第4話 あたしが解放奴隷と呼ばれていた頃 1



 ――――あの後、どうやらあたしは死んだらしい。



 て言うのも、その後の記憶が一切ない。真っ暗闇になって終わりだ。

 死ってのは、あたしが思っていた以上に呆気ないものだった。漠然と怖がっていたのがバカみたいに思える程には。


 にしても体が弱っていたとは言え、神殿でちょっと膝をついてお祈りしてたくらいで死んでしまうなんて、あたしは相当体が弱かったんだろうなと思う。

 結局チャールズの姉がどうなったのか、最期に見えたのは父親だったのか、そこんところも何にもわからないまま。



 ……ま、今となっては何もかもどうでもいいことだけど。


「ちょっとラビ! こんなところで何サボってんのよ!」

「チッ、バレたか」


 あたしは舌打ちしながら煙草の火をもみ消した。

 目立たない裏庭だから大丈夫だと思ったけれど、煙草の煙でも見えていたんだろうか。


「メイド長には言わないでよ。後で面倒なことになるから」

「あんたねえ……追い出されても知らないわよ。ただでさえ解放奴隷なんて、扱いに困るってのに……」

「その解放奴隷だからできる仕事なんでしょ? 誰もやりたがらない仕事してんだから、そう簡単に追い出されやしない」


 あたしはそう返しながら、生真面目な同僚の横をすり抜けた。

 ほんとはもうちょっとサボってたかったんだけど、仕方ないからキッチンに向かう。コックが用意してた食事をカートに載せて、ガラガラと押しながら廊下を歩いた。



 あたしは今、この屋敷でメイドをやっている。


 屋敷の場所はローラン王国。――――前世であたしが侯爵令嬢をしていた国だ。死んでからどれくらい経ったのかは、正直よくわからない。文明レベルはそう変わっていないように思う。


 生まれは別の国だったけれど、今はもうない。元々あまり豊かな国じゃなかったらしく、どっかの国に攻め込まれてあっという間に滅んだ。

 両親のことは覚えていない。物心ついた頃には、ちっこい檻の中に入れられて奴隷商人に売り飛ばされていたから。


 ようやく、健康な体を手に入れたってのに。

 神様ってのは残酷だ。

 あたしにはずっと前世の記憶があったから、昔と今どっちがマシだろうってのは何度か考えた。


 裕福だけど病弱だったグレイス・エイデン。

 体は健康だけど奴隷のラビ。


 正直どっちもどっちだなとは思うけど、たった10年しか生きられなかったことを思うと、やっぱり今の方がずっといい。

 奴隷として蔑まれ乱暴され、前世のあたしならまず耐えられないようなド底辺の暮らしを、多分10年以上は続けてるはずなのに、体だけはピンピンしてる。


 そうそう、見た目は当然ながら変わった。

 あの頃銀髪だった髪はくすんだ藍色に、薄青色だった瞳は灰褐色に変わった。全体的に澱んだ色だけど、あたしは嫌いじゃない。これくらい渋みがあった方がいい。お綺麗なだけの色より、ずっと愛着がある。

 背はまあまあ高くて、肌荒れもほとんどない。あんな不健康極まりない生活をしてたってのに、不思議なものだと思う。体質ってやつだろうか。

 顔立ちは随分キツくなった。前の方がずっと美少女だったろうなと思うけど、あんまり綺麗な奴隷は変態に買われやすくなるから、それもそれでどうかね。


 最低最悪の生活が人並みの生活に変わったのは、つい最近のこと。

 奴隷としてあちこちを転々としていた最中、ローラン王国の闇市場で取引されていたところを保護された。

 この国では奴隷は禁止されている。

 奴隷商人は捕まり、諸々の手続きの後、何が何だかよくわからないまま、あたしは晴れて解放奴隷となった。


 と言っても市民権も金もない。雇ってくれるところも。

 どうやって暮らしていこうかと思っていたら、奴隷商人を捕まえた時のお役人の一人――――アンカーソン男爵が、あたしに声を掛けてくれたのだった。


 衣食住は保障するから、うちの屋敷で働かないかって。


 給料はほとんど出ない。でも雨風凌げる屋根があって、食べ物と着る物を用意して貰えるなら、それだけで破格の待遇だった。そりゃ、普通の一般市民様に比べれば底辺過ぎて卒倒しちゃうような条件ではあるんだろうけれど。

 

 もの凄い変態野郎だったらどうしようかって不安は一瞬頭を掠めた。

 でも他に行く当てもないし、何より腹が減った。あたしは覚悟を決めて男爵についていくことにした。



 その結果――――……



「坊ちゃん、お食事お持ちしましたよー」



 ゴン!!



 声を掛けた途端、返事の代わりに聞こえたのは、本か何かが壁に当たる音。

 今日はそこそこ元気らしい。あたしは躊躇なく扉を開けた。


「うっわ。よくもまあ、これだけ汚くできますねえ」

「煩い!! 出て行け!!」


 床一面に散乱したボロボロの本、割れた花瓶に引き千切られたシーツ。

 足の踏み場もない。一応昨日掃除したって言うのに、たった一日でここまで汚せるのは最早才能だと思う。


 重いカーテンを開けると、明るい光が部屋を満たして、坊ちゃんは――……ベッドの中で蹲っていたあたしの小さな主は、悲鳴を上げた。


「やめろ!! 明るいのは嫌いだ!!」

「あたしの部屋より酷いですよここ。空気も入れ換えないとだめでしょ」

「僕の言うことが聞けないのか!?」


 枕が飛んできた。

 あたしはそれを片手で掴んでから、思いきり窓を開けた。爽やかな風が澱んだ空気を攫っていく。


 あたしは、ベッドの上からこちらを鋭く睨み付ける、小さな主人に顔を向けた。


「おはようございます、坊ちゃん。今日はとっても元気が有り余っていらっしゃるようで――――」

「うるさいッ!!」


 今度は本が飛んできた。もう片方の手でキャッチすると、坊ちゃんは悔しそうに顔を歪めた後、ベッドの中に頭を突っ込んだ。


 アンカーソン男爵の末の息子、ギルバート・アンカーソン。

 年は12だか3だかって聞いているけれど、年齢よりもっと幼く見える。

 

 その原因は多分、彼の体を蝕む、奇病によるところが大きいんだろう。


「取りあえず坊ちゃん、食事を――――」

「要らない!! 出て行け!!」


 いつも通りの全力拒絶に、あたしは心の中で小さくため息を吐いた。


 ああなんて面倒なご主人様。

 ほいほい男爵についていった結果、あたしはこの世で一番面倒くさい坊ちゃんの世話をすることになったのだった。

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