春告鳥は君のため舞う ー 5

 青白い砂利の転がる小さな河川敷は桜の木と菜の花がざっと咲き誇っており、傾きかけた陽の色に色味を塗り替えられていた。光る川面は銀鱗のようにしずかに光を弾き、夕暮れ前の菜の花畑に春らしさを見せている。


 春菜主催の春を感じる場所を巡ろうツアーはいよいよ大詰め。俺はもう疲労困憊であるのだが歩かぬことには動けないし、景色を見ては気を紛らすつもりで春菜の導く通りにここまでやって来た。目の前に流れるただの川を見て、一応こうとは言ってみる。


「まあ、ノスタルジックだな」


 さぞや春菜もお喜びのことだろう。感受性が他と一線を画するあいつはこの河原をどう見ているのだろうか。腰を下ろせる場所を探しながら俺は春菜に声をかけた。写真家を気取っているのか、両手でフレームを作りながら桜並木と川の流れを切り取ろうとしている。


「どうだ、何かあるか」

「なんにもないわね」

「知ってた」


 心情の揺れを尋ねたかったのだが、春菜は物的存在の有無を聞かれたとでも思ったようだ。ここもやはり目にも鮮やかな人工物など置かれているわけがない。せいぜい簡素な桟橋や飛び石が水上に浮かんでいる程度だ。


 俺はもう一度言うべきことを考え直して、彼女に言った。


「どうですか、この景色。ロマンチストさんには満足が行けてますかね」


 すると春菜は顔をしかめた。


「その言い方なんかヤだ」


 俺の口は「えっ、」と言えていただろうか。そんな不機嫌にさせる言い方だったか? 不安よりも驚きの方が大きいがともかく不快にさせたのなら先に謝るのが吉だ。……今日の俺、春菜に謝ってばかりな気がしてならない。


 日頃の行いは聖人君子を目指しているわけでもないから善行ばかりではないだろうが、「グヘヘヘヘ、悪い事だぁいすき!」とか言ったこともないし、今日は厄日だ。


「すまん、言葉が悪かった。今のは単に、お望みの景色に感想はないのかって言いたかった」

「言葉選びには気を付けてよね。私がなりたいのはロマンチストじゃなくって、ポエマーよ」

「は」

「ロマンを求めるだけよりも、ポエムを詠む方が生産的じゃない?」

「…………」


 こだわるのそこかよ。


 春菜の感受性もさることながら、その言語感覚もいまいち理解の斜め上を飛び越えている。分からん、俺には分からん。他者の思考レベルを推量することが傲慢なのは百も承知だが、常人のセンスから逸脱しているのは確かだろう。


「それよりさ」と、春菜が言った。


「ようやく悲願の河原に来たんだから、たっぷり吸収できるものはしちゃうんだから」

「こっからは何を感じ取るんだ」

「そうね、これとか」


 拾い上げた小石を流れに向かって投げつけた。小石は水面で一度だけバウンドし、二回目の放物線を描くと、水底へ消えた。


「水切りか」

「そ。最近じゃ滅多にできる所がないのよ、ねっと!」


 再び春菜はサイドスロウで石を放ったが今度は一度も跳ねることなく、ずむっと飛沫を上げた。


「不器用か」

「……まあ見てなさいって、今に七連ジャンプ成功させるんだから」


 意気込みは十分にあるようだ。腕をぶんぶん振って回すと、今のは肩慣らしだったと言わんばかりに次々と小石を川底に沈める作業に没頭しだした。


 川の生態系がちょっと心配になって来た時、ようやくこっちへ振り返った。


「うぅん、腕が鈍っちゃったのかな。テル、やってみてよ」

「どうして俺がやらねばならんのだ」

「昔は町一番の水切り名人だったでしょ。ほら御託は良いからやってみせて!」


 御託を並べてるのはどっちだか。


 渋々ながら手ごろな平べったい石をつまみ上げてみる。この感触、とても懐かしい。構えを作るだけでも童心に返った気がする。


 さて、めつける先は幅十五メートルくらいの川の流れ。そこへ向かって男三山照幸、フォームを決めた次の瞬間振りかざした右腕を大きくしならせ、手首が黄金のうなりを見せた。


 小石は猛然と空を切り、ノーバウンドで十メートル先に着水した!


