第17話 あたしが解放奴隷と呼ばれていた頃 14



 …………

 ……………………


 ………………もしかしてあたし、また死んじゃった?


 いや、まさかねー……。祈りすぎて死ぬなんて、前世じゃあるまいし。


 今世のあたしは頑丈なのが取り柄でしょ。現役バリバリの奴隷時代、あんな酷い扱いばっかり受けてああもう死んだ方がマシだって思ったこともあったけど、結局なんやかんや生き延びたじゃん。死体漁りもしたっけ。

 あんなことして変な病気にも罹らず変な輩にも襲われず運良く生き延びたんだから――――……ああ、それともあの時運を使い切った? 後はもう堕ちるだけ? あたしもとうとう地獄行きか?



 あたしはゆっくりと目を開けた。



 ……眩しい。眩しすぎて、あたしはもう一度目を閉じた。カーテンを開けっぱなしにしていたんだろう、朝日がしんどいくらい差し込んでいる。

 病室特有の、薬だか何だかの臭いが、ツンと鼻につく。


 どうやらあたしは生きているらしい。


 前世で死んだ時と似たような感覚だったから、てっきり運が尽きたかと思ったのに、あたしはまだ、しぶとく生き延びている。

 嬉しいのか辛いのかって言ったら、間違いなく嬉しいことのはずなのにどうにも喜べない。そんな気分になれない。体が重くて、酷い二日酔いみたいだし。


 あたしは、ぎゅっと手に力を込めた。坊ちゃんの手は、まだ温かい。手を握りながら眠るなんて、我ながらどんだけ坊ちゃんのこと好きなんだろう。好きに、なってしまったんだろう。


 こんな風になるとは思わなかった。正直、最初の内はただの面倒臭い坊ちゃんとしか思わなかったのに。



 優しいものは嫌だ。

 どんなに優しくても、いつかは、消えてなくなってしまう。



「…………坊ちゃん」



 小さく、坊ちゃんを呼んだ時だった。



「何だ?」

「え?」



 声が、返ってきた。



 ……ああ、幻聴かな。

 遂に幻聴が聞こえるようになったんだ。だって、あんな状態で助かったなんて思えない。今にも命の灯が消えてしまいそうだった。声を出すのもやっとだった。

 それが、こんなにはっきりと、今までにないくらいしっかり返事をするなんて、できる訳がない。


「そうだ、ここ病院だし、耳診てもらおうかな」

「耳?」

「ああ、また幻聴……。耳がおかしくなったことなんて今まで一度もないのにぃ……」

「幻聴って何だ幻聴って。お前、僕が死んだと思っているのか?」

「………………」

「おい、いつまでシーツに顔を埋めてるつもりだ。さっさと顔を上げろ」


 ぎゅっと手を握り返されて、思わず体がビクついた。

 あたしは、恐る恐る、目を細めながら顔を上げた。



 そこにあったのは、信じられない光景だった。



 坊ちゃんがベッドの上で半身を起こし、静かに微笑んでいる。

 明るい朝日を背に、まるで天使みたいに見えた。……いや、ほんとに天使かもしれない。


 だって昨日はあんなに青ざめて死にかけだったのに、これじゃ別人だ。

 そもそも生きてるってだけでも驚きだったけど、それだけじゃない。肌は白くうっすら桃色で血色も良い。火傷のように爛れていた皮膚は一体どこに消えたのやら、綺麗さっぱり治っている。ぱさぱさだった髪も心なしかつやっつやになっているような……。


 どこからどう見ても、健康そのもの。


 あたしは面食らった。

 こんなの坊ちゃんじゃない。


「あの、どちら様です……?」

「ふざけてるのか」

「いやだって、坊ちゃんな訳ないじゃないですか! 天使様? うわ、もしかしてあたしに説教でもしに来たんですか? あたしが何度か神様に罵詈雑言を浴びせたから――――」

「お前そんなことしてたのか」

「それくらいあたしは必死で――――……え? ほんと? ほんとに、坊ちゃん……? ご自分で鏡見ました?」

「見てないが触った感触で何となくわかる。あと僕のことはギルバートと呼べと言ったろ、ラビ」

「ギル、バート……」


 あたしは何度も瞬きを繰り返した。

 随分間抜けな顔をしていたんだろう。坊ちゃんは――――ギルバートは、可笑しそうに噴き出した。


「ははっ、何て顔してるんだ」

「だ、だって……だって、こんなこと、あります……?」

「奇跡だな」

「いや、そんな言葉で片付けられますか!? たった一夜でこんなっ……こんなことって……」


 あり得ない。こんなの、普通あり得ない。

 やっぱり何か夢でも見ているんじゃないか。これは全部あたしの幻覚なんじゃないか。それともあたしもギルバートも、とっくに死んで天国にでも来たんじゃないか。


 そっちの方がまだ現実味があると思える程、あたしは目の前の光景が信じられなかった。


「それより、お前もだいぶ変わってるぞ」

「え? あ、あたし?」

「髪と、目の色。顔かたちも若干……いや、気のせいか? 丸くなった気がする」

「肥ったって言いたいんですか?」

「いや、違う。雰囲気が丸くなった感じがする。……鏡で見てみろ。その方が早い」


 彼は私から手を離し、壁にかかった鏡を指差した。

 恐る恐る鏡を覗いたあたしは、ぎょっとした。


「な、何ですかこれ!?」


 濃い藍色だった髪は、薄い青色に。

 灰褐色だった瞳は、髪と同じ青色に。


 変わったのはそれだけじゃない。顔かたちも違う。

 キッと吊り上がってたはずの目は若干垂れ目になって、口は若干小さくなってるし鼻も……小さくなった? 顔の輪郭もどこか違う。

 転生してからはあまり鏡を見ない生活だったから、元の自分の顔はよく思い出せないけれど、これは……これは、ラビというより、グレイス・エイデンに似ている。あの頃はしょっちゅう鏡を見ていたから――――ああ、覚えてる。グレイスはこれに近い顔立ちをしていた。


 あたしは震える指で、鏡の中の輪郭をなぞった。


 まるっとそっくり彼女って訳じゃない。グレイスはもっと目が大きいしもっと垂れ目だし顔も小さくて――――……いや、そもそも彼女は10歳の子どもだった訳だから、顔立ちはもっと幼い。ああでも、本当に系列としては似ているぞこれ。


 もうちょっと顔を弄ったら、昔見た母親の姿絵にそっくりになるんじゃないだろうか。グレイス・エイデンは母親似だった。成長したら、きっと瓜二つになっていたに違いない。母親は金髪だったが、グレイスは父に似て銀髪だった。


 例えば、顔をもうちょっと弄って、それから薄い青色になってしまったこの髪を、もっと色素を薄くして銀髪に、青くなってしまった瞳を澄んだ薄青色に変え、そこに銀の花を咲かせたら…………




 誰がどう見ても、グレイス・エイデンが生まれ変わったように見えるだろう。




「ッ――――――!!」




 あたしは思わず鏡から顔を逸らした。




「……大丈夫か?」




 振り向くと、不安そうな顔のギルバートが、あたしを見つめていた。


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