服部家での采配、そして止まるところ
『報徳記』の続きをみます
さて金次郎さんのお言葉にご家老さまはおっしゃいました。
「これは私が甘えていたところであった、このようにして家を興すの道があるのならば何の幸かこれにまさるものがあるだろうか」
ここにおいて金次郎さんはその家の家僕や召使をよんでおっしゃいました。
「主君の家事がすでに貧困におよんで借金は千余金にいたっている。これはあなたたちの明きらかに知るところである。このような状態にして三、五年がたてば主家はまさに
皆が申しました。
「これは私どもの知るところにありません、願わくばあなたがそれを、このことを計ってください」
金次郎さんはおっしゃいました。
「あなたたちは主家の無事を願い、私一人に計を願われた、その忠の志は賞すべきです。これからはご主君もみずから思慮をくわえなさらず、五年間の家事は私におまかせになりました。あなたたちも私の指揮にしたがうということ、異存はあってはいけません、私とともに主家の安堵を願ってつとむべきです。もし異存があるのでしたらば、今すみやかに暇を請うべきです」
家僕や召使は申しました。
「主家(この家)に仕えることすでに何年にもなっています。今その危うきをみてしりぞくことは私たちの願いではございません。あなた一人を苦労させて主家をやすんじようとしています。どうしてその命にしたがわないでいられましょうや」
金次郎さんの気持ちがつたわることになったのでしょうか、家人たちも金次郎さんに協力することになりました。
このように『報徳記』にはあります。
従順で忠実な人たちというべきでしょうか。欲をかんがえないで自分たちの今いる場所をまもろうとする姿勢がうかがえます。
後のことですが、金次郎さんは『二宮翁夜話』巻三、全体の第八十「止る處を教へて富貴維持を示す」という訓話において、家の維持や復興について次のようなことをおっしゃっています。意訳・概要の訳をします。
「世の人が富と貴い地位をもとめて止まることを知らないのは凡俗の
それ止るところとは何のことであるか。
申しあげるに「日本」は「日本の人」の止るところである。そうであるならば「この国(藩)」は「この国(藩)の人」の止まるところである。「その村」は「その村の人」の止まるところである。そうであるならば、千石の村も、五百石の村もまたおなじで、海辺の村も山谷の村もみな止まるところであるのだ。
千石の村であって家が百戸あれば一戸は十石にあたる、これが天命であってまさに止るべきところであるのだ。そうであるのを先祖の余蔭(御蔭)により、百石、二百石をもっていられるのはありがたいことではないだろうか。そうであるのに止まるところを知らず、際限なく田畑を買いあつめることを願うとはもっともあさましいことだ。
たとえるならば山の頂きに登りて、なお登ろうとほっするようなものだ。おのれは絶頂にあって、なお下を見ないでいて上のみを見ることはあやうい。その絶頂にあって下を見るときはみな眼下である。眼下のものを憐むべきであって、恵むことができる道理がおのずからあるのだ。
そのような天命を有する富者であるのに、なお己を利せんことのみをほっするならば、下の者はどうしてむさぼらないことができようか。もし上下が互いに利をあらそうならば、奪わなければ飽くことができないようになることは必ずである。
これは禍いのおこるはずの原因であり恐るべきである。
かつ海浜に生れて山林をうらやみ、山家に住して漁業をうらやむ等のことはもっとも愚かである。海には海の利がある、山には山の利がある。天命に安んじてその外を願うことがないように」
これは封建時代の考え方ととらえるべきなのでしょうか。自分のやりたいことに忠実であれ、そう説く現在では考えられない考えかたでしょうか。
しかし組織論としてみたときにはどうなのでしょう。ひたすら個人として這いあがっていく、上を見る、「あさましい」と金次郎さんはおっしゃっていますが、ひたすら富と利益を考えるだけでいいのでしょうか。人の絶頂とはどこにあるのでしょうか、止まるところはどこにあるのか、考えさせられませんか。組織全体として、仲間をおもいやる、そういうことは大事ではないのでしょうか。
またもし自分の持分がさだまっているのなら、自分の才能が決まっているのなら、その持分に感謝すること、その持分に先祖や家族の力(御蔭)がくわわっているのならそれも感謝すること。自分より立場の弱いものを大切にしてやること。
当時の身分社会では上を見るものは多くても下をおもいはかるものは少なかったのではないでしょうか。そして現在でもあなたは自分より力の弱いものをおもんばかれていますか。
そして自らの利を考えること、海にいるのなら海の利を、山にいるのなら山の利を、そして日本にいるのなら日本の利を考える。そしてそこに止まる。うまくまとめられていませんが、金次郎さんのおっしゃっていることに、深い味わいがあることはわかります。
さて、その
金次郎さんはここにおいてその入るものをはかり、分度を引きさり、中分の活計をたてて無用の雜費をはぶき、周年の用度を制して、借財を貸すものを呼んで実情を説きさとして、これをつぐなうに五年を約束し、自ら家僕や召使にかわって家事をつとめ、服部氏(ご家老)がいでれば若党となり、每夜、家を治め、国を治るの道を説いてもって服部氏に教えられました。
この辺、この物語は『報徳記』という伝記を参考にして書かせていただいているのですが、徐々にのちの金次郎さんのやり方の用語、例えば「分度」、「周年」、「中分」、「用度」などがでてきており、わかりにくいかもしれません。
しかしこのあと『報徳記』は続けます。
期年(一年間)にして借財が減り、五年にして千余金の積もった借財はみなあらいつくし、残金・三百両があまりました。一家のよろこびはたとえるものがないほどでした。
そう書いています。
ここに小田原藩家老・服部十郎兵衛家のお家建て直しはなったのです。
さてです。金次郎さんの服部家の「家政取り直し趣法帳」を取りまとめられてからのことも記させていただいておきます。
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