第31話 彼のいない日々


 放課後。

 詩織は一人、雅人の家の近くの公園にいた。


 別に雅人と待ち合わせをしていた訳でも無い。

 ただ、自然と詩織はここへ来てしまったのだ。


 ベンチに座った詩織は、自身に起きた出来事を走馬灯の様に振り返る。

 

 六年前、母が病気になった。

 父と病院に行くと、母はいつも個室のベッドで窓の外を眺めていた。


 当時の私は何の病気だったのか知らない。

 父からは身体が弱くなってしまう病気、それだけしか言われていなかった。

 今ならわかる、それが癌であることを。


 それから、三年。

 母は病院で亡くなった。


 亡くなる前日も、母は私たちの前では笑顔だった。

 母は一人で戦っていた。

 悶えるほどの痛み、震えるほどの恐怖。

 それでもなお、母は最期まで笑顔の母でいてくれたのだ。


 それから、父との二人暮らしが始まる。


 父は忙しい人だった。

 それでも毎日、私との時間を一時間は設けてくれる。


 家事が出来ない。

 炊事も出来ない。


 最初の父はそうだった。

 父いわく、家事をしたことが無かったと言う。

 この時の私は、男性は基本的に家事が出来ないと思っていた。


 父は母にもなろうとしていた。

 どんな時でも笑顔の父に私は何も言えなかった。


 母が亡くなって、一年。


 その頃の父は、家事はお手の物となり、休日はケーキを作る時もあった。

 手伝った時もあったが、その度に父から言われる。


 詩織の調理は危険だ――と。

 今なら理由がわかった。

 

 ある日、父が「再婚したい」と私に言った。


 言葉を失う。

 この時の私は父を嫌悪した。


 母のことが好きじゃなくなったのか。

 しかし、父は私のために再婚したのだ。


 ――私が一人にならない様に。


 第一印象は綺麗な人だった。

 質素と言う雰囲気は無く、一言で言うと彼女は派手。

 髪型や口調、性格、その全てから彼女の派手さが伝わった。


 質素で美人だった母とは真逆のタイプの人。

 しかし、大好きな父が選んだ人だ。毛嫌いは良くない。


 それから三人の生活。


 私の方が年は近かった。

 母では無く、姉の様な存在。


 父と再婚相手の会話。

 不思議と父から愛は感じなかった。

 母と話していた時の父の声質と明らかに違う。

 私の知る父よりも一段低い声。


 再婚相手も父を愛している様に見えない。

 なぜ、二人は結婚したのか。

 結婚とは、互いに愛し合う者では無いのか。

 私には理解出来なかった。


 それから、一年。


 父が仕事で海外へと異動になった。


 父は自身の仕事に誇りを持っていた。

 詳しいことはわからないが、父の仕事は電気を生み出す仕事。

 所謂、技術者と呼ばれる人らしい。


 行かないで欲しい――。

 喉まで出たその言葉。

 しかし、父にも父自身の人生がある。

 父の中でその仕事を始めから断らなかったのは、父自身その仕事がやってみたかったからだ。


「ママと二人だから寂しくないよ」


 申し訳なそうな顔の父。

 私とママは笑顔で見送った。


 それから数日経ったある日。

 この日から私の人生は変わった。


 私が家に帰って来ると、ママはいなかった。

 父が海外へ行った翌日からママの帰りは遅くなった。

 彼女は専業主婦のはず。私と違って習い事も無いはずだ。


 帰って来たママは、私にただいま一つ言わない。

 露出の多い服を着て、部屋中に充満しそうな香水をつけて、いつも酔っぱらって帰って来る。


 三回目でそれは確信に変わった。

 それが不倫に近いものであることに。


 四回目のある日、酔っぱらった彼女は、詩織と目が合うと暴力を振るった。


 理由は明確。

 気に食わなかった。

 理性すら無い、単なる彼女の気分。


 見ていた詩織が悪い、その日に出会った男が悪い。

 蹴る度に彼女は、自身を肯定するための言葉を放った。


 詩織は痛みと悲しみで泣いてしまう。

 しかし、繰り返していくうちに涙が枯れた。


 生きる価値を失う。

 詩織は枯れたのと同時に生きる意味を失った。


 今ではその理不尽な痛みでさえも、痛みとすら思わない。

 喜怒哀楽の無い、無に等しい感覚だった。


 もう大好きな母はいない。

 大好きと言ってくれる父もここにはいない。目の前にいるのは、自身の不幸を願う一人の人間。ここで私が生きる価値など何一つ無かった。

 死ねば、また母に会える。大好きな母とまた一緒に。不思議と死ぬのが怖くなくなった。いつでも死んでも良い。そう決意した翌日のことだった。

 

 ――私が彼と出会ったのは。


 クラスにいる一人の男子生徒。


 たまたま、私が落としたプリントを拾ったのが彼、佐伯雅人だったのだ。


 私を見る彼の目。

 身が無い様なあっさりとした眼差し。

 まさしく、心ここに在らず。


 私はわかってしまったのだ。

 彼が死のうと思っていることに。

 どうしてわかるのか、自身でも不思議だった。


 彼は私と同じ気持ち。

 そう思うと、不思議と親しみが生まれた。


 彼となら、私は死んでも良い。

 死ぬなら、せめて理解のある人ともに死にたい。

 優秀な委員長と皆から言われる私でも、誰かに理解されたいと思ってしまうのだ。


 そんなある日、彼が私に声を掛けた。

 予想もしていない。突然の出来事だった。


 彼の言葉は明らかに違和感があった。

 私はその意図を理解する。

 そこで彼が何を企てているのかも。

 しかし、それすらも私は良いと思ってしまった。


 死のうとしている私以外の誰か。

 最期に彼の後悔が晴れるのであれば。


 家では必要とされていない私でも、誰かに必要とされるのであれば。

 そうだとすれば、私は喜んでこの身体を差し出そう。

 だから、私は彼の誘いに乗ったのだ。


 そして、私は告げた。


 共に死のう――と。


 結果的に私も彼を利用する形となってしまった。


 悪くない日々。

 彼との日々は良い日々だった。


 ――でも、それもそろそろ終わりにしよう。


「じゃあね」

 ベンチから立ち上がると、詩織は公園にそう告げた。


 雅人との思い出の地。

 その地に最期の別れを。



 ……ねえ、雅人。

 本当に私と死んでくれる?



 詩織は夜空を見上げ、そう言うと大きくため息をついた。


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