真相

「……これは、なんの冗談だ?」


 威圧的な言葉を発しながら、一人の初老の男が問う。

 男は日本国の守りを担う防衛大臣という肩書を持つ。強面と恰幅の良い体躯を持ち、如何にも頼もしい『国防』をしてくれそうだという期待を抱かせてくれる風体だ。とはいえ気性は穏やかな方で、無益な争いは好まない性格であるが。

 そんな彼が威圧感を見せる相手は、目の前にいる迷彩服姿の若い男。

 彼は自衛隊所属の隊員だ。それなりに高い地位に着いているが、防衛大臣と気軽に話し合うほどのものではない。にも拘らず彼がこうして大臣の前にいるのは、彼がこの三年間行ってきた『職務』に理由がある。

 自衛隊員は今日、その職務の報告を改めてしに来た。尤も、事前に書類で渡した内容は、穏健な大臣の機嫌を酷く損ねたようだが。


「冗談ではありません。三年前……我々の前に現れた『怪人』、そして山と廃村について調べた結果です」


 隊員は臆する事もなく、大臣にハッキリと告げる。その態度にますます大臣は機嫌を悪くしたが、悪態を吐く事もなく、机の上に広げられた書類に目を落とした。

 書類に書かれている題字は、『ヨモツヘグイ菌に関する報告』。

 ――――三年前、とある山奥から不気味な怪人が現れた。

 まるで肉塊の集合体のような見た目をした怪人は奇怪な呻き声を上げながら、近くにあった木の棒を手に取り市民を襲おうとした。偶々巡回していた警察官が現場に遭遇し、なんらかの野生動物と判断して発砲。胸部に命中し、怪人は倒れた。その後駆け付けた警察や救急の手により怪人は運ばれたが、病院で死亡が確認されている。

 その怪人は財布などの持ち物から、現在表向きは行方不明となっている宮部由美であると考えられている。

 宮部由美の外見は一般的な成人女性であり、肉塊染みた怪人などではない。何故彼女は姿が変容したのか? どうして市民を襲おうとしたのか。その答えとなるのが、ヨモツヘグイ菌と名付けられた微生物だ。

 ヨモツヘグイ菌はブドウ球菌に近縁なグラム陽性菌であり、日本のとある山の土壌にのみ自然分布している。普段は土壌有機物を餌にしながら成長・増殖する、ごく一般的な菌としての性質を示す。増殖の条件自体は厳しくないが、ある程度の酸性度と豊富なカリウムがないと繁殖速度と生存性が著しく低下し、他の細菌との競争に容易に負けるためあまり勢力が拡大出来ていない……と、これだけなら珍しくはあっても、特筆するようなものではない種だ。

 だが、人体に感染した時……土壌に普遍的にいる菌なので転ぶだけでも感染リスクがある……ヨモツヘグイ菌は他の細菌には見られない症状を引き起こす。

 一つは肉体の変質。

 ヨモツヘグイ菌は感染した人体の中で特殊なホルモン(菌自体にとっては老廃物)を分泌。このホルモンは細胞分裂を促進し、異常な肥大化を引き起こす。その姿は例えるなら肉塊だ。また神経系を形成する細胞も増殖し、神経機能に異常が生じる。結果として発声・聴覚・嗅覚・視覚に異常が起きる。

 そしてもう一つは、幻覚作用。

 ヨモツヘグイ菌はカリウムを好み、人体でも多くのカリウムがある場所……脳へと積極的に侵入する性質を持つ。侵入した場所でカリウムを奪い取り、同時に代謝物として特殊な物質を分泌。この物質とカリウムの不足により脳は正常な情報処理が行えず、幻覚や幻聴の症状が生じる。

 問題は、この二つの症状が生じても、感染者には自覚がない事が挙げられる。肉体はホルモンの作用で変質していくが、並行して五感の狂いと幻覚作用も生じる。これにより感染者は自分の声や肉体は全く健康的だと思い込んだまま、症状を悪化させていく。

 最後はどう見ても人間には見えない異形と成り果てるが、自分は正常な人間に見え、健常な人間を異形と見做すようになってしまうのだ。

 ――――あまりにも奇妙な病状。感染者が宮部由美だけなら、この荒唐無稽な『物語』が語られる事はなかったかも知れない。

 しかし感染者は他にもいた。由美が散策していた、あの廃村に。


「この細菌が出現した時期は、第二次大戦末期と推測されています。当時村には少数ながら住民が生活していましたが、ある時を境に全員が行方不明となりました。恐らくこの時期に感染が広まったと思われます」


