第13話 あたしが解放奴隷と呼ばれていた頃 10



「強大な、力……? 亡くなる前に……?」


 そんな記憶はない。あたしは、力を使えたことなんてなかった。

 面食らうあたしに、坊ちゃんは「そうだ」と大きく頷いた。


「亡くなる直前の話だ。その日は、一年に一度の大祝祭の日だった」


 それは覚えている。

 だって、あたしが死んだ日だもの。


「グレイス・エイデンはなぜか街の神殿で遺体で見つかった。病弱だった彼女が一人で屋敷を抜け出したとは考えづらく、誘拐された説が濃厚だが、真相は明らかになっていない。――ただ、その夜、銀色の光が街を包んだらしい」

「銀色の、光……?」

「街を包んだその光は、その街の人の病気も、怪我も、軽度なものから重度のものまで、何もかも全て完璧に治してしまったらしい。一夜にして、一瞬で、しかも人だけじゃなく、家畜やペットも。街を丸ごと治したんだ。そんな奇跡は、歴代の聖女の誰にもできなかった」


 街を、丸ごと……。

 必死で祈りを捧げたのは覚えている。けれど、あの後どうなったかなんて、当然ながら知ることはなかった。


「だから、彼女は落ちこぼれなんかじゃない。非常に優秀な聖女だったんだ」


 あたしは――――……私は、ちゃんと、聖女になれてた?

 ちゃんと、役に立った……?

 チャールズのお姉様も…………ちゃんと、無事に元気になっただろうか?


「彼女が亡くなったのは、その時力を使いすぎたことが原因とも言われている。優秀だったが、どうしても体が追いつかなかったんだろう」

「…………そう」

「素晴らしい聖女だったんだ。……そうだな、確かに生きていれば、僕だって会って貰いたかったさ。この病もあっという間に治して貰えたかもしれない。だが、彼女は彼女の使命を立派に果たしたんだろう。だから今は、聖女の力がどこに消えたのかというところに重点を当てて調べている」


 坊ちゃんはペラペラとページを捲った。


「本当に消えたのか、本当は誰か継承したんじゃないか――……怪しい点はいろいろあるからな」

「調べるだけ無駄かもしれないですよ? 聖女の力なんて……本物かどうかも、怪しいところなのに」

「鼻声だぞ、大丈夫か」

「埃がすごいんですよここ。あ~あったハンカチ。鼻かみますね~。ブヒューーッ!!」

「汚ッ」


 やれやれと言った様子であたしを睨んだ後、坊ちゃんは「何なら、エイデン侯爵家を訪ねるのもありだな」ととんでもないことを言い出した。


「いや、え、何言って……」

「なんせ最後の聖女がいた場所だ。墓参りに、と言って訪ねて、いろいろ聞いてみるのもいい」

「いや追い返されるだけでしょう。聖女の所為で世間から非難されて大変だったんですよね? もうそっとしといてあげましょうよ」

「15年も前のことだぞ。それにこの侯爵、娘を溺愛していたらしいし」

「………………は? え? 今なんて?」

「溺愛」

「でき…………え?」


 できあい。

 聞き間違いかと瞬きを繰り返す私に、「とんだ子煩悩ということだ」と坊ちゃんは違う単語で説明した。

 溺愛? 子煩悩? いや訳がわからない。

 そんな記憶、父親に愛されたなんて記憶は、欠片もない。


「娘の話になると途端に涙しながら思い出話を――――」

「いや何言ってんですか気持ち悪い!!」

「? いやだからエイデン侯爵の――――」

「やめてくださいそういう捏造!」

「ね、捏造じゃないぞ。ここに確かに――――」

「あああああもういいですこの話は止めましょう! クッソ腹立つ……あ、そろそろお昼の時間じゃないです? 林檎くすねてきますね!!」

「何でお前が腹立つんだ……?」


 終始首を傾げる坊ちゃんを置いて、あたしは図書室を飛び出した。


 カッカと熱くなった体も、しばらく歩くうちにだんだん冷えてくる。

 頭の方が落ち着くと、何となくからくりも見えてきた。――――――そうか、世間体、か。


 娘が嫌いだったなんて言ったら、ただでさえ集中していた非難がますます激化する。

 だから敢えて、子煩悩の父親を演じているのだろう。

 思い出話を捏造して、愛していたとか適当なことを言って涙を流せば、世間も一人娘を亡くした可哀想な父親として、ある程度手加減してくれる。



 ……そういうことか。うん、そういうことだ。


 あの厳格そのものだった父親が嘘泣きなんて似合わないけれど、人は追い詰められれば本性を現す。あたしはあの人のことなんて全然知らないし、そういう面があったってなんらおかしくない。


 あたしは深呼吸して、ゆっくり歩き始めた。


 心の中で、坊ちゃんにお礼する。ずっともやもや自分の中で巣くっていた前世の思いに、今ようやく別れを告げられたような、そんな気がした。

 まさかこんな形でいろいろ知ることになるとは思わなかったけれど。


 それから、小さく謝罪もした。

 あたしが突然死んだ所為で、聖女の力が継承されなかったのは紛れもない事実だ。

 継承さえしていれば、坊ちゃんの病だって何とかなったかもしれない。坊ちゃんがこんなに苦しむことはなかったかもしれない。



 せめて、あの力をどこかの誰かが勝手に継承していますように。

 そして坊ちゃんの病気を、いつかあっという間に治してくれますように。



 そしたらあたしはお役御免になってこの屋敷を追い出されるかもしれないけれど――……まあそれでもいいかと思えるくらいには、坊ちゃんとの日々は楽しかった。

 それに…………



『体が弱いことは、罪じゃない。――――――それに耐え続けた幼い子どもを、その人生を、冒涜するな。それは、お前がやっていいことじゃない』



 優しい、言葉をくれた。

 嬉しかった、本当に。だから、坊ちゃんには元気になってもらいたい。なってもらわなきゃ、困る。



 壁にかかった鏡に、自分の顔が映る。ふと立ち止まって顔を覗きこむけれど、あたしの瞳は相変わらず澱んだ灰褐色。薄青色に、銀の花が咲いていた前世の瞳とは、何一つ似ていない。


 今のあたしには、あの頃の力はもうない。

 今だったら、こんなに頑丈な体なのに。力を使っても、きっとぽっくり死にゃあしないだろうと思えるのに。



 神様は残酷だ。

 必要な時に、必要なものをくれない。



 あたしは鏡から視線を逸らし、また歩き始めた。

 林檎をくすねて、あの小さなご主人様に、喜んで貰うために。


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