金次郎さんと服部家の三百両
鴇田惠吉先生の『二宮報徳選集』によりますと、「家政取り直し趣法帳」をとりまとめられてから、文化十三年(1816年)金次郎さんは一段五畝六歩の田を金三両で買われています。そして翌文化十四年(1817年)年に堀之内村の「きの」さん(十九歳)を三十一歳でめとられています。
次の年、年号がかわります。文政元年(1818年)になりました。この年、服部家にて『御賄方趣法割合帳』を書いた、とあります。依頼人は服部波江というかたになっています。『二宮報徳選集』(鴇田先生の本)の年譜では服部家の窮状を救ったのは二十代の頃とあえてされていましたが、報徳二宮神社の年表では、この年、文政元年(1818年)、金次郎さん三十二歳のときから服部家の仕法にとりかかる、とあります。報徳博物館の年表でもおなじく、この年に服部家の家政整理を引きうけたことになっており、『二宮報徳選集』の記述より、後の時代の年表のほうが穏当なようです。『報徳記』では結婚してから服部家の立て直しに取りくまれたことになっていますので、それらからもこの年、三十二歳になってから服部家のことに預かられたのかもしれません。
なおこの年、酒匂川河原にて幕府の老中になったばかりの藩侯・大久保忠真侯の表彰にあずかられています。
次の年、金次郎さんを悲しみがおそいます。文政二年(1819年)、長男の徳太郎さんが生まれられましたが、二ヶ月で亡くなってしまわれました。徳太郎さんは善榮寺に葬られることになりました。こののち葬式から一月しないうちに、金次郎さんは田一段五畝歩を金三両で買い受けられます。このあいだ何があったのかわかりませんが、ここで妻のきのさんが離婚をいいだされ、金次郎さんの説得にもかかわらず家に帰ってしまわれます。服部家の立てなおしに何かがあったのでしょうか。たくさんの田をえたとしても、どのような思いが金次郎さんの胸をよぎったでしょう。今となってはそれはわかりません。
次の年、文政三年(1820年)です。金次郎さんは再婚されます。お相手は飯泉村の波さん(十六歳)でした。
この年、大久保忠真侯が意見を広く庶民にももとめられました。それに応じて金次郎さんは斗
その次の年、文政四年(1821年)、再び伊勢神宮へ参宮され、また高野山にも旅行されています。そして長男・彌太郎(のちの尊行)さんが生まれられます。また名主格とされ、三人扶持が与えられます。そして藩侯から…。
いえ、その藩侯・忠真侯からのご命令のお話に入るのはまだはやいでしょう。一旦、ここまでまとめた記録の内容をすこし振りかえってみたいと思います。時間を服部家立てなおしの場面までもどしてみたいと思います。
服部家の再興がなったところから続けます、『報徳記』からです。
金次郎さんの努力で借金は返済されました。金次郎さんはこの三百両をもちて服部ご家老夫妻に告げておっしゃいました、
「五年前、服部さまのご依賴を辞しがたくそのご要請に応じてより、今日にいたるまで昼夜心をつくし、すでに積みかさなった借金はみな返済いたしまして余金(余った蓄え)三百両をのこしました。畢竟、私に任ずることが固かったがためにこの困難をのぞかれたのです。
そこでこのうち百金は服部さまの手元へお備えなさって、別物として非常の時の国君(藩主さま)への奉仕のもとでとなさりませ。
またこのうち百金は奥さまがこれまで艱苦をつくし、服部さまの家の再興を勤められたるご褒美として奥さまにおあたえください、奥さまもまたこれを別途にお備えおかれ、お家の再び衰えないための予備となさりませ。
なおこのうち百金があまります、これは服部さまの志されるところのご用におあてになってください」
そうおっしゃいました。服部さまは大いに歎称しておっしゃいました。
「私の家はすでにまさに
このあまったお金・三百両は私のお金ではない、あなたの丹誠からでたところのものである、のこらず謝恩にあてようと望むといえども、あなたは今、私たち夫妻にわかって後来のことをお教えなさった、またこれを辞すべきではない。
せめてこのうち百金は、あなたがこれを受けて家業の一助となされなさい。あなたが家にあって業をはげまれれば、あまたの富裕をなしたであろうに、五年の間、家事をなげうちて私たちを危急からすくい永安をえさせてくださった。この百金はどうしてお礼とするにたりましょうや」
そうおっしゃいました。先生は大いによろこんでおっしゃいました。
「服部さまのお言葉がこのようであるのなら、すみやかに御心にしたがいこのお金を受けとりましょう。なお一旦の憂いはのぞけましたといえども、後年の定則がなければまた艱難がいたるはずです。
あらかじめこれを憂いまして永年の分量を調べておきました、これからは千石をもって永年の分限と定められ、三百石をもってあまりの外となされて別途に備え、非常の奉仕の用にあてられれば、この家がつづくかぎりは君公(藩主さま)への忠義はいうにおよばず、一家の貧窮を生ずることはあらないはずです。服部さま、どうかこれをお守りください」
言いおわりて退き、家僕・召使をよんでおっしゃいました。
「主家の危迫はすでにきわまりましたが、私に託されてこのお家を再復することができました。あなたたちは五年のあいだ約束をたがえず、私とともに艱苦をつくしてくださった、賞するにあまりがあるのです。千金あまりの借財は今すでにみな返済いたしましたが、なお百金を余しています。
ご主人さまは私の愚誠を賞してこれをあたえてくださいました。そのお志は辞すべきにございません。私は五年のあいだに勤めるところは一身のためにありませんでした、どうしてその報いをうけましょうや。あなたたちの勤苦を賞しこれを分ちあたえます、これは私があたえるのではありません、ご主人の賜ものなのです、謹んでこれをうけられよ」
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