「ああ……それも資料で読んだ。感染の流行が起きた後は、村にある井戸に潜んでいたらしいな」


「はい。彼等は自分達が異界に迷い込んだと錯覚しており、昼間は陽光に怯え、主に夜間活動していたようです。地上部にあった畑は彼等が育てていたものでした」


 村人達は当初、調査のため訪れた科学者や自衛隊に対し攻撃的に接してきた。自衛隊員が肉塊の怪物に見え、襲われると感じた――――のだろう。

 現在も村人と完璧なコミュニケーションは取れていないが、比較的警戒心の少ない……恐らく戦後生まれた若い世代だ。幻覚の光景に慣れているのか、一部の者達とは良好な関係を築き、簡単な意思疎通が行えている。彼等の文字についても、第二次大戦時の日本語を用いれば解読が可能だった。価値観の違いに気を付ければ、交流は難しくない。

 いずれは彼等が特殊な病気である事、治療のための研究に協力してほしい事、現代の日本が第二次大戦に負けた事……様々な情報を伝える予定である。

 不運にも麓に降りてきた宮部由美を除き、死者がゼロで済んだのは不幸中の幸いか。自衛隊員にも数名感染者が出た事や、未だ治療法の宛もない事など、問題や課題は多いが、確実に良い方へと進みつつある。

 防衛大臣が不機嫌なのは、渡された書類に書かれたこの一文の所為だろう。

 ヨモツヘグイ菌の滅菌作戦はという提言だ。


「私が問題視しているのは、滅菌作戦の推奨しないの一文だ! どのような理由があるにしても、こんな危険な病原体は撲滅すべきだ!」


「撲滅自体は否定しません。最終目的としては定めています。ですが現時点で撲滅作戦を行うのは適切でありません」


 怒号をぶつけてくる防衛大臣に、隊員は淡々と答える。

 そう、滅菌作戦自体は考えられた。ヨモツヘグイ菌は社会秩序すら破壊しかねない、極めて危険な病原体なのだから。作戦内容も『全て』を検討。山に大量の殺菌剤をばら撒く、火炎放射器で焼き払う、山そのものを開発してしまう……だが、どれも好ましくないと結論付けられた。

 理由は、ヨモツヘグイ菌は環境が悪化すると芽胞を作り、劣悪な環境に耐えようとする性質があるため。芽胞状態ではアルコールも高熱も通じず、風に飛ばされやすい。つまり山を物理的に焼き払った場合、根絶するどころか広範囲に拡散する恐れがある。

 問題は他にもある。ヨモツヘグイ菌は生息地の山以外で繁殖していないが、これは好みの環境以外では他の細菌に負けてしまうのが原因だ。もしも山を焼けば、ヨモツヘグイ菌以外の菌もいなくなる。いや、芽胞で耐えられるヨモツヘグイ菌だけが生き残る可能性が高い。つまり一般的な滅菌作戦では、ヨモツヘグイ菌の繁殖を手助けしてしまうのだ。万一住宅地まで進出した時、もしも都市環境がヨモツヘグイ菌にとって好適なら一体どうなるか……

 三つ目の問題は、根絶の確認がほぼ不可能である事。クマのような大型動物なら個体数調査も出来、絶滅したという確信も得られるが、菌はそうもいかない。肉眼では発見出来ず、ほんの掌ほどの土地があれば生き続けられる。根絶したつもりでも、人知れずひっそりと生きている可能性はどうしても否定出来ない。『無駄』なものに予算を掛けるのは無駄と考え、駆除作戦後に管理を放棄した時、一体何が起きるか……

 そして一番の問題は、ヨモツヘグイ菌のような特異な菌が生息するあの村には、未知の細菌による独自の生態系が築かれている可能性がある事。既に研究過程で数種類の新種が発見されている。それもただの新種ではなく、これまで確認されていない未知の分類群に属すると思われる種だ。他にも貴重な野生動物が生息しており、撲滅作戦を行えばそれらも巻き添えとなって絶滅する可能性が高い。もしも絶滅した生物に病気の治療薬と鳴る種がいたなら、或いは病原体を捕食して抑えていた種がいたなら……


「怪人出現以降、山への立ち入りは禁止しています。土壌細菌が原因と判明した以上、この措置は今後も継続すべきです。ですがそれ以外の、積極的な対策は好ましくありません。不確定要素が多過ぎます」


