#6 やばんじん
フレスガノンの町は主要な陸地から孤立していると言っていい。他の拠点となる大きな港町からの陸路は一応あるものの、肝心な時に潮の満ち引きで無くなってしまうから、あまりあてにはされていない。他の港とも交易までを考えるなら船は必須となる。フレスガノンを訪れる船のほとんどは、他にいくつもの港を行き来し、またそのための航路を持っている。他の港からの荷を降ろし、ここからの荷を積んで次の港へ。荷を積み替えたならまた次の港へ。いくつか繰り返し、また新しい荷を積んでフレスガノンへと戻ってくる。商売とはそういうもので、だからこそ商会の船が一箇所に留まる事はあまり無い。
ルアンが言っていた疑問はそこだ。
勿論例外はある。一つは天候。嵐がやって来たときには、いくら大きな船とはいえ留まらざるを得ない。
もう一つは戦。戦う相手は隣国だったり、あるいは他の海賊だったり、海賊討伐にかこつけた貴族の略奪だったり。この時もよほど無理を言わない限り商船の航行を止めさせている。フィーニは商船を守らなければいけないからだ。
そしてもう一つ……滞在期間が長くなること自体はままにある。それは荷の積み降ろしに時間がかかる時で、船が大きくなればなるほど当然の事ながら滞在日数は長くなる。勿論、小さな船でも積み降ろしに人手が割けなくて長引く場合もあるし、港自体が込み合っていて臨検や手続きに時間が取られることもあるにはあるのだが。
モーディア商会は小さな会社だ。そしてフレスガノンを訪れる船は、女社長メイザ自らが船長を務めるトッド・モーディアと決まっている。だけど、小さな船で乗員が三人(ギムを入れて四人)だという事を考慮に入れても、それ程長く滞在するとは思えない。
積み降ろしなら一日も掛からずに終わる。長くても二日。船員たちに一日の休みが与えられたとしても三日。今日はもうすぐ日が落ちるのだから、明日早朝に出航するにしても五日。今日という日がまるまる空いている。商売熱心なメイザにしては不自然だ。あのギムという男、フレスガノンと商売を始めたいらしいから、その交渉が長引いているのだろうか。
(それから……)
俺自身がギムという男に対して抱いた違和感。彼は見た目通りの人間ではない。少なくとも彼は、戦いというものを知っている。昼間の広場での決闘で足を止め、俺とシーザーの戦いを冷静に分析できるだけの実力を持っているのだ。
エランダはこの事を知っているのか、知らずに戦いなどとは縁のない人間だと思いこまされているのだとしたら……いよいよ危ういかもしれない。
「あのギムってヤツ」
夕食の前、まだ誰も集まっていない食堂のテーブルに料理を並べるエランダ。俺はそれを手伝いながら、さりげなくエランダに話題を振ってみた。
「多分すごく強いな。ひょっとしたらイサリア母さんよりも上かも」
我ながら陳腐な振り方だと思う。エランダの嫌がりそうな話題を、脈絡もなく突然に切り出したのだから。
エランダは皿を配る手を止め、ふぅと呆れ気味に息を吐き出した。
「男の子ってどうしてそんな話ばっかりなの」
「男とか女とか関係ないと思うぞ」
「……そうね。カイリンガ姉さんもそうだしね。ダイラ兄さんに今度こそ勝つんだって意気込んでたわ」
おそらく訓練所にでもいたのだろう。そして通りかかったエランダに夕食の大盛り(あるいは肉増し)を注文したに違いない。昼間の事がよほど悔しかったのだろう。その様子が目に浮かんで俺は思わず笑ってしまった。
「知ってるわ」
エランダは静かにそう言った。俺の振った話題を肯定するのではなく、ただ自分は知っている、と。心配しているのを分かった上で「大丈夫」と暗に語っているのだ。機嫌を悪くしないで笑顔を向けてくれるのは、心配してくれたことに対する感謝だろう。こういうのを嬉しく感じるのは、フィーニの子供達ならではかもしれない。
「不思議?」
「……うん、まぁ……」
エランダはもっと温和で出歩かないような人が好みだと思っていた。そして周囲からそう思われている事も、彼女は自覚している。
「ギムは海賊みたいに振りかざすようなことはしないもの」
ちょっと皮肉めかして彼女は言う。
「さ、みんなを呼んできて。もうすぐ出来上がるわ」
エランダが浮かべるその穏やかな表情を見て、俺は何も言えなくなってしまった。
「ウルザ姉ちゃんが居てくれるんだったら俺は何だって平気だ。絶対に不幸になんてさせない」
今よりもずっと幼稚で未熟だった頃。俺は、一人の家族を好きになった。それは、子供がよく抱く信頼が大きくなったという意味ではない。文字通りの好意であり、異性への愛情だった。
「……そう言って、あなたはいつも口だけじゃないの。お料理もお洗濯もお掃除だって一人でできないくせに」
「女の仕事じゃないか」
「何だって平気なんでしょ? じゃあ、何ができるっていうの?」
「俺は男だから、剣で戦う」
「やばんじん」
俺に最も近かった少女は、そう言って溜息をついた。少女にとっては決まり事みたいなその台詞。だけど、それが俺に対して使われたのは、この時が初めてだったかもしれない。聞き慣れたその台詞が、無性に気に触ったから。少女はそんな俺の気持ちなんて気付きもせずに、ずけずけとこう続けた。
「ダイラ兄さんにだって負けてばっかりのくせに。馬鹿みたい」
「……じゃあ、ダイラ兄よりも強くなるよ!」
俺は負けじとそう返した。
「いざってときは絶対に負けない。本当に強い男は、そういう時に負けなければいいんだ。ダイラ兄だけじゃない。ベルーガ兄だって、アルゲイド兄だって、セルエ姉やカイリンガ姉、イサリア母さんにだって絶対負けないよ!」
「―――――――――――」
その時、それまで最も近かった少女が、初めて戸惑うのが見えた。俺は、その意味も分からず、自分が本気だということに彼女が驚いたのだと勘違いして、その反応にただ満足していたものだ。
「……じゃあ、私にも勝てるの?」
直後に聞かれたその問いの真意にも気付かず、鼻で笑った。
「エランダは剣なんてにぎったことないだろ。相手にならないさ。たったひと振りで――――――」
“倒せる”、なんて……言葉を続けようとして、俺は口をつぐんだ。その様子を想像して、初めて彼女の言っていた言葉の真意に気が付いた。
だけど認められず、慌てて他の言葉を探した。“勝てる”“打ち負かせる”“一本取れる”……みんな綺麗な色を塗りたぐっただけの、現実感のない言葉。だけど、本当の意味はそうじゃない。
要するに、“相手を傷つけて、口を効けなくする”ということ。
あるいは、“殺してしまう”と言うこと。
「……私が反対したら、私にも勝っちゃうの?」
気が付けば、少女は沈痛な表情をしていた。
俺はそんな彼女に何と弁解していいのか分からないまま、……彼女もまた言葉を失ったままで、俺達は、まるで喧嘩した子供のように、ずっと口をつぐんだままでいた。
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