春告鳥は君のため舞う ー 7

 家に帰りつくとすでに夕飯の支度は整っていた。こちらも食事をいただくにあたっての身支度を済ませると、食卓に着く頃には茶碗に飯をよそわれ、味噌汁は漆碗で湯気を立てていた。


 昼間に春菜を招いた客間の隣室が、本日の宴の会場。十畳の広さで造りは簡素、中央には円卓が据わって部屋の隅には薄型テレビが置かれている。居住のしやすさを追求した空間、我が家ではそれを「居間」と呼んでいる。


 上座には、仕事から帰宅した父さんが楽な部屋着姿で座っていた。父さんから時計回りで位置を示すと、俺、春菜、母さんの並びで卓袱台は囲んでいる。客人である春菜を最下座に置くことになってしまったが、旧知の仲という事で容赦願った。本人は気にしていないようだから、こちらも別段意識はしまい。


「ん~、このお漬物、美味しい~!」


 春菜の顔が、白菜を食べた途端にくにゃりと緩む。母さんは湯のみにお茶を注ぎながら微笑む。


「うちの畑でとれた白菜よ。今朝収穫したのを浅漬けにしたの」

「へえ。やっぱり新鮮な野菜が食べられるって良いな。これとか本当もう、さっきまで生えてましたって感じだもん」


 よく分からんたとえだが、まあ美味いと言っているんだろう。もう一切れ口に入れては再び感動をあらわにする。


「ご近所さんも畑をしてらっしゃるから、たまに物々交換し合ってるのよ。スーパーでわざわざ買わなくていいから、財布にやさしいわ」


 母さんはにこやかに笑いかける。冗談っぽく言っているが、個人の畑でも維持するためにはお金がかかるし、毎朝様子を見に行かねばならない。結構な苦労をしているのだが、そこらへんを他人に語らない気配りは俺も母さんから見習うべきところだと思う。


 右でビール缶が置かれる音がした。


「春菜ちゃんのお父さんとお母さんは元気にされてるかい?」


 尋ねたのは父さんだ。その声の柔らかさから人柄の良さが充分にじみ出ている。春菜もそれはよく知っていて昔はよく懐いていたし、今も変わらぬ気持ちのようだ。


「二人とも元気だよ。昨日電話したんだけど、こちらにお邪魔するって話したら、ヒロシおじちゃんとマイちゃんによろしくお伝えくださいって」

「それは良かった。どうもありがとうね」

「はい、よろしく伝わりました」


 母さんが箸をおいて敬礼の真似をする。ヒロシおじちゃんことマイファザー、三山浩史はもう一つ質問をした。


「福岡ではどんな暮らしをしていたの?」


 昼間の母さんと同じ質問だ。しかし春菜は別の答えも用意していたらしい。


「いろんな舞台に出てたかな。ミュージカル以外にも普通のお芝居に出たこともあるし、クラシックバレエを習ってたから発表会にも何回か」

「春菜ちゃんはね、博多座にも出たことがあるのよ」

「博多座。ほぉ」


 父さんのリアクションから察するに、劇場のことはよく知らないのだろう。母さんは日舞講師として由緒ある劇場の名前を知っていてもおかしくないが、父さんは普段、保険会社の営業マンをやっているお方だ、無理もない。


 俺は味噌汁をすする口をいったん離して説明を加えた。


「九州で一番大きな劇場だよ。歴史も深く、歌舞伎や宝塚とか、演劇界のビッグタイトルが毎月上演されている」

「おぉ、照幸は物知りだね。ってことは、春菜ちゃんもまさか宝塚に?」


 褒められて嬉しくないことはないが、芝居の知識なら誰にも負けん自信はある。だから父さんの発言に白米をかみしめながらつっこみを入れる。


「宝塚は劇団だから、入ってたら今ごろ春菜はここにいないよ」

「えへ、宝塚は高校一年の時に受験して、二次試験で落ちちゃった」


 マジかよ、さりげなく春菜の過去がまた一つ暴かれた。毎年二十倍近い受験倍率をたたき出す宝塚歌劇団に挑むとは、なんたるバイタリティであろうか。そう思うと感じるオーラが変わって来るではないか。


 ついでに博多座について補足説明しておくと、春菜が出演したのは十二月。「市民檜舞台の月」という一般団体に劇場を解放する期間中に、春菜の所属していた団体が博多座公演を催した、というわけだ。それでもすごいことに変わりないのだがな。


「へぇ、春菜ちゃん頑張ってるんだね」

「いやぁ、それほどでも」


 頬をぽりぽりかく顔は満更でもなさそうだ。両親と春菜の間では団らんとした会話が続く。飛び交っている内容は昼間に聞いたものがほとんどだったので、俺はひたすら空きっ腹を癒すことに専念するようにした。


 俺は箸を大皿に伸ばすと、そこから肉をつかみ取る。料理は肉野菜炒めだが、肉だけ食べても罪にはなるまい。うん、旨い。たくさん歩いたからご飯が今日は特にいける。


 そういえば、博多は「豚骨ラーメン」がオヤジ達の間でソウルフードになっていると聞いたが、春菜曰く関東の人間には絶対に食べられない味らしい。しかもゲテモノと言う意味で。そこまで言われると逆に気になるのだが、マズいと言われる料理を食べたいとは思わない……けど、いったいどんな味なのだろうか。


 にしても、今日の野菜炒めは箸が進むな。大根が入っている。塩と胡椒だけの味付けが野菜の甘味を引き出している、とでもいうのだろうか。汗をかいた分、塩が体にしみる……。