「だが国民がこれに納得すると思うか? 国際社会の目もある。危険な病原体を野放しにする事は出来ん!」


「政治的判断で科学を覆すのはオススメしません。ルイセンコ主義という前例を忘れては、それこそ世界の笑いものです」


 怒りを露わにする防衛大臣に、自衛隊員は淡々とした口調で、ハッキリと告げる。尤も防衛大臣は歯噛みしていて、納得はしていない様子だ。

 そして大臣や総理が忠告を無視して指示を出せば、自衛隊はどれほど間違った作戦でもやらねばならない。より厳密には、、つまり国民の意思には逆らえないという事。『シビリアンコントロール』とはそのようなものであり、これに歯向かえば民主主義が成り立たない。

 幸いにして、防衛大臣は科学的に考えてくれた。テーブルを力強く叩くだけで、無茶な命令はしてこない。

 代わりとばかりに、疑問を口にする。


「一体、この細菌はなんなんだ……どうして第二次大戦時に急に……」


「原因は不明です。近くに旧日本軍の基地でもあれば、開発中の生物兵器の可能性などを疑えましたが、あの村は鉱山一つない農村でした。ただ……」


「ただ?」


「村の御伽噺などに、怪物について伝えられています。元々風土病として存在し、時折感染があった……と推測されています」


 生物は常に変化するものだ。病原体であってもそれは同じである。

 ヨモツヘグイ菌も、昔はそこまで人間への感染力が強くないものだったのだろう。時折不運な……加齢などで免疫力が弱まっている、偶々体質的にヨモツヘグイ菌に弱い等……者が感染し、御伽噺の怪物として語り継がれる程度に現れるだけ。怪物と言っても元は人間なのだから、幻覚により錯乱して暴れ回ったところで村が総出になれば簡単に退治出来る。危険ではあっても、脅威と呼べるものではなかった。

 だが、第二次大戦時に細菌が変化した。

 人間に感染しやすい変異が生まれたのだろう。何故? どうして? 理由なんて考えるだけ無駄だ。突然変異というのはランダムな変化に過ぎず、「どうしてサイコロを三つ振ったら全部六が出たのか?」を考えるぐらい無意味なのだから。偶々、人間にとって厄介な性質だったというだけの話である。

 そうしてヨモツヘグイ菌によるアウトブレイクが起き、村人の全員が感染した。或いはアウトブレイクで済んだと言うべきか。村と麓の町には距離があり、第二次大戦真っただ中というタイミングもあって、感染者と外界の接触はなく、感染が山から広まる事はなかった。そして幻覚に怯えた人々は井戸の中へと逃げ込み、以降人目に触れる事はなかった。いくら廃村を巡るのが趣味の輩でも、真夜中に訪れる者はそういない。お陰で今まで誰とも接触しないで済んだ。

 ――――結局のところ。


「……この病気が広まらなかったのは幸運でしかない、という事か」


 防衛大臣が独りごちたように、人間の手で感染拡大が防げたのではなく、運に恵まれていただけに過ぎない。


「全てが人間の手でコントロール出来る、というのは誤りです。我々が自然に対し出来る事は限られており、無茶をすればこちらに手痛い返しがあります」


「……………」


「今の我々に出来るのは、菌への接触を減らす事。そして将来治療が行えるよう、研究を続ける事だけです」


 自衛隊員の言葉に、防衛大臣は押し黙る。反論はない、という現れだ。

 それで良い、と隊員は思う。

 話した通りヨモツヘグイ菌は今の人類の手には負えない存在だ。手に負えないものを無理に弄れば、痛い目に遭うのは必然である。

 そして必然は、正義感や感情の有無で変わるものではない。

 状況は好ましくない。しかしそう悲観するものではない。『手が打てない』という情報は、好ましくないからこそ必要なものだ。知らなければ、山に近付かないという選択肢すらなかった。


「(麓まで降りた人がいなければ、今も被害者が出ていたかも知れない)」


 行方不明者扱いとなっている女性。彼女がいなければ、今もヨモツヘグイ菌について人類はなんの手立てもなかっただろう。

 英雄と呼んでも良いであろう、功績。

 しかしどれだけ偉大でも、死んでしまっては何も渡せない。

 冥府に渡ってしまった彼女に対し、隊員に出来るのはその冥福を祈る事だけだ――――

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よもつへグイ 彼岸花 @Star_SIX_778

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