第14話 あたしが解放奴隷と呼ばれていた頃 11




「――――――――はあ!? 手紙!? エイデン侯爵に!? 本気で言ってます!?」

「煩いな。この程度のことでぎゃんぎゃん騒ぐな」

「だって……ええ!? よくそんなことができますね!?」

「別に大したことじゃないだろ。何をそんなに……」


 あれから数日後。


 坊ちゃんはエイデン侯爵宛に手紙をしたためてしまったらしい。

 あたしは宛先にかつての父親の名前が書かれているのを見ながら、自然と大きなため息を吐いた。


「いや、まあ、そうですね……誰か継承してるかも、しれないですし……? ええ」

「そうだろ。手紙を送って、話を聞く。実際に訪ねるのは、僕のこの状況じゃとても無理だからな」

「そうですね……」

「それに侯爵はなかなか博識なようでな。医学に精通しているらしい。病弱な娘のためだろう、彼女の体が良くなるようにと、いろいろ勉強していたようで――――」

「その手の捏造はもういいです。とにかく送ればいいんですね? じゃ郵便屋に頼んでくるので、待っててください」


 あたしは便箋を持ってさっさと部屋を出た。「頼んだぞ」という坊ちゃんの声が背後から聞こえる。



 最近の坊ちゃんは生き生きしている。

 自分の病気を治すための、希望の光みたいなのを見出したのなら、まあいいのかなとは思うけれど…………それはどこか、医療を諦めて宗教に縋っているような危うさを感じさせるものでもあった。

 あんまり期待し過ぎて、もし何も得られないとわかったら、その時坊ちゃんが正気でいられるのか、ちょっと心配になる。



 本邸に来ると、ちょうど郵便小僧が配達に来たところだった。

 ついでにこの便箋も頼もうと思ったのに、「そういうのは街の方でやって。こっちは配達で忙しいんだよ」とそっけない返事。さっさと次の屋敷へ配達に向かってしまった。


 しかもあたしが街に向かうと知るや、同僚のメイドに「ついでにこれも届けてちょうだい」「あ、これもこれも」と仕事を増やされ、あたしは大量の郵便物を抱えた状態で、あー畜生と苛々しながら街へ向かった。


 更に最悪なのは、時間が悪かったのか郵便屋に行列ができていたってこと。

 建物の外にまで行列が並んでいて、あたしはその最後尾に、内心で数え切れないくらい舌打ちをしながら並んだ。


 更に更に最悪なことには、我慢の末ようやく自分の番が回ってきたってのに、受付の男の態度が最悪極まりなかったってこと。

 あたしの持ってきた手紙が多かったってのもあるだろう。じろじろあたしを睨みながら、「はあ~やれやれ」だとか「面倒臭えなぁ」とか呟きながら、わざとらしくため息を吐く。


 ため息つきたいのはこっちだっつーの。


 何か言い返してやろうかとも思ったけれど、そしたらますます仕事が遅くなることがわかっていたから、あたしは大人しく黙っておくことにした。


 最悪ってのはどうしてもこうも重なるんだか。

 あたしはぶつくさ言いながら屋敷への道を戻っていった。


 だけどまさか、それよりもっと最悪なことが起こるだなんて、この時は思ってもいなかった。





「すいませーん坊ちゃん。郵便屋がクソ過ぎて遅くなりました-」



 あたしはそう言いながら、坊ちゃんの部屋の扉を開けた。


『お前のその口の悪さはどうにかならないのか』


 いつもみたく、そんなことを言われるだろうと思っていたのに、返事がない。

 眠っているのだろうか。温かくなってきたし、ちょうど眠たい時間帯かもしれない。そう思いながら、あたしはベッドを覗いた。


 そこに、坊ちゃんの姿はなかった。


 シーツが乱れ、毛布が向こう側に落ちている。ベッドサイドの水差しが倒れて、辺りは水浸しだった。


 嫌な予感がした。


 あたしは急いでベッドの向こうに回った。まず目に飛び込んだのは、鮮やかな赤だった。



「坊ちゃん!?」



 坊ちゃんは口から血を吐いて倒れていた。

 口元も床も毛布も、あちこちが真っ赤な血で汚れている。今朝はあんなに元気そうだったのに。

 体を抱え、あたしは何度も坊ちゃんの名を呼んだ。

 返事は、なかった。


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