第5話 戦争の傷跡

「それじゃあ、テレーズさん行ってきます」


「気を付けてね。急がなくてもいいからね」


 念のため、借りた帽子を深めにかぶって店を出た。


 お昼の片付けが終わってテレーズさんに頼まれたのは、明日の材料の注文書を届けに行くことで、それで店を出たのだけど、直後に気付いたことがあって足を止めた。


 裏手の路地に、ぼろ布に包まれて膝を抱えて座り込んでいる人がいた。


 具合が悪いのか心配になり、さらによくよく見れば、さっき店に来ていたあのお客さんだった。


「大丈夫?」


 思わず駆け寄って、声をかけていた。


 男性は顔を上げて薄紫色の瞳を私に向けたけど、どこか視線は虚ろで無気力に見えた。


「あなた、本当は戦場帰りなんじゃないの?家族は?」


 こんな感じの人を、今までたくさん見てきた。


 兄が戦場で怪我した人をうちに下宿させてやってくれと、よく紹介してきた。


 その人達は、決まって虚ろな視線に無気力な様子だった。


 暖かいお風呂に入れてあげて、十分な食事と、それから話をたくさん聞いてあげたら、これからの事を考えられるようになって、故郷に戻っていった。


 そんな人達は、必ずと言っていいほど他に家族がいない人ばかりだった。


 それから、お兄ちゃんの紹介だけあって、基本的には穏やかで人柄の良い人ばかりだった。


 お兄ちゃん、人を見る目はあったから……


「家族は……」


 男性は私の問いかけに、答えを探すように視線を彷徨わせた。


「いないのね。行く所がないの?故郷はこの近く?」


「…………いえ」


「あなたの名前は?」


「僕は……エリオです……」


「エリオね。納屋で寝泊まりできないか、女将さんに頼んでくる。夕食をご馳走するから、ここで少しだけ待ってて」


「貴女は……どうして初対面の僕のことを、そこまで気にかけてくれるのですか……?」


「私のお兄ちゃんは、戦場から生きて戻ってはこれなかった。でもあなたはせっかく帰って来てくれたのに、そのことを喜んで出迎える人がいないのは悲しいでしょ。って言っても、今は私も居候の身なのだけど」


「……申し訳ありません」


 それは、まるで自分が生き残ったことを悔いているようだった。


「どうして謝るの?戦死した人はたくさんいる。でもそれは、貴方のせいじゃない」


「僕は……」


「戦争を始めたのはあなた?」


「違います……」


「早く戦争が終わるといいね」


 自分だけが生き残ってしまったと、そう思って自身を責める人がいなくなって欲しい。


「親切なお嬢さん……貴女の名前を聞いてもいいですか」


「私はニナ」


「ニナさん……」


「ちょっと待っててね」


 お店に戻って、戦場帰りで行き場のない人が路地裏にいるからってテレーズさんに相談したら、悩む様子もなくすぐにエリオを中に入れてくれた。


「久しぶりの重症者が来たわね」


 腰に手をあてて、そんな言葉を呟きながら。


 お店の扉には準備中の札が下げられ、エリオには、ひとまずお店の椅子に座ってもらった。


「戦地にいる夫が、兵役の義務を終えても帰る場所が無い子をよくうちに寄越していたのよ」


 なんだか、覚えがある話だ。


「どこかの貴族の隊長さんが先にそれをやってて、その人は故郷の妹さんにお願いしていたらしいけど、一人暮らしの娘さんの所に送りにくい人は、うちの旦那に相談して、それでうちの宿を提供したりしたわけよ」


 ああ、それ、絶対にうちのお兄ちゃんだ。


 お兄ちゃん、テレーズさんの旦那さんとも知り合いだったのかな。


 それだと、すごい偶然だけど。


 それで、アンセル亭の宿は二部屋が絶対に空いているんだ。


 テレーズさんの話は、驚くことが多かったけど黙って聞いていた。


「貴方はエリオね。まずは、貴方にお礼を言わせて。国を守ってくれてありがとう」


 それはテレーズさんの笑顔と共に、心からの言葉だったのに、エリオは辛そうな顔を見せて、そして俯いていた。


「今は何も考えずに、うちで休んでいって。大丈夫よ。ここが、あなたの居場所となるわ」


「…………お世話になります」


 それを言うエリオの声にも、やっぱり力は無かった。


 テレーズさんから鍵を渡されて、その部屋に案内するつもりでエリオに移動を促すと、立ち上がる際にわずかに顔をしかめて、お腹を庇うように手で押さえていた。


「怪我をしているの?」


「あ、いえ」


 遠慮しているのか、嘘をつこうとしているのはすぐにわかった。


 テレーズさんを見ると、私の知りたいことを教えてくれた。


「救急箱があるから、それを使って。ニナ、頼んでもいい?」


「はい」


「店の方はいいから、エリオについててあげて」


「はい。わかりました」


 テレーズさんの優しさが、ものすごく嬉しくなる。


 私を助けてくれた時もそうだし、テレーズさんみたいにどんな時でも他人を気遣えるような人になりたいって思う。


 でもその前に、私の場合は人に騙されないように、利用されないようにしないとだけど……


「部屋に案内するね。階段は上がれる?」


 エリオの動きを確認すると、ゆっくりとした動作で私の後ろをついてきてくれる。


 戦争で心身を傷付けられた人がたくさんいるのは、悲しいことだ。


 さっきエリオに言ったように、早く戦争が終わればいいのにと願っていた。







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