「ダメじゃない」

「無理でした」


 昔取った杵柄なんてものは無かった。いかん、肩がぎちぎち鳴りだした。こういう遊戯は力が全てではない、論理的な計算の元にこそ結果がついてくる競技なのだ。


「じゃあ次、私の番」


 元気よく前に躍り出ると、春菜は石を思いきり投げた。春菜の飛ばした小石はまっすぐレーザービームとなって、対岸に立つゴミを持ち帰ろう看板にヒットし、コーンと良い音を鳴らした。


強肩きょうけんかよ」

「私の方が遠くに飛んだ!」

「そういう遊びじゃないからこれ」


 もしあの看板が壊れて器物損壊の罪に問われたらどうしようか、とか一瞬でも心配してしまった俺は気が小さいのだろうか。昔はこれで野良犬に当たって追い回されたから、ひょっとしたらトラウマになっているのかもしれない。


 看板の無事を視認し、安堵している俺の隣で春菜が言った。


「よし、じゃあ私とテルでどっちが早く出来るようになるか、競争しよ!」

「僕は棄権します。よってウィナー、ハルナ=アサクーラ」


 これ以上肝を冷やすのはごめんです。さあ、勝者に盛大な拍手を~。


「あら、逃げるのかしら?」


 ほう、ここで煽ってくるか。しかし残念だったな春菜よ、冷静沈着の誉れ高きこの俺にそんな姑息な手段が通用すると思うてか。ぬかったな小娘。


「戦略的撤退は敵前逃亡とはまた違う。俺は今、めんどうくさいという意欲の不充実が理由となって本当の実力を出せないでいる。これはお前との真剣勝負における決闘のさじを投げるに足りる要因にならないか」

「よっし、じゃあ私が先攻ね! それっ」

「聞けよ」


 ……スルーときたか。中途半端に持ち掛けておきながら、それを煽り殺しにするとは。


 いい度胸をしているではないか。


 春菜の小石は大きく飛び、またもやワンバウンドで水に沈んだ。


「あちゃー、また一回だ。次こそは」

「そこをどけ」


 春菜を横へやり、右手の指をこすり合わせる。こする指の隙間から取り出したのは、一枚の薄い石ころ。この石は薄さ・軽さ・形状を総合的に換算した上で選出された、まさに非の打ち所がない逸品である。腕は落ちたと言われても、勘まで失ったとは言わせない。指で石を挟みながら腰を落とす、そして


「……ぬぅんっ!」


 右腕が地面すれすれで再びうなった。撃ち出された石は水面をえぐりながら突き進み、一、二、三、四っ、と身を弾かせた後、広く弧を描きながら五度目の接面をして水中に没した。


「おぉ~!」


 記録は五回。背後からは春菜のはやしたてる声。昔に比べたらやはり落ち込んでいるが、長期のブランクを念頭に置いてみればまあまあって結果だ。しかしこれで俺の成績は春菜より上回って


「たぁっ!」──ぴっ、ぴぴぴぴっ、ぴっ……ぽちゃん。


 あっさり塗り替えられた。


 春菜が投げた方では川面に広がる波紋は七つ。驚いて五回くらい二度見したが確かに石が六回跳ねて、最後に落ちたと物語る形跡がそこにあった。


「うーん、惜しい。七連まであと一回」

「お前、今……何をした?」


 震える声にはわなわな、と擬音がついている。これがギャグ漫画だったら鼻水を噴き出しているところだろう。


「何って、テルの動きを真似しただけよ」

「真似だと。俺は一度しか投げてない」

「二回よ、あの投げただけの奴」


 投げただけとは、これはなんたる……いや、俺にも恥と言うものがある。失敗した事実を自ら蒸し返すのは「男の意地」というものに恥ずべき行為だ。よし、こらえたぞ。


「見ただけで真似できるのか」

「ダンスの振付を覚えるので慣れてるから、一度見た動きは大体覚えられるわ。あとテルの投げるフォーム、重心移動が手先までしきってない。アプローチは最後までしっかりしなさいよ」


