなことまで考えてくれてたってこと? 

 それはつまり、あたしのために?




 …………何か、おかしい。何だこれ。この感じ。

 ギルバートはもっと子どもっぽい子じゃなかったっけ?

 年下で、あたしの弟みたいなもので、我が儘で、手の掛かる…………なのに、これじゃなんだか、あたしの方が年下みたいなんだけど。


 あたしはパンをもそもそしながら、視線を逸らした。



「――――――ねえ、見て見て。あの人格好いい」

「ほんとだ。……私知ってる。アンカーソン男爵家のご子息よ」

「え!? それって、次期男爵って噂の……!?」


 ひそひそと、若い女性の声が耳に届く。多分ここら辺に暮らしてる、町民の娘とかその辺りだろう。見初められて愛人、いやもしかしたら正妻になれるかもしれないと、そんな話まで聞こえてくる。



 …………これはこれで、普通に居心地が悪いな。

 あたしは苛々とパンを噛み千切った。


「おっ、美味いな、ここのシチュー。評判通りだ。うちのシェフより美味いんじゃないか?」

「……そうですねえ。美味しいですね、これ」

「ああ」


 満足そうにシチューを頬張るギルバート。……昔は、薄い林檎くらいしか喉を通らなかったのに。

 随分元気になってくれたなって思う。その事実が、ほんのりあたしの心を落ち着かせてくれた。


「……あ、ねえ、あれ見てください。美味しそうなスイーツ食べてる人いますよ。あれなんですかね?」

「パフェというやつらしい。ここの名物だと」

「じゃ、あれ三つください」

「食欲旺盛だな。全部食べられるのか?」

「余裕ですよあれくらい。あたしの胃袋舐めないでくださいね」


 ふふんと得意げに顎を上げると、ギルバートはおかしそうに噴き出した。




 穏やかな時間だった。

 そのうち、若い女の子たちの会話も視線も気にならなくなって、ただ普通にギルバートとの時間を楽しんでいることに気がついた。


 初めてギルと出会った時は、こんな時間が訪れるなんて夢にも思わなかったっけ。

 二人で街に出て、一緒に美味しいものを食べながら、こんな風にのんびり過ごすなんて。


 パフェを三つ完食して、あたしはスプーンをカランと容器の中に入れた。ついでに、追加注文したカクテルもぐいっと飲み干す。


「は~美味しい! お腹いっぱい! こりゃ夜のパーティーは参加できませんねえ」

「なんでそうなる」

「だってお腹いっぱいなんですもん。パーティーってのは美味しいものをたらふく食べるためにあるものでしょ? だったら今のあたしには難しいですね」

「ドレスだって買ったんだぞ?」

「このお腹じゃ入りませんねえ、ええ。ほら、一回り以上大きくなった。妊娠五ヶ月ってとこです」

「頑張って引っ込めろ」

「横暴な……」


 アルコールが程よく頭に回って、ふわふわと心地いい。

 あたしは良い気分で、「カクテルもう一杯くださ~い」と脳天気な声で注文した。


「あまり飲むな。それで最後だからな」

「はいは~い。お酒が美味しすぎるのが悪いんですよ~。へへ、ギルバートも飲めばいいのに」

「また今度な」


 ぐびぐびと、可愛さの欠片もなくまるでおっさんみたいにカクテルを飲み干すあたしを、ギルバートは至極優しい顔で見つめている。……それに気づいて、若干酔いが冷めた。


 まただ。また、心がざわつく。


「…………あー、ごほんっ、ねえギル、さっきからこっちをチラチラ見てる可愛い女の子がいるの気づいてました?」

「知らん」

「なかなか可愛い顔ですよ~、胸もデカイし。げへへ、愛人にいいんじゃないです? 正妻はやめといた方がいいと思いますけど~」

「要らん。不愉快だ」


 優しかった顔が不機嫌に歪む。うん、この顔この顔。あたしの慣れ親しんだギルの顔だ。


「さ~て、じゃ、あたしは先に出てますから! あの子たちとちょっくら話でもしてあげたらどうです?」

「は? 何言って……」

「そこの子たち~、坊ちゃんがお話したいですって! ちょっとお茶でもどうです?」

「は!?」


 あたしが適当に声を掛けると、女の子たちは「え!?」「ほ、本当ですか!?」と嬉しそうに頬を赤らめる。

 それを見て、ギルバートも「う」と口を噤んだ。

 昔、本で読んだことがある。貴族の器ってのは、こういう時の庶民への対応で知れるものらしい。となると完璧主義のギルバート君は、彼女たちを決して無下にはできない。ただでさえ『優秀で非の打ち所のない素晴らしいお坊ちゃん』として通っているのに、嫌な噂は流されたくないだろう。


