春告鳥は君のため舞う ー 6

 春の田園が橙色に染まっていく中を、二人の並んだ影があぜ道に伸びる。


 河原をあとにした俺達は今日の目的をついに達成したということで、三山家に向かって復路をたどっていた。とはいっても、春菜にとってはこれからの晩餐会こそ今日のメインになるのだが。


 黄昏れ時に吹く風は汗をかわかすのに丁度いい。暦の上では春にうつろいだとはいえ、冬の肌寒さは残っていると風の冷たさから感じられるが、火照った体の冷却に役立っている今なら我慢できる。足元の草が揺れるとともに菜の花畑が波打っていき、風の形を浮き彫りにしていた。


「この町は、やっぱり変わってなかったわね」


 右を歩く春菜は言った。


「こんな田舎に変化を期待していたのか」

「うぅん、そうじゃない。むしろ変わって欲しくはなかったかな」

「理由はだいたい想像できる」

「あら、エスパーかしら」

「今日のお前の森ガールっぷりを見せつけられたら、嫌でもわかるわ」


 自然を愛する心の持ち主である春菜にとって、故郷の緑はさぞ恋しかったであろう。


「人の観察が良くできてるとは思うけど、森ガールの使い方そうじゃないから」

「うぇ」


 まじすか、何も言い返せない。あとで調べよう。


「馴染みのない言葉を使うから。どうしたのよいきなり」

「さっき老成と言われたのを、だな……」


 徐々に小声になっていくのは自分でもわかった。老いている、と言われたら返上したくならないか? ……俺はなるのだが。


 春菜は俺の態度にあきれた様子で首を振って、言った。


「別に老成はよくない言葉じゃないのよ。テル、あんた見栄っ張りなところは相変わらずね」

「すまん、自覚が無い」


 とりあえず心の中で、舌を出しながら自分の頭をこづいておいた。


「けど安心したわ。今もそういう一面があるとこ見れて。お互い、だいぶ変わったもんだと思ってたから」

「性格が真逆になった、くらい言ってもいいかもしれん」

「小さい頃はテルが私を連れまわしてたのに、今日は私がテルを連れまわしちゃった。ごめんね、疲れたでしょ」


 俺は首を横に振る。


「全然。未来のスターさんの感受性磨きにご一緒出来て、楽しかったですよ」


 両手をひらひらと振って余裕だけ見せる。ぶっちゃけ、さっさと帰って布団に沈みたいくらいに思っているが、春菜曰く俺は見栄っ張りだ。額面通りに受け取ってくれた春菜は笑った。


「ありがとね。まあ見てなさいよ、今日はたっぷり吸収できたし、絶対次の糧にするわ」

「またオーディションを受けるのか?」

「もちろんよ! 一度掲げた志はなんとしてでも貫いて見せるわ」


 春菜は自信満々に、親指を立てた。


「最後に勝つのは私なんだから!」


 その気合いの入りぶりと言ったら。今にねじり鉢巻きと腕まくりをして「てやんでぇ、ばかやろめぇ」とか言い出しそうだ。


「誰と戦ってんだ」


 冷やかしのつもりじゃないが、純粋な疑問から出た言葉だ。それに春菜は笑って答えた。


「私自身よ」


 言うに続けて「わあ」とこちらに目を向けたまま、感嘆の声を漏らした。


 視線の先を追って顔を向けると、夕焼けが山の端をふちどり、藍色の天空との狭間で燃えている。それを覆うように一番星が屑星を従えながら輝いて、天井の果てしなさをありありと示していた。


「最後にいいノスタルジックが見れたな」

「私的には感動のフィナーレと言いたいかな」


 単純に「綺麗」と形容しないのは、俺達なりの屈託かもしれない。春菜の言う感受性を用いるならば、舞台をする時にあの空を是非とも照明で再現してもらいたいものだ。


「やっぱり好きだな、この町が。この町のために何かできたらいいな」


 春菜が呟いた。隣で首肯している俺がいる。


 長いさんぽを通じて感動を共にしてきたことで、どうやらこいつの性癖が伝染うつったらしい。涙はさすがにこぼれないが、この広く澄んだ空を見て望郷心とよく似た感情が、胸に芽生えたような気がする。


 春菜が愛する風土とかいう感性が、おぼろげながら俺にも分かってきたようだ。


「じゃあ、お前が晴れてスターになった時は、錦を飾る凱旋公演でも企画しよう。なあ……あれ?」


 振り返って見た隣には、そこにいるはずの影がなかった。


 周囲を見渡しても誰の姿も見当たらない。


「おい」


 呼びかけてみると、肌寒い風が野辺の草を揺らしただけだった。街灯のないあぜ道に伸びる影は一本だけ。斜陽はその一本を、夕闇が迫る世界へやけに黒く映しだした。


 ……あいつは、どこに行った?


「おい」


 もう一度声をあげても春菜からの返事はない。


 かたわらで蛙が鳴きだした。


 それはとても大きく聞こえ、それは今の俺には、不気味に思えた。だんだんと暗くなっていく田圃は不気味で仕方がない。いつも見ている景色のはずだが、何故だ。ついに耐え切れなくなり、忽然と消えた彼女の名をもう一度、叫んだ。


「おい! 春菜!」

「なーにー?」


 へ。


「さっきから返事してるんだけど。何かあったの?」


 ふぬける声が聞こえてきた。声のした方を探してみると、俺の左側で春菜がしゃがみ込んでいる。


「なにやってんの」

「なにを、ですって?」


 一瞬、暗がりで春菜の瞳が光ったように見えた。


「どうよ、これ!」


 と言って広げてきた手元には、ビニール袋が口を開けていた。小さい棒状のものがたくさん入っている。


「えっへへへ、ここツクシがめっちゃ生えてたのよ! いやー見逃すところだったわ。卵とじにしたら美味しいのよ、テルも取って帰ろ」


 そう言って土筆狩りをひとり再開する春菜。……こいつ、いつか叩く。


 こうして、春を求める徘徊はめでたく幕を閉じたのであった。

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