 ちょっと待て。


 えと、あの、うん。にわかに理解しがたいのだが……とりあえずこいつはある種の天才肌であり、すさまじい上達を一分足らずで為してしまう程の吸収力を持っている、と考えれば良いのだろうか。化け物かよとまさに言ってやりたい気分である……が、しかし。


「言ってくれるではないか……よろしい、俺の本気を見せてやろう」


 ここで引き下がる俺ではない。かつての王者たる威厳を侵されているとあっては、居ても立ってもいられるものか。足元からめぼしい石を拾い上げると、石を放つ構えを作った。


「ふふ、そうこなくっちゃね。私の知ってるテルはそれでこそだわ」


 対する春菜は不敵な笑みを浮かべては、腰を深く落として得物を高く持ち上げた。


 先に投げたのは俺だった。今度は肘を意識して水平に石を放つと、川は波紋を七つ生み出し、ぶめきながら八個目の波を立てた。


「七連ジャンプ成功したぞ。どうだ」

「なんのっ!」


 春菜が投げると、俺の記録を超えた九回跳びを成し遂げた。悔しかったから俺の番では怒涛の十連ジャンプを達成すると、春菜は負けじと十一連をたたき出した。


「なかなかやるじゃないか」

「そっちこそ」


 勘を取り戻したら俺は強い。石を放つ速度や水面に対する入射角など、あらゆる事象を計算しながら春菜の強肩に対抗した。互いにしのぎを削り記録を次々と更新していくさまは、まさにシーソーゲーム。


 十一、十二、十三、十四……素人には破れぬ壁を俺のコピーでやすやすと超えてくる春菜は、改めて思うが化け物ではあるまいか。それも毎回の投げる動きを自ら分析し、次の番では改良版を放っている。この頭の回転と身体の使いこなしの非凡さは、春菜のセンスがどちらも図抜けている事を証明するのに十分な材料となっていた。


 結局、勝負に決着がついたのは春菜の石が十九回目の跳躍で向こう岸に届いてしまい、これ以上の記録更新が望めなくなった時点での事だった。そのときの俺の最終記録は、二十回だった。


 春菜は額に汗をにじませながら、すこしだけ地団太を踏んだ。


「くぅ、惜しかったぁ!」

「……勝った」


 俺も額をぬぐって良い汗かいたと勝利の微醺びくんを味わいながら、肌を乾かす風に吹かれる。周囲に咲き並ぶ桜の木々は茜色になりかけていて、時刻は夕方にせまる頃か。火照る体をなでる風からは涼が得られる。


 ひとしきり悔しがって春菜はこぼした。


「やっぱりテルにはかなわないな」


 そうは言うものの、俺が返すのは否定の言葉。


「いや、川幅がもっと広かったらお前の勝ちになっていた」 


 事実、ここの川は幅が狭い。春菜の投擲とうてきは飛距離があるため、石が水面をステップする合間はどうしても広くなってしまう。肩に自信のない俺はそこを突き、幼少期に培った勘を頼りに回数をかせいだというわけだ。


 こうしてめでたく「町一番」のタイトル防衛に成功したのだが、飛距離を競っていたならば俺には確実に惨敗する未来が待ち受けていた。それほどまでに彼女の秘めたる力は脅威の他ならない。


 しかし春菜は首を振った。


「負けは負けよ。同じ条件の中で、しかもテルは本当の実力を出せてなかったんでしょう?」

「んあ? ……ああ、おう。その通りだな、もちろん」


 何のことかと思ったら、俺がはじめに言った言葉を春菜はしっかりと拾っていたのだ。虚勢を張って咄嗟に腕を組むが、バカにされてるのだとすぐに悟った。証拠として、春菜の口元が笑いたそうに歪んでいる。


