第3話 私が落ちこぼれの聖女と呼ばれていた頃 3


 絞り出すようにそう言った後、チャールズはハッとしたように顔を強張らせ、みるみる青ざめて、何も言わず部屋を飛び出した。


「あ……待って! 待ってチャールズ!」


 必死で呼び止めたけれど、彼が戻ってくることはなかった。

 私は勢いあまって、ベッドから転がり落ちた。床に顔を叩きつけて、唇が切れる。


 私、一体何を間違えてしまったの?

 チャールズがあんなに取り乱すなんて。

 私が落ちこぼれの聖女だから? 病弱だから? 役立たずだから……その所為で、彼をあんなに悲しませてしまったの?


 チャールズが、病気がちなお姉様と二人暮らしであることは、私も知っている。

 お姉様の薬代のために、まだ10歳の彼が必死で働いていることも。



 ……お姉様に、何かあったの?

 そう思うと、居ても立ってもいられなかった。

 優しい彼、大好きな彼のために、何かせずにはいられなかった。


 たとえそれが、何の意味も成さないことであったとしても。


 私は、外出用のケープをどうにか引っ張り出した。

 そして咳を零しながら、扉を押した。






 足がもつれる。

 転ばないように注意しながら、私は街までの道を歩いた。

 お屋敷のどこにもチャールズの姿はなかったから、きっと、彼はお姉様の元に帰ったのだろう。だから、私も街に向かって、彼らに会わなければと思った。


 一人で外出するのはもちろん、こんな夜中に外にいるのも初めてのことだった。

 小高い丘の上にある屋敷から街までは、確か馬車で二十分くらい。歩くとどれくらいかかるのか、想像もつかない。


 …………怖い。

 茂みから何かが飛び出してくるんじゃないのか、このまま迷子になって街に辿り着けないんじゃないか。

 想像すると怖くて、今からでも屋敷に戻った方がいいんじゃないかって思うけれど、苦しそうなチャールズの顔が浮かんで、ぶんぶんと首を横に振った。


 やがて、街の灯りが見えた。

 私は必死でぼろぼろの足を動かして、明るい場所に出た。



「ジェラートはどうだい? 喉を潤すのにピッタリ!」

「喉を潤すならジュースが一番! 新鮮な果実ジュースはいかが?」

「美味しい骨付き肉もあるよ!」

「わあっ、これすっごく美味しそう!」


 賑やかな声が行き交っている。こんな夜中なのに通りには人が溢れて、まるで知らない街みたい。

 私はドキドキしながら街を歩いた。



 でも、そのドキドキは歩くに連れて別のドキドキに変わっていった。

 胸が苦しい。心臓がどくどくと脈打って、体も火照って目眩がする。

 随分長く歩いたからかもしれないし、お祭りの熱気にあてられているのかもしれなかった。強いアルコールや脂っこいお肉の匂いも、今の私には辛い。


 疲れて、道の端にしゃがみ込んだ時だった。


 周りが一段と騒がしくなった。

 何かしらと顔を上げた私は、呆然とした。


「見て! エイデン侯爵よ!」

「何と凜々しい……さすが救国の英雄だな」


 視線の先にいたのは、お父様だった。

 パレードが始まり、お父様が煌びやかな馬車に乗って皆に手を振っている。

 私と同じ銀色の髪と、薄青色の瞳。

 私を憎んでいる、お父様。

 

 領民たちを見下ろして、お父様はにっこりと優しい笑みを浮かべていた。

 衝撃を受けてしまった。だって、お父様のそんな顔、私は生まれて初めて目にしたから。



「ねえ、一人娘の……グレイス様? お嬢様は今年もいらっしゃらないのね」

「仕方ねえだろ、落ちこぼれの聖女様だ」

「参加される方が迷惑ってもんだぜ」

「あんたたち、そこまで言わなくても」

「だってそうだろ。不気味じゃねえか。聖女様なのに病弱なんて」

「そうだそうだ。先代の聖女様がいてくださったらなあ……俺の足もあっという間に治してくださっただろうに」



 街の人の声が聞こえる。私は思わず耳を塞いだ。

 聞きたくない、と思ってしまった。本当は、民の声を聞いてその願いを叶えるのが、聖女の役割なのに。

 私は、こんなところでも役立たずだった。


 我慢できなくなって、ふらふらとその場を離れた。

 足下が覚束ない。視界が歪んで、歩くのもやっとだった。

 できるだけ人のいないところ、静かな場所へ行きたかった。


 やがて、私は小さな神殿に辿りついた。

 そこでようやく、チャールズと彼のお姉様のために街に来たのだと思い出して、自分の不甲斐なさに涙が出た。

 私は一体何をしているんだろう。

 もうチャールズを探す気力は残っていない。何の為にこんな体を引きずってこんなところまで来たのか。


 私は逃げるように神殿の中に入って、祭壇の前で膝をついた。


 もう立っていることもできなかった。


 私は神様の彫像を見上げた。優しい顔をした神様。



 ねえ神様。

 私には、お母様のような力があるのでしょうか?


 あるのなら、どうか。

 どうか、一度くらい、その力を民のために使わせてください。



 私は指を組み、頭を垂れた。

 チャールズのお姉様が、元気になりますように。

 街の皆の病気が、怪我が、たちどころに治りますように。


 そういうことを、お母様はあっという間にやってのけていた。何度も何度も。

 なら、同じ証を持つ私にだって、それができるかもしれない。一度くらいは。


 チャールズの言う通りだ。私は自分の力を試そうとしたこともなかった。

 自分の体調のことばかり気にして、自分よりもっと苦しんでいる人のことを、民のことを、ほんのちょっとも考えられていなかった。

 落ちこぼれだから仕方ないって思っていた。――でも、落ちこぼれという事実は免罪符にはならない。


 正しい祈りの仕方はわからなかった。けれど、ただひたすら祈りを捧げた。

 

 それからどれだけ経っただろう。

 時間の感覚がなくなる頃、体がぐらりと揺れて、私は為す術なく床に倒れた。

 指先一つまともに動かせない。誰かが私の名を呼ぶ声が――……どこか遠くから聞こえてくる。視界が歪んで、よく見えない。

 体を起こされたような、そんな感覚がした後、見覚えのある銀色の髪がほんの一瞬目に映る。


 お父様……? いえ、そんなまさかね。

 だって、泣いているように見えたもの。お父様は、そんな顔はしない。


 でも、もしお父様なら、一つだけ、たった一つだけ聞きたいことがある。



「私、ちゃんと、役に……?」



 役に立ちましたか、と。


 答えを聞くことはできなかった。

 次の一瞬には目の前が真っ暗になって、私の意識は暗い闇の底に沈んでいった。


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