第22話 彼女との日々(17)


「んー、何でだろうな。そういや時々、している最中に思うことがあるんだよ」

「何を」

 どうせ気持ち良いとかそんな話だろうか。

 下らない回答を予想する。

「この感覚は人間だけなんだろうな――って」

「は?」

 思わぬ言葉で雅人は呆然とする。

「考えてみろよ。セックス――交尾なんて生物学的に言えば、繁殖行為だ」

 突然、諭す様な口調で京介は語り出した。

「そう――だね」


 正論であるが、説得力が無い。

 不真面目が具現化したお前が言うからかな。


「繁殖行為でありながら、繁殖をしない。――可笑しいと思わないか?」

 真剣な声質。雅人の知る京介の声質では無かった。

「うーん。まあ」


 言葉だけだと矛盾がある。

 しかし、間違いなくその一面も存在した。

 だから、この世には避妊と言う言葉、行為が存在する。


「最中によく考えるんだよ。性欲と繁殖行為は違うんだと」

「お前はどんなタイミングで考えているんだよ」

 とてもそんなこと考えるタイミングでは無いだろうに。

「気になってな。安心しろ、そんなこと考えても萎えやしないから」

「はあ」

 身の無い返事をする。

 別にお前のそんな事情は聞いていない。

「でも、まあこれは人間だけだと思うんだよなー。繁殖行為を目的としない交尾は」


「ほお」


 何だ、これは。

 これは哲学の話か。


「だって、お前は思うか? セックスする相手と繁殖したいって」


「―――」


 繁殖。

 つまり、子作り。


 一瞬、僕らが生きた世界を想像してしまった。


 雅人は言葉を失う。


 僕らと僕らの子供が手を繋ぎ歩く世界。

 夢でしか訪れないであろう世界。


 しかし、その想像の世界は不思議と雅人の心を温かくさせた。


「まあ、俺自身が生まないし、ただ出すだけの種馬だけどな」

 京介はさっきの口調とは裏腹に、とぼけた様なふざけた声を出す。


 緊張感の高低差。

 どちらが本当の柏木京介なのか。


「言い方よ」

 ステータスだけで言えば、良い種なのかもなお前は。

「だからだよ。相手はそれまで考えて、俺とセックスしているのかなって」

「むしろ、よくそれでするよな、お前は」


 表は優秀、裏は性悪。

 どちらも柏木京介である。


 表裏。

 どちらの面もその人自身。


 ――詩織もそうなのだ。

 

 今となっては、そのどちらの詩織も僕は愛おしく思う。

 雅人は思いつめた様にゆっくりと息を吐いた。


「そりゃ、相手が求めればやるさ。俺はそんな女子の姿も好きだからな」

 京介はそう言うと、ゆっくりと笑みを浮かべた。

「はあ」

 相変わらず、お前の感性はわからない。

 わかろうとする気持ちは無いけど。

「それか――一つの表現か?」

「表現?」

「愛情表現の一つだよ。繁殖したい存在。それほど大事にしているってこと。それを相手に伝える行為の一つなのかもな」

「ほー」

 意味が深い。

 申し訳ないが、今の僕の思考では上手く理解出来ない。

「まあ、熟女で卒業したお前にはわからんか。――若い女は良いぞ」

 京介は満ち足りた笑みを雅人に向けた。

 ――気味が悪い。

「おっさんみたいなこと言うなよ…」

 そう言いながらも雅人の脳裏には、昨夜の詩織の姿を思い出していた。


 満ち足りた顔をする彼女の姿。

 自然と愛おしく思えた。


「そうか?」


「と言うより、仮に出来たらどうするのさ」


 他人事では無い。

 しかし、雅人は他人事の様に言った。


「その時は――その時さ」

 一瞬考え、めんどくさいから考えるのを止める。

 京介はそんな表情をしていた。


「行き当たりばったりなの?」


 為せば成る。

 そんな言い方でお前は言うけど、それで済む話なのだろうか。


「いや、そうでも無いさ。彼女が了解した結果なら、俺も彼女もその事実は受け止めなければならない。――当然だろ」

 急に真面目な顔で言う。

 その目は確かに現実を見ていた。

「受け止めるって?」

「おろすか生むかだよ」

 淡々。はっきりと京介は告げる。

「なるほど…」

 不思議と京介の言葉は現実味を帯びていた。


 当然、その事実が存在してしまうなら、僕も受け止めなければならないだろう。


「唯一、許される自分以外の生死を決める権利。――まあ、妊娠した彼女からすれば自分自身なんだろうけどな」

 両手を手すりに掛け、京介は大きくため息をついた。


 許された自分以外の生死を決める権利。

 本来、許されないはずの権利。


 しかし、その命が彼女と共にあるならば。

 雅人は少しずつ、もしものことを想像した。


「それはそうだね」

 真似る様に雅人も大きく息を吐く。


 そして、京介は右手を振りながら、屋上を出て行った。


 その背中はどこか決意を固めた様に見える。

 いったい何を決意したのか、あいつは。


「もしも――」


 もしもの世界。


 僕らが知ることが無いとしても、詩織が妊娠してしまった世界を。


 死ぬと決めた僕らに出来た新しい命。

 結果的に新しい命と共に三人で死ぬ、そんな世界。


「それは……出来ないな」

 雅人は空を見上げ、大きく息を吐いた。


 確信的な理由は無い。

 だけど、僕にはそれが出来ないと思った。



 少し晴れた空。

 

 雅人の中で何かが変わった――。


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