農民たちとの対話

 さて当時の金次郎さんの心境がのちに『二宮翁夜話』巻四、全体の第百三十四 「物井村開拓方法開關元始の大道に基く」で述べられています。


 翁(二宮尊徳翁、金次郎さん)がおっしゃいました。


「論語にいっている、「信なれば則ち民任ず」と。が母親に対する姿勢は、己れがなにほどに大切だと思うものにても、疑わないで母には預けるものである。これは母親の(子を)信じる心が、児に通じればである。


 私が先君(大久保忠真侯)に対する姿勢もまた同じであった。私が桜町の仕法(立て直し)を委任されたときは、心ぐみの次第を一々申したてるにはおよばなかった、年々の出納の計算をするにはおよばなかった、「十ケ年のあいだ任せておくものである」とされた。これは私が身をゆだねて、桜町にきたった理由である。


 さてこの地にきたってどのようにしようと熟考したのだが、我が国は開闢の昔、外国から資本を借りて開いたのではない、我が国は我が国の人々の徳やめぐみによりて開けたるに相違ないことを発明した(思いついた)ので、本藩(小田原藩)からの下附金を謝絶して、近隣の富家にも借用を頼まないで、この四千石の地の外をば海外とみなし、わが神代のいにしえに豊葦原へ天降りしたのだと決心して、我が国は我が国の徳とめぐみにて開く道こそ天照大御神のお足跡あしあと(おめぐみ)であると思いさだめて、一途に開關の元始の大道によって勉強したのである。


 そして開關の昔に葦の原に一人で天降りしたのだ、と覚悟したときは、流れる水に潔身みそぎしたようにいさぎよきことかぎりなかった。何事をなすにしてもこの覚悟をきわめれば、依頼をする心はなく、卑怯・卑劣の心もなくて、何をみてもうらやましきことはなく、心の中は清浄であるがために、願いとして成就しないということはない、という心境にいたったのである。


 この覚悟こそ事を成すの大本である。私の悟道の極意である。この覚悟が定まれば衰村を起すのも廃家を興すのもいとやすいことだろう、ただこの覚悟一つだけである」



 さて金次郎さんが天孫降臨の神話に関連させて開拓を述べられているのには、読者の方のあいだには是非があるかと思います。またまだ徳川時代にこのような考えがあったかよく考えねばなりません。このたとえがなされているのは『二宮翁夜話』が明治に書かれた本であることも影響しているのかもしれません。


 しかし決死の覚悟で金次郎さんがこの桜町にのぞんでおられたことは、この話からも分かるのではないでしょうか。


 さてこのような覚悟の金次郎さんを農民がむかえうちます。『報徳記』の記述を引いてみます。


 このような艱難・丹誠(金次郎さんの取り組まれた困難なこと、努力)は枚挙することができないほどで、至誠の感じるところ、天地もこれがために動き、鬼神も感応をおくだしになるはずでした。


 そうであるのにいにしえより以来の凡情のただようところはただ目前にあって、遠くをみることはできませんでした。眼前の損益をあらそい、人の功をねたみ、善をふせぎ、悪にながれるのは小人の常なるがために、村中の奸智・佞悪のものは表は金次郎さんの指揮にしたがっているがようにして、内心はこれをさまたげ、一事手をくだすごとに故障(支障、問題)を訴え、あるいは愚民を煽動してその事業が破壞にいたるであろうことを謀りました。荒蕪を開こうとすれば、「在来の田圃すらなお耕耘こううんの力が足りないのに、何をもってか開田を耕すことができましょうや」とこれをさまたげました。


 加賀・越後両国の来民を慰撫して、家をつくり、田を開き、器財・農具・衣食をあたえて村人となしたならば「氓民ぼうみん」(流民、宿なし)とこれをいやしみ、これを侮慢ぶまん(侮辱)し、いわれなき難しい条件をもうけてこれを苦しめ、他のくに(藩でありましょうか)に走らさせて、「生国を去る無頼のものをこの村民とした、そのために早くもまた走ってしまった(去ってしまった)」とあざけりました。


 経界(境界?、検見のことか?)を正そうとすれば、「古来の水帳を失ってしまった」と、奸人の家に隠しておきこれを出ださないようにして、経界を正すことをできないようにさせました。


 強いものは弱いものをしのぎ、良い田をいささか(些少)の貸した金のために奪い、貧しいものはついに氓民ぼうみん(流民、宿なし)となりました。


 荒蕪の田圃を開いて個人的にこれを耕やし、年貢をおさめないでその実のりをわがものとし、年貢をだしている田圃は糞培ふんばい(肥料)をしないでいて不作になさしめ、「土地が悪いがためにこのようなんです、年貢を減らしてくださらねば百姓は離散におよびましょう」と訴えるのでした。


 名主は農民の無頼を訴え、農民は名主の私曲(悪事)を訴えました。奸人は表に正直をかざり、ひそかに愚民をたぶらかして種々の出訴をもうけ、日々陣屋にでて紛冗ふんじょう・動搖しました(訴えをたたかわせました)。このようにすれば金次郎さんはこの事に労して、村中が旧に復帰するための実業に時間がないだろうことを計ればでした。


 金次郎さんは未明にはこれをさとしてその曲(悪)・直(善)を正し、夜にはいってこれを教誨きょうかいし、その根元を察してその事をさばいて、もっぱら勧善・懲悪の道理を弁明してあえて刑罰をもちいないで、ついに訴訟がないような様にさせました。またこのようなことのためにいささかも実業を廃しませんでした。どうしてこれを大知といわないでおけましょうや。


 移民の世話、境界の策定、荒地の開墾、訴訟の整理、そして教育、金次郎さんの必死のがんばりが伝わってくる文章かもしれません。『報徳記』の著者は金次郎さんをここでも絶賛しています。



 さて金次郎さんの覚悟はすでにみたところですが、『二宮翁夜話』の他の箇所、『二宮翁夜話』巻一、全体の第十「翁畢世の覺悟を吐露して門人を諭す」でも覚悟を話されています、それをみてみましょう



 翁(二宮尊徳翁、金次郎さん)がおっしゃった。


「親の子に対する取りくみ、農の田畑に対する取りくみは、私の道においては同じことである。親が子を育てて無頼になったといえども、養育料をどのようにできようか、農の田をつくって凶歳となれば、こやし代も仕付科もみな損となるのである。


 それこの道をおこなおうと欲するものは、この理をわきまえるべきである。


 私がはじめて小田原より下野の物井の陣屋(桜町陣屋)にいたったとき、己の家を潰して四千石の興復に一途に身をゆだねたのである。これはすなわちこの道理に基いたものである」


『二宮翁夜話』は金次郎さんが決死の覚悟だったことを語られるのを、続けて綴ります。

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