 可愛い子たちに距離を詰められて、作り笑顔に冷や汗を流しているギルバートに、あたしはひらひらと手を振った。


「ほいじゃ、あたしは煙草でも吸ってきますね~~」

「待っ……ちょ……」


 あたしはさっさと店を出た。


 ふう、やれやれ。蒼い空を見上げると、少しは心が落ち着いた。


 今日は何だか変な日だ。心がざわついたり、落ち着かなかったり。ドレスなんて買って貰ったから? たらふくご飯を食べたから? 酒を飲み過ぎたから?

 わからない。どうにもわからないから、気持ち悪い。


 あたしはふらふらと通りを歩いた。

 ギルバートが店を飛び出てくるのも時間の問題だし、今はゆっくり、気を静めよう、うん。


 そう思いながら、小さな石橋の上を、ぼんやり川を見下ろしながら歩いていた時だった。


 注意力が散漫だったのは認める。

 突然、何かにぶつかった。


「うわっ!?」

「ッ!? す、すみません!!」


 事故だった。声の感じは、若い男だ。向こう側から歩いていたそいつと、あたしは真正面からぶつかった。ぶつかった衝撃であたしは尻餅をつき、あたりにバラバラと、そいつが抱えていたらしい荷物がぶちまけられる。


 そいつは荷物を両手に積み上げて運んでいたらしく、前がほとんど見えてなかった。そんなあいつに、周りは気を遣って離れて歩いていたみたいだけど、あたしは全然気づかなかった。

 悪いのはこいつだ。こいつが全面的に悪い。


 だけど……


「やっば!!」


 荷物のいくつかが、石橋の下、川に落ちていくのが見えて、あたしは思わず目を剥いた。

 その荷物たちは、パッと見た感じでもなかなかの高級品でありかつ、プレゼントのようにも見えた。だって可愛らしいリボンとかかけられている。水が染みて、リボンも紙箱もふにゃふにゃ崩れていくのが見えた時には、あたしは咄嗟に川に飛び込んでいた。


「ちょッ……大丈夫ですか!?」

「あたしの心配よりこっちの心配でしょ! ほい一個!」


 あたしは一つ拾ってそいつに放り投げた。

 そいつは焦りながらもそれをキャッチした。


「荷物はいいですから上がってください! 風邪引きますよ!?」

「これくらいで引かないし、そんなに深くないから大丈夫だってば。ほいもう一個!」

「いえ、ですが――――」

「後で弁償って難癖つけられる方が面倒!」


 あたしは落ちたものを一つ一つ拾い上げて、順調に陸に上げていった。

 数自体はそんなに多くなかったおかげで、なんだなんだと、町の人たちがぽつぽつ集まる頃には、作業は終わっていた。


「本当にすみません! 大丈夫ですか? 僕の不注意が原因なのに……」


 そう言いながら、そいつは川に浸かったあたしに向けて、手を差し出した。




 そこで初めて、既視感を感じた。

 そいつの、声。

 どこかで、聞いたことがあるような気がした。――――どこか。遠い昔に、どこかで。


 あたしはそいつの手を掴んで、川辺に上がった。

 逆光で見えなかった顔が、近くに来て初めて露わになる。



「タオルをどうぞ。すぐに替えの服を用意しましょう! そうだ、ちょうどお嬢様のドレスがあるので、それを――――」



 くすんだ金髪。

 綺麗な、若草色の瞳。




 あたしが、かつて好きだった人。




「? どうかされましたか?」




 ……チャールズ。

 どうして、貴方がここに。


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