「博多弁」


 俺が反応したのは、その単語が聞こえてきた時だった。


「訛り?」

「訛りって言うな!」


「ぐげぇっ」


 言うまでもなきマッハのツッコミが俺のあばらに突き刺さる。しかし今は食事中だ、襲撃者は「あっ、ごめん」と己の過失をすぐに認めた。偉いぞ俺、よく味噌汁をこぼさなかった。


 父さんが豆鉄砲を喰らった鳩の顔をしていたが、母さんによる「仲がいいのね」発言で笑顔を取り戻した。いや、うん、やっぱり何も言うまい。


 母さんは問いかけた。会話の続きらしい。


「博多弁ってどんな言葉があるの?」

「そだねぇ、『しゃれとんしゃあ』とか分かるかな」

「しゃれとんしゃー」


 ご当地戦隊ヒーローだろうか。「福岡戦隊・シャレトンシャー!」……さっぱり分からんが、口に出したら怒られそうなのは確かだ。


「正解は、お洒落だね。粋だねって意味。『その服しゃれとんしゃあ』とか言ったりするの」


 三山家そろって、へぇ。戦隊ヒーローなどではなかった。飲みかけた味噌汁を改めてすする。その間に春菜は次のクイズを出す。


「これも意味は簡単な方だね、『つやつける』」

「つやつける?」


 艶をつけるって事だろうか。福岡は工業もやっていると、小学校の授業で聞いたことが無くもない。おそらくニス塗り作業に使う言葉じゃないだろうか。


「塗装をする」


 唇を尖らせて、


「ぶっぶー。そこまで限定されてませーん」


 くっ……向こうに悪気はないのだろうが、なんか腹立つ。


「ワックスをつける?」


 父さんが答える。


「ぶー。でも割と近いかも。古い方言だからもっと広義な意味だと考えて」


 塗装が違って、ワックスが近い、とな。うぅむ、床磨きに精を出しているのか福岡県民は。


「あっ」


 母さんが思いついたようで指を鳴らした。食事中だぞ。


「格好つける」


「……マイちゃん正か~い!」


 春菜が拍手を送る。言われてみると昔のヤンキーがつやつやのリーゼントを整えながら、「俺、キマってるぜベイベー」みたいなイメージが湧いてきた。すまない福岡県民よ、床磨きなどと言う謎の趣味を持たせてしまって。


 しかしパターンは読めてきた。英語読解で鍛えた俺の柔軟な発想力をお目に入れよう。


「可愛い言葉もあるんだよ」

「可愛いとな」


 どんと来い、次こそ当てて見せる。


「じゃあこれが最後。古い言葉らしいんだけど、『だんだん』」


 だんだん……?


「段々畑がプリティに見えるのか、福岡県民には」

「しぇからしかっ」

「お、おぉう」


 よく分からんが、怒られたらしい。安直な考えを口に出してしまっては、次にどこを狙われるか知れたもんじゃない。くわばらくわばら。


 俺を叱りつけた後春菜はハッと口を手で押さえた。昼間、大学でもそうだったが自然と方言が出ることに恥じらいがあるのだろうか。やや照れながらも親切に説明を両親にしてくれている。


「ちなみに今のしぇからしかってのは、静かにしなさいって意味ね」


 叱責用の言葉もあるのか、修羅の国の言語は奥が深い。しぇからしか。父さんが口にしては笑う。


「なんだかそれも可愛らしいね」

「あらやだ浩史さん、言ってる子が可愛いからよ」

「そっか、それもそうだね」

「ちょっと、もう二人ともやめてよ! 恥ずかしいってば!」


 有頂天夫婦と春菜によるハイテンショントークは、バラエティ番組でも見てるかのような騒々しさだ。


「その可愛らしい言葉におたくの可愛い息子さんが一喝されたのですが」


 俺が発言したとたん、母さんは急に静かになってこちらを向いた。そして


「おぉ~~よちよち~~私の可愛い照幸ちゃぁぁあ~~ん! おねえたんに怒られて怖かったでちゅねぇ~~ばぶーばぶー」


 もう、描写するのをためらわれるような顔で上の言葉を言った。


「オーケー、もういいよ母さん。ありがとう」


 唐突な母さんのボケに父さんが噴き出していたのは、見なかったことにしよう。すると


「テル、今正解言った」

「へ」


 春菜が唇を凄まじくゆがめた状態で指してきた。正解なのは喜ばしいが、笑うならいっそ笑ってくれと言いたい。


 ……ん? 正解?


「ありがとう、か?」

「はい、テル大正解。おめでと~」


 拍手が一同から送られてくる。けど……この達成感のなさはいったいなんだ。


「だんだんって、今までの単語のニュアンスと一線を画していたぞ。なぜにどうしてそんな意味になる」


 きっと何か語源があるはずだ。春菜、教えてくれ。何が「だんだん」をありがとうたらしめているのか! 福岡県民よ、伝えてくれ!


「そんなの知らないわよ」


 ホワイ、ハタカーズ、ピーポォ!


「お前、方言キャラで売り出す予定じゃなかったのかよ……」

「誰が方言キャラよ! 私は標準語圏の東京都民よ!」

「まあまあ二人とも落ち着きなさい。ご飯はおいしく食べよう」


 ここで場を収めようとするのは父さんの分別の素晴らしさである。ありがとう、父さん。本当にありがとう。


 左にあらためて視線をやるとイーだって顔をされた。クイズにするなら語源くらい調べとけよ、と不服に思うと同時に、見せつけてきた歯の並びが整っていてきれいだったとかいうくだらない感想も抱いた。


 その際、唇が動いているように見えたのだが、音まで認識するに及ばなかった。

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