第4話 アンセル亭の女将さん

 行き倒れ寸前だった私を助けてくれたのは、宿屋兼食堂のアンセル亭の女将、テレーズさんだった。


 私はあの後三日三晩寝たきりとなり、その間、テレーズさんが忙しい仕事の合間に看病してくれていたそうだ。


 道端で見かけただけの私を、元気になるまで気にかけてくれて。


 そして、私が最初にお金をまったく持っていないことと、行くところが無いということを伝えていたので、そのまましばらく住み込みで働かせてもらえることになった。


「貴女の細かい事情は聞かないけど、隣のダゲール伯爵領から時々女性が着の身着のまま流れてくるのよ。誰も何も言わないけど、領主に酷い目に遭わされたみたいで。そんな娘達の世話をよくこの町のみんなでしていたの。だから、貴女も元気になるまではここで過ごしていいから。なんなら、若い人の働き手はいつも不足しているし、手伝ってもらえたら助かるし」


 ダゲール伯爵領から来たわけではなかったけど、テレーズさんの言葉は嬉しかった。


 こんな身元がはっきりしない私を無条件で置いてくれて、雇ってくれて、感謝しかない。


 テレーズさんは現在26歳で、旦那さんは戦場にいて、そこで兵士達の食事を作っているそうだ。


 家族を戦争に連れて行かれてしまっている分、身寄りのない若い子を見ると放っておけないと言われてしまった。


 私は、おかげで人間らしい生活に戻ることができた。


 テレーズさんが営んでいる宿屋の方は大体いつも二組くらいしか利用しないそうで、昼食と夕食時の食堂が主な仕事場となった。


 宿は全部で四部屋あるそうだけど、二部屋はいざという時のために、わざとお客さんを入れないそうだ。


 健全な仕事は私の活力を取り戻してくれて、それと、賄いとして出してもらえるテレーズさんの食事はとても美味しかった。


 やり甲斐のある仕事に美味しい食事。


 私を数日で元気にしてくれるには十分な要素だった。


 テレーズさんにお借りした洋服とエプロンを身につけて食堂に立つと、そこはお昼にはお客さんでいっぱいになって賑わっていた。


 近くにある職人街の人が、利用しに訪れるそうだ。


 鍛治職人さんから仕立て屋さんまで、その職種は様々なようで。


 テーブルの間を忙しく動き回って、それが楽しくもあって、時々お客さんとの会話も楽しみながら、食堂での仕事をこなしていた。


 男性も女性もいろんなお客さんがいて、昼時の一番忙しい時間が過ぎて、ふと、壁際に座る人に視線が向いた。


「あなた、大丈夫?」


 随分と疲れた様子で座っている男性に思わず声をかけていた。


 スープを一つだけ頼んでいたようだけど、それには手をつけず目の前に置かれたままだ。


 俯いて座っていた男性は、絹糸のような髪で隠れていた顔をあげると、酷く疲れた表情をしているのが露わになった。


 労働の後は誰もが疲労を見せているけど、とりわけこの人はこのままペシャリと潰れてしまわないかと心配してしまう雰囲気があった。


 長い前髪の隙間から見える珍しい薄紫色の瞳にも、少しも光が見えなかった。


 それはまるで、少し前の、数日前の自分を見ているようだった。


「あ、ああ、大丈夫です」


 男性は、私の声に我に返った様子だ。


「何か仕事で失敗でもしたの?」


「はい……」


 本当に、その男性の落ち込み方は酷かった。


 肩が落ちて、背中に見えない黒い影をたくさん背負っているように錯覚した。


 まだ若いのに、今にも命が消えてしまいそうな危うげな雰囲気もあった。


「これ、サービス。疲れた時は、お酒もいいけど甘いものと、十分な休息ね」


 ポケットに入れていた飴を男性の目の前に置いた。


 子供扱いだと思われてしまうかな。


 仕事前にテレーズさんにいただいたもので、途中で食べなさいって言われた物をお裾分けした。


「ありがとうございます」


 男性はその言葉を最後に、黙って飴を見つめていた。


 あまりその男性客に構いすぎるわけにもいかず、気にはなっても私は私の仕事に戻って忙しくしていると、男性はいつの間にかいなくなっていた。


 ちゃんとスープのカップは空になっていたし、飴も持ち去ってくれたようだ。


「ニナ、今のうちに休憩してお昼を食べて」


「はい」


「忙しかったでしょ?」


 空いたテーブルに昼食を並べてくれているテレーズさんから、さらに気遣わしげな言葉をかけられた。


「疲れてない?病みあがりだから、あまり無理はさせたくないのよ。ポレットもいるから、疲れたら言ってね」


 ポレットさんは、アンセル亭で働く女性で、私よりも少しだけ年上だ。


「大丈夫です。もともと、体力はあるので。それに、とっても楽しいです。仕事を与えてくださって、ありがとうございます!」


 テレーズさんへの感謝の思いは、言葉では言い尽くせない。


「貴女のその明るい笑顔を見る限りは大丈夫そうだと思えるけど、何か心配なことがある時はすぐに私に言ってね。貴女のことは町のみんなで守るから」


 それを聞く限り、私のようにフラフラと行くあてもなくこの町に辿り着いた女性がこれまでに何人もいたのか、事情は同じではないはずだけど、テレーズさんに出会えたことや、この町に来れたことは幸運のようだった。







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