第21話 彼女との日々(16)


 翌日。

 昼休み。


 学校の屋上。


 黄昏る様に景色を眺める雅人に、クラスメイトの京介がやって来た。


 柏木京介。

 長身のショートヘアーに整った顔立ち。

 一言で言えば、美形。

 成績も運動神経も優秀だけど、性格に難がある男だった。


「おー、ここにいたのか」

 扉を開け、雅人を探していた様な素振りをする。


 噂によると、大手企業の社長の息子だとか。

 まさに、エリートを具現化した様な男だ。


「柏木か」


 死に方を考えていた。

 お前の顔を見ると、自然と思考力が低下する。

 雅人は諦めた顔で考えるのを止めた。


 成績も運動神経も人並み以下の僕に、お前はどうして声を掛けるのか。


 僕らは親しい友人でも、小中学生の同級生でも無かった。

 接点など何一つ無い。


 手すりに手を掛ける雅人。

 その全景を京介は眺める様に見つめていた。


「なあ、雅人」

「ん? どうしたの柏木」

 下の名前で呼ぶほどの仲では無い。

 雅人は柏木を京介と呼ぶ気は無かった。

「お前さ、何か変わったか?」

 そう言うと京介はやる気の無いあくびをする。

「変わった――僕が?」

 驚きのあまり一瞬、身体が硬直した。


 柏木の言葉はよくわからないことが多い。

 思い付いた言葉の割には、変に芯があった。


「ああ。何かそんな風に見えるぞ」

 雅人の隣に来ると、京介は空を見上げ呟く。

「そうかな……」


 自覚は無い。変わった気もしない。

 だって、変わらず僕は死のうとしているのだから。


 不思議そうに首を傾げる雅人に、京介は数秒間黙り込んだ。


「まさか、卒業――したのか?」


 驚愕。初めて見る柏木の目開き。

 その姿でさえも、かっこよく見えた。


 ――本当にお前は僕が欲しかったものを何でも持っている。


 いつも纏うその身軽な雰囲気。

 中身が無いと言うか、清々しと言うか。


 僕だって、お前みたいに清々しく世を歩いてみたいもんだ。


「んー、まあ」

 曖昧な返事をする。

 こいつに話す理由は無かった。

「……へえ」

「何でそんな呆れた顔しているの」

「まあまあ。――で、どっかの熟女に卒業させて貰ったのか?」

 見通した様な眼差しを京介は向ける。

「なんでそうなるのさ」

 睨む様な目つきを返した。

 とんだ無能な名推理だ。

「お前なら――な」

「お前ならってなんだよ…」

 性欲を満たせれば誰だって良い訳じゃ無い。

 柏木、お前だってそうだろう。

「まあ――残念だったな」

 ひと息つくと、京介は何かを思い出した顔をする。

「残念?」

「大変、残念な話じゃないか」

「はあ」

 だから、いったい何の話だろうか。

「そりゃ、お前の卒業の話だよ」

「え?」

 別にお前にどうこう言われたくないんだけど。

「残念だったな。大好きな神崎に卒業させて貰えなくて」

 京介は雅人を馬鹿にする様な笑みを浮かべた。


 神崎。無論、詩織のことである。

 雅人は下の名前で呼び過ぎてすっかり忘れていた。


 残念な理由。

 卒業した相手が神崎詩織では無かったと言うこと。


「そう――だね」

 思考が停止した様に言葉を詰まらせた。


 柏木、残念ながら君の言う言葉が真実なんだよ。

 その事実は、墓場まで持っていくけど。


「まあ、しょうがないよな。それに神崎だったら、もうお前死んじゃうんじゃないか?」

「……そうかもしれないね」


 まあ、僕は関係無く死ぬのだけど。

 それもその彼女と一緒に。


「せっかくの――な。嫌われても神崎にお願いすりゃ良かったんじゃないか?」


 せっかくの初体験。

 無論、それは僕であれ、彼女であれ好きな人とすべきだったのだ。


 僕は好きな人、最愛の神崎詩織と出来た。


 ――詩織はどうだったのか。


「それは出来ないよ。そんなこと言ったって、神崎はうんと言わないよ」


 嘘をついた。

 お願いした結果、僕は童貞を卒業した。


 嘘みたいな話。

 あの神崎がそんな話に乗ってしまったあの日。


「嫌われても良いじゃないか。どうせ、不真面目な俺らは、優等生の委員長には嫌われているだろうから」

 諦めた顔で手すりに背を向け、大きく空を見上げた。


 少なくとも、僕らは真面目な生徒では無い。

 平気で遅刻はするし、授業中には寝るし、課題も提出しない。

 それでも京介は優秀だから、教師の評価は低くは無かった。


「嫌われているのは柏木だけにしてよ」

 不真面目は否定しない。

 それに彼女に嫌われていないはず――今は。

「……何だっていいけど。まあ、ほどほどにしろよ?」

 眉間にしわを寄せ、京介は軽蔑する様な眼差しを向けた。

「それ、柏木が言うの?」


 ほどほど。

 良い加減。

 どんな加減。


 価値観など人それぞれなどだ。


 僕らが見るこの景色。

 この景色を見て抱く感情は誰しも同じでは無いのだ。


 空を見上げると、雲一つ無い大空。


 僕には眩しすぎる空だった。


「そう……だな」

 苦しそうな顔をして、京介は小さく俯く。

「と言うか、そう言う柏木はどうなのさ?」

 僕ばかり責められるのは可笑しいだろ、柏木。

「――残念、両手で数えられない」

 わざとらしい素振りで、京介は困った声を上げた。


 両手で数え切れないほどの女子との交流。

 主語が無くても言いたいことがわかってしまった。

 本当はわかりたくなかったけど。


「ちっ」

 反射的に舌打ちしてしまった。


 これだから嫌いなんだよ。

 何でも出来るイケメンは。


「うわ、途端に不機嫌な顔するなよ」

「するさ。それで今の彼女とはどうなの?」

 今の柏木の彼女は、彼女と言うよりセフレと言う単語が相応しいのかもしれない。


 学校生活でも密着度が凄い。

 それも柏木からでは無く、彼女からだ。


「あー、そりゃ――毎日」

 陽気な声で困った顔をする。

 実にわざとらしい。素直に腹が立つ。

「うわー」

「そう引くなよ。俺からじゃないんだぞ?」

「え、何その自慢」

 逆にお前からでもこの結果は変わらないと思うけど。

「自慢……。まあ、自慢か」

 あいつ可愛いもんな。ハッとした顔で京介は言う。

「で、そんなに毎日やって楽しい?」

「お、珍しく食いついてくるな。卒業した奴は違うなー」

 京介は不敵な笑みを浮かべ、雅人の周りをうろうろした。


「――そう言うことにして」


 大きくため息をつく。


 半分は正解。

 図星の様で何だか悔しい。


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