「さて、どうしようか」

「どうしようかって?」


 春菜は手提げから財布を取り出し、中身を覗き込みながら言う。


「勝負したからには賞品とか必要でしょ? 今回はテルの勝ちだから、ジュースか何かおごるよ」


 そういうことか。


「いいよ、そういうの前提でやってた訳じゃないし」

「遠慮しなくていいんよ。じゃあ荷物持ちとか」

「持たせる荷物が無いんだが」


 「ですよね」と白々しい顔を見せた。口にした事をすぐに取り下げないのは春菜の真面目なところだろう。反応はしなかったが、さりげなく訛りが入ってたぞ。


「……まさか」

「おん?」


 大袈裟なアクションで春菜は突然のけぞった。


「……私を賞品に欲しいとか? きゃー! テルってばケ・ダ・モ・ノ」

「人の品位を著しく損なう発言はよしていただきたい」


 これまた大胆な洒落をかましてきたな、昔の春菜からは想像もつかない発言だ。だが生憎、俺は色気話に興味などない。


「ふーん」


 塩対応というやつに当てられた春菜はふざけたポーズからなおり、「意外」とでも言いたげな顔をしてきた。


「テルも大人しくなったのね。とても犬のうんちを枝に刺して友だちと鬼ごっこしてた少年には思えない」

「それは大人になった、と言うべきじゃないのか」


 この歳でやってたらただのバカです。


 因みにそのエピソードには畑の肥溜めに落ちて泣きっ面を見た、というオチもあるのだが春菜はそこまで知らないようだ。知らなくてよろしい。言葉をつづける。


「そっちだって同じことを言えるだろ。昔は万年ベソかき娘だったのに」

「あの頃は涙腺がよわくてね」

「お前いくつだよ」

「そんなこと言うけどテルこそ何歳よ。すっかり雰囲気が老成しちゃって、お爺ちゃんみたい」

「若さが無いと言いたいのか」

「良いと思うわ、この歳でそこまで落ち着いていられる人って、めったに見ないもの。それになんだかんだ言って優しいし」

「優しい。俺が、か?」


 それはないだろう、今日あれだけ怒りの殴打をさせたのだぞ。それに普段の言動にかんがみても、とても情に厚いナイスガイですとは自己紹介できないと思うのだが、俺と言う屁理屈万歳なぬるい性質たちの男は。


「さっき私に貸してくれたでしょ、ハンカチ」

「ハンカチ? まさか、そんなことで」

「私がそう思ったんだから、それでいいのよ。結構紳士なところあるじゃない」


 俺の薄い人間味は一枚のハンカチで均衡が取れていたらしい。まるで生前クモを救ったのを仏に見られていたカンダタのような気分だ。どちらも些細な善意が運命を変えている。……いや表現が大げさすぎたな。


「ハンカチ一枚出したくらいで優しいとは、俺にはもったいない言葉だ」

「あっ、そうじゃないわ。もちろん昔から優しいのは知ってたよ、けどこれで改めて感じたっていうか」

「…………」

「どうしたの」

「いや、春菜に褒められるとは思ってなかった」

「なに言うのよ、褒めるとかじゃなくてフツーに良い所だねって……私だってテルのすごい部分は純粋にすごいって思ってるわ」


 ほーん。その気持ちはとてもうれしいが、大した期待はしないでおこう。


 と言ったら、春菜の顔に意地悪そうな笑みが浮かんだ。


「お望みなら一個一個あげていきましょうか?」

「遠慮しておく」


 一切の間をおかずにことわった。春菜は「つれないわねえ」とか何とか言って、俺を肘で小突いてきた。これは本日の殴打にカウントするような威力ではなかった。俺も「うっせ」「さいですな」を筆頭にした文言で適当にうけながす。


 自分の話題をされるのは得意じゃないし、他人の評価を知るのは俺にはなんだか恐ろしい。たとえ好評をいただけると前置きがあったとしても、不安は必ず胸にぼやっと渦巻くように現れる。それに俺がさっき春菜に対して思ったように、春菜も俺という存在を完全に推し量れているとは思えない。


 春菜から俺の性格を分析した結果を聞き出すのは、今の俺にもこいつにも時期尚早という事だ。八年間も時を隔てれば人は成長する。それまでに生まれた時間の空白を埋めるには、やはり時間をかけていくのが妥当と言えよう。何気ない会話だけれども互いの深みに入るのは、しばらく俺の方からはよしておこう。


「ま、俺の良い所は一つ知ってりゃ十分だ」


 俺と春菜はまだ再会したばかりなのだから。


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